残夏
弱い女だと思った。
「なんでこんなことをしたの!」
「ごめっ、ごめんなさ……っ」
「いいから早くしなさい!」
何度もごめんなさい、と謝りながら顔中を鼻水やら涙やらでぐちゃぐちゃにしている子供の手を、まるで物か何かのように強引に引くか細い手。顔は剣呑に顰められ、鬼気迫る様子が子供の恐怖を煽っていることは一目瞭然だった。
無関係は見物人はあくまでも他人を装っている。
目撃者という点では他人になりえもしないのに、それでも心にある妙な罪悪感から逃れるようでおかしかった。
子供はまだ十にも満たないだろう。よく見れば腕には痣や傷がある。日常なのだろう。
しかし、放っておけなかった。
子供ではない。女をだ。
「お待ちを」
見物人の間を縫って、振り上げられた女の腕を掴んだ。なんてか細い腕なのだろう。十かそこらの子供ならば一捻り出来ただろうに。
つまりはそれが出来ない何かがあったということで。
女と子供の視線が一挙に集まった。子供は怖いものでも見るように潤んだ瞳と青ざめた顔で。女は予想だにしなかった制止に目を瞠らせて。
「そのように手を振り上げては可哀想だ」
刹那、女はキッと目を吊り上げた。
「関係ないでしょう!放して!」
キィキィと喚く女はしまいには警察を呼ぶと脅しつけてくるようになった。
手は離さなかった。
暫く黙っていると、女は口を閉じた。
「も、……はなして、よ……」
へなへなとへたりこんでしまう。
その間中、子供は不安げに様子を窺っていた。何度か母親に駆け寄ろうとはしていたが、それはさせなかった。
へたりこんだ女の手首を放す。
望み通りになったというのに、女は俯いたままで顔を上げる様子はない。
本当に、なんて弱い女なのだろう。
「なんで……。なんで、こんなこと……」
「言ったでしょう。可哀想だと」
「でも、関係ないじゃない」
確かに、女から見れば自分は見ず知らずの他人だ。それは、自分にとっても同じで、今はじめて出会った。
しかし、放っておけなかった。可哀想で。
「この子がそんなに可哀想なら、あなたが連れて行きなさいよ」
女がそう言うと、子供は肩を震わせた。十に満たなくとも、その言葉の意味は分かったのだろう。
自分は捨てられるのだ、と。
「いいえ」
だが、そうではない。
否定すると、女は嗤笑した。
「なに?可哀想でなければなんなのよ」
「可哀想だと言ったのは、あなたもです」
その言葉に、女の双眸がこれ以上ないほど瞠られた。
「そんなに手を振り上げては、子供も可哀想ですし……あなたの手も心も可哀想だ」
そっと手を握ると、普段から手をあげているのか女の手は子供ほどではないが傷付いていた。撫ぜると、ガサガサとしていて、とてもではないが女性のものとは言い難かった。
「だから、手をあげてはいけません」
女の目を見据える。
瞠られた双眸は、切なげに揺れた。そして、ポロポロと雫が落ちる。
「う、わああああああああっ!」
女は堪えていたものが噴出したように泣き崩れ、子供を腕の中に抱き締めた。
突然の抱擁に子供は戸惑っていたが、やがてその温かさに同じように泣き出した。



人目についたので、女を落ち着かせると、ぽつぽつと事情を話し出した。
女はつい最近夫に捨てられたらしい。夫はよそに愛人を作ったそうだ。
途方に暮れた女は実家を頼った。女の実家は捨てられた女を哀れに思い、女と子供を受け入れたそうだ。
しかし、女は夫の面影のある子供に次第に暴力をふるうようになった。実家の者たちの目に入らないところで、何かと理由をつけて。
本当はそんなことをしたくなかった。心はいつだって泣いていた。
けれど、子供を見るとどうしてもダメだった。
暴力をふるってはごめんねと抱き締め、それでも離してやれなかった。
そして、今日に至ると言う。
すっかり気落ちした女に、私は微力ながらも子供を一緒に面倒を見ると申し出た。
最初は、他人にそんなことはさせられないと辞退された。しかし、私が、この子の記憶の父親を塗り替えてしまおうと言うと、驚いて二の句も継げなくなった。
そして、可哀想なあなたを放っておけなくなった。もう出会ってしまったのだから、ここは流されてくれ、と。
女はそれ以上辞退することも出来ず、私は上手く丸め込んでその日から二人と過ごすようになった。
それから一年後。私は彼女と子供と一つの家を持った。
     
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