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 それは、二月ほど前のことである。
 その日、男は逮捕された。
 何人も殺し、取り押さえられるまで殺し尽くした。
 百を超える人をたった一時間足らずで殺した。
 ある人は言う。
「まるで歌うようだった」
 と。
 ある人は言う。
「まるで踊っているようだった」
 と。
 事実、男は笑いながら人を殺したのである。百を優に超える人の命を。
 取り押さえられてから連行され、取り調べの間も男は笑っていた。
 しかし、それは嘲笑うかんじではなかった。嬉しそうだったのだ。
 ある時、取り調べにあたった一人の女性が訊ねた。
「何故、笑うのか」
 と。
 男はきょとんとして、女性を見た。その目に、百を超える人を殺した殺人犯の凶悪な光はなかった。子供のようだったとも思う。
 それから、男は笑った。おかしなことを言ったかのように。
「だってやっと死ねるんでしょう?」
 瞬間、聞いていた誰もの背に冷たいものが伝った。
 死刑を恐れない者など腐るほどいる。
 死を望む者も大勢いる。
 だが、この男は違うのだ。
 男は、真実死刑を恐れていない。死を望み、受け入れ、喜んですらいる。だが、それが常軌を逸しているのだ。
 初めて男の凶悪な殺人犯である片鱗の、その一角を見た気がした。
 男は拘留されている間も笑っていた。時には歌い、その美しい歌声を響かせた。
 あまりにも美しすぎるその歌声に、人々は戦慄すらした。
 男の刑罰は時間を要した。
 通常ならば死刑でも当然である。百以上の人の命を奪った。これは到底軽んじられることではない。
 だが、死刑は男の望む顛末になるだろう。
 死刑とは、即ち罰である。己の行った所業を悔い改め、省みるための一つの手法である。
 しかし、男は死刑を望む。
 はたしてこの場合、判決を下してよいものか。
 男は死刑になるために罪を作ったのである。それを男の望むように死刑にして、それは贖罪の一環になるのだろうか。
 かと言って、この世にこのような凶悪殺人犯を置いておくわけにいかないのもまた事実である。
 これらを考慮し、男に与えられた刑は無期懲役。
 命が続く限り、死を与えられることを許されない身となったのである。
 これに男は暴れ狂った。
 殺せと泣き喚き、人質をとり、また殺しもした。
「何故だァアアッ! 殺せ殺せ殺せェエエッ! この俺を、殺せェエエエエエッ!」
 裁判を傍聴していた者達は、男の叫びに恐怖と、悲痛を感じた。
 今にも殺されそうな畏怖。
 それから、もう二度と死ねないことへの絶望。
 それらが混じり合い、誰しもの胸に鋭い槍となって刺し殺した。
 男に殺されなかった者は、一度は死んだと思った。
 再び取り押さえられ、永久の牢獄へ送られる間際、男は言った。
「この世には、希望どころか絶望もない。光も、何もかもをも諦めさせてくれる闇もない。こんな中途半端な世界で、まだ生きろというのかお前らは!」
 あの美しい歌声も、子供のように無邪気な顔も涙でぐしゃぐしゃにして。悲しみに彩られていた。
 そして、男は永久に自らも死ぬことが出来ないように管理、監視をされることとなった。
 刃物一本近付けさせられず、無理矢理に口やチューブから生きる糧を流し込まれる。
 死とは、最後の希望である。
 もう何もない。
 頑張って、何をしてもダメで、生きることが辛くなった時。もう一度だけ頑張れるチャンスがあるよ、もう頑張らなくてもいいよ、よく頑張ったね、と受け入れてくれる最後の頼みの綱である。
 それすらも取り上げられ、無理矢理生かされる。
 それは、男にとって何よりもの苦しみだった。
 又、一つの世界も暗に示していた。
「希望も絶望もない」世界で無理矢理に生かされる。
 この世界そのものではないか。
 宛ら、己の行く末のようである。
 同情を禁じ得ない状況にありながら、庇いだてする勇気もない。
 いつか自分がこうなってしまうのではないか。
 これからその恐怖が纏わりつくことをただ予見するしかなかったのである。
     
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