愛の終わり
長は、少し前からそこにいた。
横断歩道を渡る男をじっと見詰めていた。虚ろな目は、淀んだ感情を映している。この男が何をしているのかも知っていた。
長がこの男を観察し始めたのは一昨日。
そして、今日。
男は、死んだ。
突っ込んできた車に轢かれ、一瞬の出来事を終えた。
男は血を吐き、倒れ伏した。人の悲鳴も聞こえない。
けれど、置いてきてしまった子供の名前だけを呟く。
愛している。
初めて見たときから、ずっと。
誰の子かも分からないところから浚って、自分だけを見るように閉じ込めて。それなのに、罪悪感や猜疑感に苛まれてちゃんと愛せなかった。拳を振るい、自分だけを見ろと教育していた。
違う。
そんなことをしたかったんじゃない。
愛したかった。甘やかして、描いたのは楽しくシアワセな日々。
でも、知らなかった。愛したこともない自分には、シアワセが分からなかった。
ごめん。愛してやれなくて。
ごめん。置いて行ってしまって。
ごめん。シアワセを奪ってしまって。
ごめん。愛してしまって。
「後悔は終わったか」
男は、ゆるりと面を上げた。
真っ黒なフードを被った男が自分を見下ろしていた。
「ど……か……」
男は、願った。
しかし、それはふっと嗤う。
「その願いは聞けん」
瞬間、男の顔が絶望に染まる。
そして、男の目に色は失せた。
真っ黒なフードの中から魂の浮上を感じ、それを勢いよく掴んだ。
「お前の愛し方は非常に興味深い」
ずっと見ていた。
子供に暴力を振る姿も、抱き締めてごめんと謝る姿も。全身で子供を愛している姿をずっと。
自分の住家へと浚い、閉じ込め、自分だけを見るように教育。宛ら現世の光る君。
そして、最後の願い。
―――どうか、あの子を共に連れて行かせてください
死の間際まで離せないほどの、純潔なる愛。
「だが、その愛は不要だ」
これほどまでに面白い人間はそういない。だから、長は決めた。
「愛している」
その言葉は、魂だけになった男がずっと言い続けた言葉だった。
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