そこにいたのは、化け物だった。
血の海があたり一面に広がり、恐怖に青ざめたまま息途絶えた人間だったものが転がっていた。その中で、ただ一人立っている人間がいた。否、人間とは言えないだろう。
化け物だ。
返り血を浴びながらも尚欲す貪欲な目は、倒れ伏した人間を視界に捉えたままだった。
足音なく近寄ると、化け物はこちらに気付く。最早感覚でさえも常軌を逸し人間離れしているのか、化け物の視線に獲物と捉えられる。
しかし、化け物は動かない。
いや、動けようはずもない。
化け物は、そもそもが人間だ。
だが、私は人間ではない。人間という存在や概念、枠から外れた存在。そのような矮小なものに囚われるものではないのだ。
ちっぽけな人間ごときに恐れを抱くはずもない。
だが、人間はそれでも視線を外さなかった。殺す、と全身で訴えるような視線を。
それ以上近寄ることはしない。人間は近寄れず、距離は変わらない。
飢えた獣が獲物を前にするような吐息が、静かな空間に響くだけである。
これは、化け物だ。
人間というおどろおどろしい概念から生まれた化け物だ。人間の羨望、強欲、それらの大罪を一身に請け負った化け物だ。
確かこの人間はそう特異な環境で生まれ育たなかったはずなのに、どこをどう間違えたらこんな化け物が生まれるのか。
否。
普通の環境から生まれた化け物なのだ。「普通」という人間が拘りを持つ概念は、そこから外れることを極端に厭う。その中に身を置き、いつしかそのおかしさに気付いてしまったのだ。
この化け物は、人間が生んだのである。
こういった化け物は人間として生まれないのが常である。弱きものとして命を与えられ、その天寿を全うする。過ぎた人間の概念に取り込まれないために生物でないものとして生命を与えられることも稀ではない。
しかし何を思ったのか、化け物は人間として生まれてきてしまった。こうなることが分かっていたであろうに、いったい化け物の生命を定めた大樹の主は何をしているのか。
人間を試したのか。
それとも―――。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
ああ、違うな。
最早、そんなことは関係ない。
化け物に与えられた使命は、「抹殺」。存在そのものを転生の輪廻から外し、未来永劫生物として生きることを許されない。事実上の魂の消滅である。
私は、その使命を与えられ、化け物へ施行する一介の僕。
「私の名前は雫陽。我が主より貴様の魂の「抹殺」の命を与えられた僕」
化け物が、私を見た。
漸く、視界ではなく、自分の目で私を映したか。
だが、もう遅い。
鎌を振り上げる。
化け物は動けない。動けたとしても逃げないだろう。
死を望んでいるのではない。
化け物に、人間の世は生きにくいのだ。
「冥土への土産に覚えておけ」
風を、切る。
音。
次いで、傾ぐ身体。
徐々に体温が奪われていき、一つの外傷もなく土気色に染められていく。
化け物はもう動かないはずの身体で、私を見上げた。流石化け物なだけあって、死に際も素晴らしいまでに頑健である。
「…………―――――」
そうして、化け物はゆっくりと事切れた。
「覚えておけ」
人間のあらゆるものを捨てた、眠るような顔で。
「忘れられない名前となるのだからな」
ふわりと浮きあがった魂を掌の上に乗せると、まだ眠っていた。よくもまあ寝るものだ。寝る子は育つというが、これ以上どう成長するというのだ。
私は、魂を懐に抱えて、欲望の城を後にした。
化け物の死骸を、残して。





――――――本日未明、連続殺人事件の犯人と思われる人物が死亡していたことが明らかになりました。犯人に外傷はなく、死因は心不全と考えられています。次のニュースです。
     
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