もう一度、あなたとはじめからやり直しの恋を
「ちょっとこのでくの坊! どきなさいよ!」
「はぁあああんっ? テメエが俺らのジャマしてんじゃねぇか、このブス!」
「はいぃいいい? この美少女にむかってブスってどういう意味? アンタこそ顔面よーく鏡とにらめっこしてきなさいよ、このドブス!」
「はっ、悪かったな。生憎とブスに見えないんだよ、テメエと違ってな」
「まあ、可哀想。自分を知らないってこういうバカのことを言うのね。鏡なんて見なくてよろしい。とっととくたばってちょうだい。その方が世のため人のため。アンタのその腐れ外道なツラは公害よ、こーうーがーい!」
「あーあ。ブスもここまで来るといっそ哀れだな。鏡取り替えてやろうか? テメエの家の鏡腐ってるだろ?」
 教室前。二人の男女が顔を突き合わせ、罵り合っていた。
 互いに絶世の美男美女であるのに、口から出る言葉はそれはそれは残念で、遠巻きに眺めているクラスメイト達は口元を引き攣らせていた。或いは、やれやれまたか、と肩を竦めてとっとと下校する。
 そんな中、二人の側で喧嘩の行く末を見守っている男が二人。学校指定の鞄を机に放り、自身らも上に乗っていた。ぶらぶらと揺れる足は、この喧嘩に飽き飽きしていることを一目で分からせた。
「……明日馬。早く行こうよー」
「百合江さん、門限過ぎちゃうよ?」
「犀利、待ってろ。今、この女片す」
「うっさいわね! とっとと帰りなさい! 生憎とうちは門限なんてありゃしない放任主義よ、ざまあみさらせ!」
「へーい」
「……百合江さん。女の子がざまあみさらせとか言っちゃダメだよ」
「おだまんなさい! ふっふっふ、今日こそこの身長だけは無駄にスクスク伸びまくった場所だけは無駄にとる邪魔な男を排除してやるわ! そしたら犀利くんは私と放課後デートしましょうね!」
「……ま、がんばってー」
 きゃっほーい! と高笑いする美女へ犀利と呼ばれた男は適当に声援を送った。その隣から熱烈な視線が向けられるが無視だ無視。
 犀利は長い溜息を一つ零す。
 まったく勿体無い。誰もが振り返る絶世の美女なのに、どうして自分なんかに好意を向けるのか。
 犀利は学校でも有名なゲイカップルである。恋人の明日馬と付き合ってそろそろ半年になる。共学なのに、隠していないのは明日馬がバラしたせいだ。決して本意ではない。
 今では諦めもしているが、未だに恨みは消えない。昨今ではどうにか同性愛者に対しての理解は増えてきたが、異端であることに変わりない。そこへ自ら足を踏み込む覚悟はしたが、誰もおおっぴらにすることなど露ほども考えてなかった。いや、寧ろ、なんとかして隠れようとしていた。それをあの目敏い恋人は敏感に察し、宣言してくれたのである。
 まったく迷惑なことこの上ない。
 しかし、苦難はそれで終わらなかった。
 公言して間もなくのこと。この絶世の美女は何をトチ狂ったのか、犀利を好きだと付き纏うようになった。あれだけ奇異の目を向けられ、避けられる存在だった犀利に、百合江は時も場所も関係なく告白してくるようになった。あわよくば、そのまま恋人関係になし崩しにでも持ち込んでやろうという画策が見え見えだ。
 犀利が付き合えない、恋人がいるから、と断っても徒労に終わった。
 それに怒り心頭、ブチ切れたのが恋人の明日馬である。
『テメエこのクソアマが! なに人のもんに手出してんだ!』
 初対面で、明日馬は口汚く百合江を罵った。
 しかし、それで黙っているような女なら初めから苦労していない。
 犀利の恋人ということも相俟って、常日頃から恨み辛み「の溜まりまくっていた百合江の感情の矛先は明日馬へと向けられることになったのである。
 その日から、最早恒例となりつつある口喧嘩(というにはあまりにも口汚い)は続いている。
「犀利くぅーん。私と一緒に帰りましょう? 最近、駅前にオシャレなカフェが出来たの。犀利くん、甘いもの好きでしょう? いっしょに行きましょうよ」
「犀利くぅーん。お前まさか行かねえよな? 俺という恋人がありながら何処の馬の骨とも知れないクソ女とラブラブカフェデートなんて行くわけがないよな? な?」
「……」
 一体これはなんの脅しだ。
 一見可愛いお誘いに聞こえるが、顔が怖い。明日馬なんて以ての外だ。
 どっちも遠慮したいという言葉を飲み込んで、かと言ってどっちと帰るかと聞かれれば返答に困って、犀利は閉口した。
「ほらー! アンタがこっわーい顔で言うから犀利くん怖がってるじゃない! なにしてくれてんのよこのバカ!」
「はぁん? テメエこそなに言っちゃってくれてんですかぁ? 耳、ついてますー? 聞こえてますー? 犀利は俺の恋人なの。可愛い可愛い俺の女なの。テメエみたいなクソビッチにはもっと似合いのやつがいるからとっとと余所行けや」
「ふぇええん。犀利くん、あのゲスがかよわい乙女をイジめるの。今時ドS彼氏なんて流行んないわよね。ドSならゲーム画面の向こうに喜ぶロリ女にやっときなさいよ」
「テッメエ、俺の犀利に…!」
「……」
 どうしてこうなった。犀利は、一瞬現実から逃避した。
 自分の胸で泣き真似を披露する女は、これみよがしにしがみついてくる。制服が皺になっていて、ちょっとやそっとの力じゃ離れないだろう。
 というか、ふぇええん、ってなんだ。せめてもうちょっと上手に泣き真似しようぜ。しかも悪口が隠れきれてない。
 片方は愛する恋人とは雖も、こうも二人の間で板挟みになればいい加減嫌になる。
 うんざりとしながら、離すのも億劫だった。
「ダメだよ、百合江さん」
 もうどうにでもなれ、と何もかもを投げ出しかけたところで、今まで傍観者に徹していた男がそっと彼女の身体を引き剥がした。刹那、凄まじいスピードで明日馬の腕に抱込まれる。
「ちょっと、なにすんのよ!」
 百合江がキッと美しい顔を険しくさせ、睨み据える先にいる男は優面をしょんぼりとさせた。
「ダメだよ」
「…っ、意味が分からないわ!」
 その間に、明日馬は犀利を抱えて教室からとんずらした。
「ま、待ちなさい…っ!」
 慌てて引き留めにかかる百合江を、強く抱込む腕が止める。
「キィイイイッ! なんなのよ! アンタに関係ないでしょっ?」
「だって、犀利くんは明日馬くんと恋人なんだよ? 邪魔しちゃダメだよ」
「邪魔じゃないわよ、とるのよ!」
「とるのもダメ」
「なんですって!」
 悲しそうに顔を歪める男が腹立たしい。優しい言葉で諭されているような気分になり、いろなものが沸騰しかける。
 こんな男に構っているのも嫌で、腕を振り払う。
「離しなさい。私に触れていいのは犀利くんだけよ。あなたなんかではないわ」
 キツく言い含め、百合江は教室を後にした。
 残された男は、百合江が出て行った方を眺め、つと視線を外した。
 溜息を残すでもなく、すぐに後を追う。






 翌日。
 登校した二人(正確には犀利だけ)を待ち構えていた百合江は、後ろから猛突進をしかけ、その男にしては細い腰に飛びついた。
「おっはよー! さ・い・り・くーん!」
「へぶぅ!」
 突然の猛攻に、奇声を発した犀利は物の見事に撃沈した。
「出やがったな!」
「はっはーん。羨ましい? ねぇねぇ羨ましい? ホホホホホ、やれるものならやってみなさい!」
「上等だ。どけや、クソアマァ」
「嫌よ。なんでアンタなんかのためにどいて差し上げなければならないの?」
「あああああああああ! ムカつくぅ!」
「泣いて這い蹲って、お願いしますって言うなら考えてあげないでも……やっぱムリね。ごめんあそばせー!」
「こ・の・ク・ソ・女ァー……」
「あなた……大丈夫? ボキャブラリーが貧困すぎるのではなくて? クソ、だなんて下品な言葉ばかり使って、知能の低さがわかってしまうわよ?」
「んだとコラ」
 オーホホホホホホ! と高笑いする百合江に、明日馬は怒りに肩を震わせた。
 おかしい。何がどうしてこうなった。学校中に犀利を俺のものだから手を出すなと威嚇し、後はラブラブスクールライフを満喫するはずだったのに。
 めくるめく、愛の学園生活を想像して、現実との違いに悲しくなってやめた。これじゃあ犀利が嫌がるのも、犀利に嫌われるのも覚悟して牽制した意味がない。
 犀利はそんじょそこらのヤツとは違う。まさしく絶世の美丈夫だ。宛らそれは、雨の後にしっとりと花びらを伝う甘露の如く。心を静かに浮足立たせる儚い美しさ。一目見た時から胸が高鳴り、絶対に手に入れてやると誓った。
 だが、これはなんだ。折角念願の恋人になれても、邪魔が入って蜜月を過ごせない。いや、寧ろ、これは倦怠期に入っていないか?
 昨日愛し合ったばかりだというのに、スキンシップをはかったのが随分昔のことのようだ。
 それももとをただせば、この女のせいだ。
 視界をふてぶてしくも陣取る女を、より一層険を露わに睨めつける。
 ふふん、とこれみよがしに抱き着いて、ニヤニヤしてくるのが腹立つ。どこが学校一の美女だ。花も恥じらい閉じる絶世の美女だ。
 クソ女じゃねぇか!
 誰しもが溜息をつき、羨むような美女を前に、全くそんな気持ちにもなれなかった。仮令、お邪魔虫というわけでなくとも、絶対に百合江と気が合わなかった。明日馬は核心を抱いた。
 百合江は犀利の背中にうっとりと身を寄せ、細い体躯に頬ずりまでしている。本当にあれのどこが美女なんだ。美女というのはもうちょっと恥じらいを持っているだろう。
 言い差して、しかしそれは叶わなかった。
「ええい、鬱陶しい!」
「きゃあ!」
 抱き着かれていた、喧嘩の原因が彼女を無理矢理ひっぺがしたからだ。
 唖然とする二人を、くるりと振り向き、視界に入れる。心なしか剣呑としている。
「喧嘩ならよそでやれ!」
 それだけ言い置いて、さっさと校舎に行ってしまった。
「ああっ、犀利くん!」
「あ、コラテメエ待てや!」
「いたたたたっ。なにすんのよ暴力男! 話しなさい!」
「誰が離すか! 俺の犀利に近付くんじゃねぇ!」
 先に我に返った百合江が後を追おうとしたので、その烏羽玉のように美しい髪をむんずと引っ掴んだ。まるで椿の油を塗っているかのように艶やかだったが、ちっとも明日馬の心に響かなかった。
「なんでアンタみたいな男が……」
「愛し合ってるからだよ!」
「置いて行かれてるじゃない!」
「テメエもだろ!」
「なんですって?」
「やんのか、コラ」
 結局、チャイムが鳴って、生活指導の教師が止めに来るまで言い争いは続いた。






「もう! ホントやってらんない!」
 人気のない裏庭、百合江は地団駄を踏んだ。
 わざわざこんな場所まで来たのは、好意を向けている人に見られるかもしれないと思ったからだ。
 人寂しい裏庭。あるのは、ひっそりと立っている忘れ去られた銀杏。
「なんだっていうのよ…」
 アプローチを初めてだいぶ経つ。男の恋人がいるというのは知っていたが、奪ってしまえばこちらのものだと高を括っていた。
 甘く見ていた。あの恋人というポジションで鼻でもほじってそうな男のゴキブリ並みの生命力を。邪魔を邪魔されるわ、目の前でイチャつかれるわ、本当に人間かと思う所業に腸が煮え繰り返る。
 そして、問題の彼――犀利。
 百合江に靡かない男などいなかった。男は誰しも、ともすれば女子ですら目の色を変えて寄ってたかってきた。それなのに、当の酔ってほしい本人には通じない。なんて役に立たない。意中にない相手なんて百人いても仙人いても邪魔なだけだ。彼だけでいい。
 連日猛アタックをしかけているというのに、一向に傾く様子はない。そろそろ手の内を出し尽くしてきた。
 こうなったらちょちょいと拉致でもして、百合江以外誰もいない部屋にちょこっと長居してもらおうか。
 と、うっかり犯罪に手を染めかけたその時。
 百合江の耳が、声を拾った。
「いい加減にしろ」
 それは、百合江の大好きな人の声。
 慌てて物陰に身を潜め、声がした方を覗くと、そこには犀利が腕を組んで仁王立ちしていた。傍らにはにっくき男明日馬。
「悪かったって。機嫌なおせよ。な?」
 甘ったるくて気色の悪い声で、明日馬は許しを乞う。その目は、同じく甘ったるくて、犀利しか映っていないように気色悪い。
「うるさい」
 しかし、犀利は無情にも振り払い、そっぽを向いた。
 瞬間、百合江はぐっと拳を握った。
 だが、それで諦める男ではなかった。最早その諦めの悪さはゴキブリ並みだ。人間をやめればいい。
「さーいり」
 腰を抱き寄せ、そっぽを向いてつれない犀利の頤に触れる。その距離数センチ。うっかりキスでもしかねない。
「ぬ・ぁ・にぃー?」
 そうはさせるか。あんな男に犀利の唇を奪われるなんてたまったもんじゃない。
 こうなったら実力行使だ。
 一歩踏み出した。その時、
「ダメだよ」
「…っ?」
 背後からぬっと現れた腕に抱かれ、百合江は目を白黒させる。口も塞がれた。
「ダメだよ。百合江さん」
 ひょっこりと顔を覗かせたのは、見覚えのある顔――いつも百合江に待ったをかける邪魔な男だった。名前は覚えていない。犀利以外どうでもいい。明日馬のことを覚えているのは不本意だ。
 男は、百合江をそのまま抱きかかえて、その場から離れてしまった。
 やっとのことでその手を離すことが出来たのは、もう二人の姿が見えなくなってしまってから。
「なにすんのよ!」
 手を振り払い、キッと眦を釣り上げる。
 いつもだ。いつもいつもいいところで邪魔をしに来る。何が気に入らないのか、ダメだダメだと。
 ダメ? 知らない。知ったことじゃない。
 だって、今いかないと、百合江にチャンスはなくなる。
「ダメだよ、百合江さん」
「うっさいわね! 部外者は引っ込んでなさい!」
「ダメ」
「〜ッ! ダメダメって……うるさいのよ。アンタに関係ないでしょうっ?」
「ある。だから、ダメ」
「どこによっ」
 あるはずがない。なにしろ、百合江は男の名前すら知らないのだから。
 男が一方的に百合江のことを知っているだけ。いつもいつもいいところで邪魔する。
 百合江にとってはにっくき男でしかない。
「明日馬くんと犀利くんは恋人だから、百合江さんは邪魔しちゃダメ」
「うっさいわね。仕方ないじゃない。好きになっちゃったんだから!」
 好きになったのは、二人が宣言した後。
 視線だけで追うことに耐えられなくなって、恋人がいると知っていながらアプローチした。出逢った順番が悪かっただけで奪い返せば問題ないと思った。
 だが、実際はちっとも靡く様子はないし、剰え恋人の明日馬と激しいドンパチばかりでアタックがなかなか出来ない。これじゃあ、形振り構わず近付いた意味がない。
「ダメだよ、百合江さん」
 しかし、男はそれでも言い募る。まるで駄々をこねる子供に言い聞かせるように。
 子供じゃない。だから、我慢なんて出来ないんじゃないか。
 伸びた手を、また払う。
「アンタに一体何がわかるって言うの? 私が先に出逢っていれば、犀利くんだって私を見てくれたのよ。あの男さえいなければ、犀利くんは……犀利くん、は……」
 恋人になってくれた。
 たった一言が言えなくて、言葉を探し、紡げなくなる。
 男は、百合江の握った手をそっと包んだ。温かくて、大きな掌だ。
「だって、百合江さん」
 見上げた先にあった視線とかち合うと、優しく細められた。背筋をぞわっと何かが走り抜けるような感じがした。
「だって、百合江さんが傷付くだけだよ」
「いいのよ。どうせ最後には私のものになるんだから」
「ならないよ」
「なるわ」
「ならない」
「なるの!」
「ならないよ。……だって、百合江さん、犀利くんのこと好きでもないでしょう?」
「な…っ」
 刹那、百合江の美しい瞳が大きく見開かれる。
 男は変わらず優しげに微笑むだけだ。うっすらと笑みを乗せ、ざわざわと警鐘を鳴らすような視線を向ける。
「何を根拠に、って? 知ってるよ。百合江さんのことだもの」
「そんなこと…」
「ない。って言いたいよね。でも、違うでしょう? 百合江さんが、犀利くんに好きだって言うのは、好きになってもいい人だからでしょう? 本当に好きってわけでもないのに」
「な、んで…」
「知ってるよ」
 男の優しげな笑みに、悪寒が走る。
 これだったのか。今更ながらに、男が抱いていた笑みの正体を知る。気味の悪い、ざわざわとする感じ。
 まるで、心の中を見透かされている感じ。
「好きじゃないって知ってたから遊ばせようかなって思ったんだけど、そんなに忍耐強くなかったみたい。ごめん、もう限界」
 ぐっと腰が引き寄せられる。
「ゲイだったら好きになってもいいって思った? どうせ叶わないから、誰にもすがれないならって」
 胸中を全て見透かしたようなセリフ。否、事実知っているのだ。
 逃げられない腕の中、一つ一つ紐解くように種明かしされていく。
 恐怖?
 違う。そんななまっちょろいものじゃない。
 まるで、男の掌中に乗ってしまい、にっこりと笑う男を前に小さくなっていくような感覚。
「好きだよ。百合江さん。僕が大事にしてあげる。大事に大事に、百合江さんを愛してあげる。だから、そんなものは捨てようね」
 捨てられたのはうすっぺらい「虚(恋)」か。それとも「自由(意志)」か。
 呑みこんだ唾が、凄まじい苦味を伴って喉元を通って行った。
「もう捨てたんだから、犀利くんに話しかけないでね。明日馬くんにも」
 くしゃ、と何かが丸められ、捨てられる音が聞こえた気がした。
     
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