気付けば、木々の生い茂るトンネルの中にいた。
 物音ひとつしない。太陽の光が燦々と射しこみ、心が落ち着くような感じがした。
 木々は青々と生い茂り、緑が太陽に照らされてキラキラと輝いていた。
 だが、何故だろう。不思議と、鳥の喜びの声も、葉が風に踊らされるざわめきの音も、静寂の音も何一つしない。
 静かだ。
 心が落ち着くほどに、静かだ。
 しかし、それが不思議と心を煽って不安を掻きたてる。
 兎に角こんなところから早く脱け出そう。
 後ろを振り返りはしなかった。
 掻き立てられるように走った。何かに追われているような気がした。
 暫くすると、光が真上から注いだ。
 いつまでもいつまでも走った。
 光は、ある。
 不安も、ここに、ある。
 足を止めることが出来なかった。
 息が切れることはなく、不安だけは大きかったので走り続けた。
 やがて、太陽の光が傾いた。
 ついに光が消えてしまうという恐怖が不安を煽る。光が唯一の縁だったのに。
 消える時に限って早まる。あっという間に光が消え、闇が訪れた。
 月は、出ていない。
 夜目もきかない視界の中、一本道を只管に走り続けた。
 光は、ない。
 不安は、変わらずここにある。
 しかし、徐々に音が現れるようになった。
 風に揺れる葉の囁き、生き物の気配。闇に乗じて幾つもの音が横切っていく。
 次第に、笑い声までもが聞こえてくるようになった。
 いよいよ気味が悪くなって、前も見ることもやめた。どうせ一本道だ。
 目を瞑って、走る。
 躓くことなく、ぶつかることなく、いつまでも走り続けた。いつまでもいつまでも走り続けた。
 目的地も何もない。
 ただここから脱け出せれば。闇に呑みこまれてしまう前に、光の下へ帰れたならば。
 ただ、それだけだった。
 それだけのことしか願っていなかった。
 しかし、徐々に笑い声や気配が近付いてくるのを肌で感じていた。途轍もない悪寒が走る。どれだけ走っても暑さすら感じなかったのに。
 それらは、遊んでいた。
 走り続けるしかないことを嘲笑い、徐々に距離を縮め、わざと獲物を逃がしていた。さあいつ食ってやろうかと。
 視界を開くことすら最早恐ろしかった。
 早く闇が明け、光の下に戻れないだろうか。この瞼の裏まで届く光を。
 走って、走って、走り続けて。
 もう何も考えられなくなっていく。
 あるのは、恐怖と不安。
 疲れることも、暑さですら感じない。
 そう。ずっと走り続けているのに。
 ずっと考えないようにしてきた。これが、おかしいことだと。ずっと走り続けていられることを。
 考えたくなかった。考えてしまえば終わりだと思った。
 だが、頭の裡が浸食されていく。止める手立てはない。
 何故、疲れない。
 何故、走り続けていられる。
 何故、暑さを感じない。
 何故、物音ひとつしなかった。
 何故、ここにいる。

 ここは、何処だ。

 思考が止まる。
 足は、止まらなかった。
 最早己の意志はそこにはない。足を動かしてすらいないのだ。
 操り人形の如く、ただ動かされている。
 走り続けながら、そのことの恐ろしさに漸く辿り着いてぞっとした。
『恐ろしいか』
 その時、脳に直接声が響いた。
『恐ろしいだろう』
 嗤うでもなく、見下すでもなく。声は純然たる事実を冷然と突きつける。
 恐ろしいに決まっている。そう言いたかったのに、口は開かない。
 まるで身体機能ですら徐々に奪われていっているようだった。
『いつまで逃げ続けるつもりだ』
 いつまで?
 知らない。
 あの光がまた顔を出すまで。そうしたら、きっと大丈夫。
『希望があるわけがないだろう』
 しかし、声は絶望を突きつけた。
 反論する前に、声は言う。
『逃げても、希望はない。あるのは絶望だけだ』
 そんなことはない。
 きっと、あとちょっと。もうちょっとだけ逃げれば。
 だが、僅かに残した希望すらも打ち消される。
『何処へ逃げても、そこに希望はない。立ち向かおうとも、絶望は常にある』
 まるで胸の中にある希望を甘いというかの如く、悉く摘み取られていく。それは、大事な何かすら奪われていくようでもあった。
『逃げれば、絶望は力を増す。立ち向かえば、絶望はより強大なものとなって現れるだろう。それが、この世の理』
 逃げても立ち向かっても、結局は同じということか。
 何処にも逃げ場などないではないか。
 脳裡にまで闇が浸食する。
 それは、「絶望」という、いつでもついて回る闇。
『死んだら、楽園に行けるとでも思ったか』
 声に、はたと我に返る。
 瞬間、何かにヒビが入った気がした。
『天国など何処にもない。死んだ者は全員行先は同じ。「地獄」だ』
 小さなヒビが絶望を塗り潰していく。
 希望などではなく、それは忘れたかった「記憶」というものだと理解した。
 生きることに絶望し、死を選んだ愚か者の末路を。
『彷徨える魂よ。煉獄の炎に焼かれ、永久の眠りにつけ』
 冷然なる声とともに、光が覆い尽くした。

     
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