決着がついたのは、翌月のこと。
 建国からちょうど五十年の節目。宮中では武芸を競う催し物が開かれた。
 剣、弓、大物、馬術、投石、火薬など多種の部門に分かれ、それぞれ各々が得意とするものを競った。
 芽凌は騎馬戦と大物である。
 騎馬戦では惜しくも敗北を喫した。続く大物では準決勝までのぼったものの決勝で敗れた。
 どちらも惜しいところまでいったのだが、まだまだ精進が足りなかった。
 若輩者が決勝まで勝ち残れたことだけでもまずは喜ぼう。
 芽凌は他の試合を見に行くことにした。
 すると、剣の方から歓声が聞こえた。大物と同じくらいに始まったが、まだ終わっていないようだった。
 声につられ、近付く。
「公主様っ?」
 芽凌は、ぎょっと目を丸くした。
 長い髪を一つに結い、腰ほどまである尻尾が揺れている。
 裾が翻ると同時に、端麗な顔がきっと相手を見据える。
 視線の美しさに一瞬視線を奪われる。
「はぁっ!」
 小柄で嫋やかな身体で相手の隙を突き、屈強な戦士の攻撃を受けていた。倍はあるだろう男の身体を剣一本で受けとめ、真剣な睨み合いが観客の緊張も煽る。
 知らず、息をのむ。
 剣は花形ということもあり、御前試合の形式をとっていた。
 白い階段の上で王と妃が息を飲んで見守るのが伝わった。
 御前試合であっても木刀ではなく、真剣を使っている。仮令、公主であっても。その白い肌に刃傷を負っていても。
 相手との拮抗が崩れた。
 蒄珎が剣を払い、男が後退する。その隙を見逃さず、公主は突く。
しかし、相手はひらりとかわし、逆に蒄珎の脇を切る。
 蒄珎は身体を捩り、すんででかわした。
「無理だ……」
 誰が見ても分かる。これは無謀な戦いである。
 観客も蒄珎が勇敢に戦っているから歓声をあげているだけだ。実力が違うことくらい分かっている。
 しかし、蒄珎は違った。
 負けなど想定していない。否。勝つ気でいる。一縷の望みなどないほどに強い相手に、それでも勝機を手繰り寄せようとしている。
 間合いをとる。
 視線が交わり、緊迫感が漂う。
 負けは確定している。それなのに、なんだこの感じは。
 蒄珎の実力が相手と拮抗しているとでもいうような感じがあった。
 ごくり。
 誰かの唾を飲み込む音が聞こえた。
 風が、唸る。
 蒄珎の髪が翻り、顔を覆った。
 それが皮切りとなり、一気に相手が公主との間合いを詰める。
「公主様っ」
 芽凌は人波を掻き分けた。
 刹那、
「はああぁっ!」
 それを予見していたかのように、公主はさっと身を翻し、剣をかわした。
 相手が動揺を見せた一瞬の間に、距離を詰め、後頭部に思い切り蹴りを叩きこむ。
 さしもの屈強な戦士も不意を打たれては対応出来ず、地に身体ごと土をつけた。
 蒄珎は相手の背に跨り、髪を鷲掴み、首に剣を突きつけた。
「勝負あり!」
 審判の声が、十分にも感じられた。
 しんと静まり返る。遠くで他の試合の歓声があがった。
 理解したのは、すぐ。
 歓声の波が広がる。
 芽凌も他の観客に混ざり、歓声をあげた。
 王と妃も顔を綻ばせ、安堵を見せている。
 勝った。
 公主が、勝った。倍以上も体格の差がある相手をのし、見事勝利を得た。
 あの高嶺の花と謳われる公主が、嫋やかで花ひとつ手折ることも出来ないような真っ白で無垢な公主が勝ったのだ。
「殿下」
 公主の声が響く。
 再び水を打ったように静まり返った。
「約束通り、願いを聞き入れていただけますか」
 訊ねる、というより、確定のようだった。
 芽凌の心臓が不自然に跳ね上がった。
 観客の視線が集まった気がした。御前を向いているというのに。
「張別将に嫁がせてくださいませ」
 芽凌は、息をのんだ。顔から温度という温度全てが奪われていくような気がする。
「しかし、蒄珎。張別将は両班ですらないのだろう? 堂上官ですらないというではないか」
 王の懸念はもっともである。
 芽凌の身分は低かった。
本当は文官になりたかった。だから、武官になって功をたて、身分を上げ、文官の真似事でも出来ればと思っていた。
そのために昔は死ぬほど勉強した。
「そんな相手におまえを嫁がせるのは……」
「父上」
 尚も言葉を重ねようとした王を制し、公主は声を荒げた。
「私は、張別将に嫁げないと言うのなら、この胸を捌いて産道を焼き、男になります」
「暎柱!」
 王の悲鳴があがる。
 公の場で決して呼ぶことのない公主の諱が、事の大きさと王の苦痛を表しているようだった。
「どうです? 嫁がせる気になりました?」
 しかし、蒄珎は口角をあげる。まるで、その反応を楽しむかのような素振りに肌が粟立った。
 王の隣で妃は卒倒しかけていた。
 当然だ。
 蒄珎は第一子である。男であったならば世子にもなれた。
 だから、王はそれを惜しんで公主の封号を「蒄珎」としたのである。
 世にも珍しい宝玉の冠――ひいては、王冠を頂く存在であることを示唆した。
 そのことからも、王の溺愛ぶりは瞭然である。
 加えて、妃が産んだ公主は蒄珎ただ一人だけということもあり、その寵愛は一入だ。
「殿下。私は幸せになりたいのではありません」
 蒄珎は、静かに言う。
「私は、自分で選びたいのです。夫も、未来も。その結果どうなるか、なんてそんなものは要りません」
 欲しいのは、選ぶ権利。
 誰かに定められ、成す術もなく、これが幸せなのだ、お前のためなのだと与えられた道ではなく。己で考え、選び、掴み取ること。
「あの方に嫁ぎ、その果てに後悔しても、嫁げない後悔を抱えて生きて行きたくはありません」
 芽凌は、堂々とした佇まいに見惚れた。
 初めて見た時は、嫋やかな少女だった。
 次に逢った時は、恋に直向きな少女だった。
 そして、今。
「公主様……」
 少女は、王だった。
 自らの欲しいものを得ようと、高潔なままの心で直向きに進む王だった。
 嫋やかな少女も、直向きな少女もどちらも本当。
 世が世なら、王材に数えられただろう。
 やっとわかった気がする。公主の弟達が姉と慕い、敬う意味が。
 執拗なまでに芽凌に貰えと督促し、いっそ行き過ぎるほどの敬慕を向ける理由。
 彼らは知っていたのである。
 名の通り、女である身が惜しい少女であることを。
「父上。お願いいたします」
 膝を折った姿ですら、美しく映る。
 芽凌は、自身の心を認めた。
 このひとと生きたい。
 このひとの隣で、一緒に歩いていきたい。
 苦難の道を、一緒に乗り越え、手を差し出してほしい。
「殿下! 小臣、張芽凌。私からもお願い申し上げます」
「が、りょう……さ、ま」
 蒄珎の視線とかち合う。
 芽凌は、苦笑を零した。
「負けました」
「芽凌様……」
「本当は文官の真似事がしたかったのですが、あなたの夫となれないのなら味気ない夢になりそうです。閑職に飛ばされても、ついてきてくださいますか?」
 差し出した手に、蒄珎の双眸が潤んだ。
「その時は、私が剣で身をたてますわ」
 年相応のしわくちゃの泣き顔に、芽凌は差し出せる手拭いを持っていなかった。
 だが、抱き締める腕はある。
     
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