「ほわぁ……」
 マチカは、よくぽかんと呆ける。自分が見たこともないものを見たときに、驚いて口をぽかんと開けて見入ってしまう。
「わぁ。あれ、カンタが着たらいいと思います!」
 あれ、と指さしたのは、猫耳のフードパーカーだった。だが、明らかにサイズはカンタのそれではなく、マチカには小さすぎる。
「もう少し大きくなったら考えよう」
「はい!」
 その頃にはなくなっているだろうが、マチカが覚えているようならどうにかしよう。
 マチカは腕にカンタを抱いて、兵壕の後を小さい歩幅でついていく。
 兵壕は普通に歩いているつもりでも、歩幅は倍も違う。その上、マチカの腕にはカンタがいるので早く歩けない。
 何度目かに振り返って漸くそのことに気付いて、兵壕は洋服やベビー用品云々よりもまずベビーカーの必要性を感じた。
 幸い、向かっている先と同じのため、まずはそれを買うことに決めた。
 カンタを代わりに抱いてやることはしない。
 ベビー用品売り場に着いて、早速兵壕はベビーカーを物色した。機能や値段も含めると十人十色。子供とろくに接触してこなかったせいか、どれがいいのかさっぱりだ。
「よし、マチカ。カンタを乗せてみろ」
「はい」
 試しにカンタを片っ端から乗せてみた。大分絞れたと思ったが、もう一度乗せると反応が変わってあてにならない。
 こんなことなら女の一人二人くらい作って、ガキを作っておくんだった。持っていたとしても、一切関わらないのは目に見えているが。
「カンタぁ。どれがいいかなぁ」
 マチカがカンタに訊ねるのを、耳を欹てた。
 情けない。言葉もろくに話も出来ない子供の意見をあてにするなんて。
 さて、どうするか。そう思った矢先である。
「どうせこんなこったろうと思ったぜ」
「若……どうしてここに」
「どうしてもクソもあるか。お前のことだからなんもわからんと頭抱えてる思ってな」
 ニヤニヤとしたり顔で見下ろす男に、兵壕は天の助けにも思えた。
「それと、そろそろ若はやめぃ」
「いえ、ですが」
「俺は組の人間だが、お前に組長の座布団と茶を淹れてやったんだぜ?」
 その通り。
 男は先代組長唯一の嫡子にして、兵壕にとっては仕えるべき主だった。しかし、極道とは全く縁のない人間と結婚するにあたり、極道の道を真っ当に歩むことを返上し、今では一サラリーマンとして生きている。
 兵壕が先代組長に拾われた折、弟のようによく懐いてくれたのは今でもいい思い出だ。そして、兵壕が現れたのをいいことにこれ幸いと組に関わることを全部押し付けてとんずらこいてくれた策士だ。
「しっかしまあお前が嫁さんもろた聞いたから駆け付けたんに、まさかコブ付きとはな。やるな、これはうちの懐の広さが広まるぜ」
「冗談はおやめを、若」
「お前もその若をやめぃ言うとんのじゃ」
「……仁様」
「まあ、よしとしちゃろう」
 極道を進む者において必要な仁義の名前を頂いた彼こそ、正当な後継者だった。
 しかし何を思ったか、ある日「俺、幼気な一般人になるわ」と宣言したかと思えば、組総出の制止もなんのその。あっさりと出て行ってしまったのである。
「神三郎がいるんやから後は大丈夫やろ。寧ろ俺よりようやれそうや。良かったな、これでうちも安泰や」
 はっはっは。と、豪快に笑って出て行ったことは記憶に新しい。
 頭痛の種を思い出し、兵壕は眉間を抑えた。
「それで、仁様はどうしてこちらへ?」
「ああ。ザキにどうせなんもわからんと子供用品買いに来て頭抱えるはめになっとるやろうから手伝ってやってくれって電話一本寄越されてなあ。家族置いてすっ飛んできたわ」
「すいませんでした」
 電話一本寄越されて休日返上、家族サービスも返上させられたと毒づかれ、兵壕は面目がなかった。ザキの仕返しに違いない。助かったが、別の面倒が舞い込んできた。
 仁はふむとベビー用品を物色する。
「しっかしまあ、よもやお前のパパ修行に駆り出されるとは思わんかったわ。そもそもお前子供なんて勝手に育てってノータッチやろ?」
「……」
「感慨深いわぁ。こりゃ気張らなあかんな」
 物凄く嫌な予感しかしない。
 今では三児の父親の満面の笑顔を、兵壕は引き攣った顔で見上げた。
「そもそもベビーカーも選べんと何がパパや。はっはっはっは。こりゃ片腹どころか背中まで捩れるわ!」
 アンタのせいで胃が捩じ切れそうですが。
「なんか言ったか?」
「いえ」
 素知らぬ顔で明後日の方を見遣った兵壕は、マチカの存在を思い出す。
 ぽかんと二人のやり取りを眺めており、場違いな空気が醸し出されていた。
 仁も兵壕の視線でマチカに気付く。しまったと思った時には遅い。にったりと、マチカに近付く。
「おお、アンタがコイツの嫁か。またえらい真っ白な嫁さんもろたな」
「……いえ」
「これ、向こうの子やろ? 今時極道の子でこんな真っ白い子が育つんやねぇ」
「……はぁ」
「で、俺に紹介はなしか」
「……」
 口を挟む隙も与えなかったくせに。という言葉を飲み込んで、兵壕はマチカを仁の手から取り返した。
「妻のマチカと息子のカンタです」
「ほぉ」
 仁は、口角を上げた。
 無理もない。人質として寄越された二人を、敢えて妻子だと紹介したのである。
 兵壕は、仁の目を真正面から睥睨した。
 手を出すなよ。と、もしもすら許さないと語る。
「妻と息子、ねえ?」
 クツクツ。仁の笑い声が漏れる。
 あの女には苦労しない男が。苦労もしなければ、気にも留めない。あれば便利程度にしか思っていなかった男が、こうも敵対心を露わにしてくるとは面白い。まさか生きているうちにこんなものが見れるとは思わなかった。
「ええやんええやん。マチカいうたか? 俺は兵壕の弟や。よろしゅう」
 頭を撫でられ、マチカは頬を緩めた。
「マチカです。弟のカンタです」
「ほうかほうか。かわええのぅ。俺にもガキがおるから、仲ようしたってや」
「はい!」
 この僅かな間に、マチカは陥落させられてしまった。
 かなり面白くない事態に、兵壕はむっと顔を顰めた。
 仁は、兵壕の顔が変わるのを腹が捩れそうになりながらも堪えた。
「ほなら、いこか」
 あの時、家を捨てないでよかった。
 心から笑いを堪えながら、仁は思った。
     
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