人間の住む国
その国は、平和でした。
世界からも平和の象徴だと謳われ、人々にはいつも笑顔が絶えませんでした。
武器なんてとんでもありません。人を傷付ける道具です。武器なんてこの世からなくなれば世の中から争いや諍いもなくなるに違いありません。
人々は暇があれば歌い、踊り、笑顔を絶やさないことが大事なのだと説きました。心からの笑顔は相手の敵意すら解きます。その連鎖がいつしか人々の心から悪しきものを祓うでしょう。その日の実現のために、彼らは努力も惜しみません。
しかし、悲しいことに、ある日近隣諸国が巨大な新興国家に侵略されるという嘆かわしい事態が起こりました。
その国は軍事国家であり、洗練された軍隊にろくな力もなかった国々はあっと言う間に呑みこまれたのです。
これはゆゆしき事態だと見た人々は立ち上がり、争いの無力さを説きました。
悲しみしか産まない争いなど絶えて然るべきだ。あなたたちも同じ人ならば分かるでしょう。子や親、友人。周りの人がいなくなってしまうことがどれだけ悲しいことであるか。想像してごらんなさい。あなたたちの周りの人がいなくなってしまったら。
近隣諸国をなおも侵略し続ける国の王は、彼らの言葉を聞きました。そして、鼻で笑いました。
ばかばかしい。人はいつしか死ぬ。それが早いか遅いかの違いだ。おまえらがさっさと死んでくれれば、わたしの親も子も、友人も誰も死なない。何故そのことが分からぬのか。貴様らが降伏すれば、誰も傷付かないのだぞ。
彼らは嘆き悲しみました。正に悪です。この世に誤って生まれ落ちてしまった悪に違いありません。どうして自分がされて嫌なことを人にもするのでしょう。その悲しみを理解出来ないのでしょう。
それでも彼らは武器をとることを決して選びませんでした。
武器をとって戦うことは悪です。人の道に悖ることです。武器をとって戦うなら、それは最早人間ではありません。悪魔です。人ならざる悪です。地獄に落ちるべきなのです。
彼らの言葉を嘲笑う国は、彼らの言葉に耳を傾けることなく、悪しき力をもってして国を攻め滅ぼしました。人っ子一人残らず、女子供、老人。誰一人としてその国に残ったものはいませんでした。
最後まで、戦いの愚かさを説いてみんな死んでしまいました。
「あっはっはっはっは!」
盛大な高笑いを響かせて、王は身体をお腹を抱えました。笑いすぎて息が出来なくなりました。
「なんと愚かなことよ」
傍らに控えていた従者は肯定も否定もしませんでした。
「見よ、この何もない焼野原を。焼け跡ひとつ残っておらんわ」
王が指した先には、何も残っていません。そこに国が今しがたまであったことなど推し量れるはずもありません。焼け焦げた跡があるだけでした。
玉座から腰を上げ、王は見渡す限りの焼野原を前に満面の笑顔でした。
「よくやった」
「ありがたき幸せ」
「あの国にはうんざりしていたところだ。目障りなものが消えて清々したわ」
王は笑いが堪えきれないように、いいえ。堪える気もないのでしょう。焼野原の前で大仰に腕を広げ、まるでこの世界を掌握したかのように笑いました。
一頻り笑ってもまだおさまりません。
やっと笑いがおさまると、王は再び玉座にどっかりと腰をおちつけました。でっぷりとした肉体も、筋骨隆々とした肉体もありませんが貫録だけはありました。王の立ち居振る舞いは王そのものでした。
「しかしまあなんともお笑いぐさよ。未だに笑いの波がひかんわ」
「ええ」
珍しく寡黙な従者が答えました。その口元はうっすらと笑みを作っています。
「武器は悪? 戦いは悪? 悲しみを産む? 偽善者が何をぬかすか。いや、偽善者の方がまだマシと言うものよ」
先の戦いは実に簡単でした。相手はろくに戦い方も知らなかったので、踏みつぶすことなど容易いものでした。周辺国家を飲み込んだ鍛え抜かれた軍に勝るはずがありません。
「げに……目障りであったわ」
すっと、双眸が光を孕みました。
「自分達で戦うことも出来ぬ愚か者に何を言われようと、痛くも痒くもないわ」
その言葉が指す意味を、真実を、従者は静かに伏せた目の奥で把握していました。
光はすぐに消え、王はまた笑いました。それはそれは盛大に笑いました。きっと今夜は宴でしょう。女たちを多く遣わして、酒と肉を浴びるほど食らいます。気に入った女がいれば抱いてやってもいいでしょう。子を産んだら、気に入ったら後宮に入れてやってもいいでしょう。
王は笑いました。
今夜は宴だと、高らかに宣言しました。
彼らは人間ではありません。
この世界の人間とは、正しく、清く、邪悪なるものなど何も知らないものなのです。
彼らの姿かたちは人間のそれとまったく同じものでした。目の色、髪の色。人間と同じく千差万別。大した違いなどありません。性器もあります。試したことはありませんが恐らく性交も出来るでしょう。
彼らは決して人間ではありません。
彼らは罪を犯したことはありません。夜の街を徘徊したことはありませんし、人のものを盗んだこともありません。人間が言う悪の中には決して分類されないでしょう。
彼らは、それでも人間になれません。
彼らは国の前に立ちはだかりました。目前から見たこともない大きな人を乗せるものが迫っています。たった百足らずの彼らは、武器を手に大地を踏みしめました。
あれは悪です。あってはならないものです。この世に悲しみを産みます。人を悲しませることは悪しきことです。この世から排除しなくてはなりません。
悪は彼らを今にも飲み込まんと口を開いていました。
彼らは戦います。勝てる見込みなどはなから考えてはいません。何故なら、勝たなければならないからです。悪を打ち滅ぼし、悲しみを産まないために。
彼らは、戦います。
「阿呆めが。勝ったものが正しい。――正しいと証明するために、勝つのだから」
「ええ」
この国に悪はいません。
悪なんて絶えてしかるべきです。悲しみを産むものです。武器を持って戦うことなんて論外です。
彼らは今日も訴えます。争いなど絶えてしかるべきだと。武器のない世界こそが、あるべき姿であると。
彼らは走り出しました。
敵を殺し、悪を断絶するために武器をとりました。
急所なんて恐らくないでしょう。相手は人間ではないのですから。人間を乗せた巨大なものへ、蟻のひとかみをおくります。きいている様子はありません。恐らくこれから先もずっときかないでしょう。
彼らは、戦います。
家に帰っても誰も待っていません。そもそも家などありません。
彼らはずっと戦うためだけに育てられました。
いいえ。最初はそんなものではなかったはずです。決して。
彼らはみなしごでした。住むところもなく、野垂れ死にかけていたところを保護されたのです。命からがら、なんとかとりとめたその命をかわいそうにと哀れんでくれました。
変化は簡単なことでした。
彼らは人間としてい生きていました。人間とそう大差なく、差別も、戦争も知らず、勉強して、遊んで、生きていました。新興国家が攻めてくるまでは。
国中の人々は言いました。争いは悲しみを産むと。武器を持って戦うことは人の道に悖る悪だと。決してあってはならないものです。
ですが、新興国家は聞く耳も持ちません。彼らの国を攻め、滅ぼさんと強大な力で迫ってきました。
今日か明日か。近隣の周辺諸国家が次々と飲み込まれていく中、身を寄せ、肩を震わせていました。
このままではいけない。この世に悪がはびこってしまう。彼らは頭を悩ませました。
なんとか悪を阻止しなければ。この世に悪が蔓延しては、悲しみが無限に広がるだけです。
彼らは人間です。等しく、幸せであるものです。武器も持たず、争いに身を投じない彼らは悪などではありません。人間です。
ですが、みなしごたちはどうでしょう。
哀れで、可哀想で。同じ人間とは思えません。
そう。同じ人間ではないのです。
「戦え」
彼らは言いました。
「武器をとり、国をまもるために戦え」
拳を振り上げました。
「そうだ。何故戦わないんだ」
怒りに満ちた目で、彼らを見下ろしました。
「今まで育ててきてやったんだ。こんな時に使わず、いつその命を使うんだ」
可哀想にと哀れんだ口と同じ口で、唾を飛ばしました。
「戦え」
「戦え」
「何故おまえらが戦わないんだ」
「おまえらは人間ではない」
「同じ人間がみなしごのはずがない」
「きっと前世で悪徳を積んだに違いない」
「贖え」
「その命をもって償え」
彼らは言いました。
そうして、次の日にはみなしごたちが最前線に立ちました。
剣を手に、人では太刀打ちできないであろうものと戦いました。
彼らは思います。よかったと。
どうせ悪徳を積んだこの命。どうせ死ぬべきだった人間でもないこの魂。
せめて、故国をまもるために使いたいと。
彼らは戦います。
負けるために、戦います。
彼らは人間ではありません。同じ人間ではありません。
頬を伝うものは、知りません。
彼らは、人間ではありません。
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