夜。
 兵壕は自分の部屋にマチカとカンタを入れた。元々、人質として贈られた妻に情を向ける気もなかった。それを分からせるための離れであり、近付く気も毛頭なかった。
 しかし、今胸中にあるのは正反対の感情だ。夜が明けたら、早急にこちらに住まわせる手筈を整え、朝には一緒に住めるようにしようと決めた。
 驚くことに、マチカはここに来た時に着ていた着物しか衣類を持っていなかった。カンタの分は着せ替える分にはあったが、それも数少ない。あちらでの扱いを知れば当然という気もするが。
「お前、名は?」
「マチカです」
 マチカにはサイズが大きすぎたが、自身の服を着せ、今日はそれで凌ぐことにした。
 だが、肩ははみ出てなまっちろくて薄っぺらい肌が露わになり、多少の罪悪感を覚える。面倒がらずに服を買ってやればよかったか。今から行きつけの店を叩き起こすのもどうかと思い、明日の予約を入れるに留まったのである。
 そこに情欲は一切なかった。寧ろ、ガリガリで減退する。
「マチカ。明日は出掛けるぞ」
「おでかけですか?」
「ああ。必要なものを買い揃える。カンタに必要なものを考えておけ」
「……は、い」
 マチカは、心ここにあらずといったかんじだ。
 マチカの分はどうせ本人にはわからないだろうと言わなかったが、もしや自分の分がないことに落ち込んでいるのだろうか。
「あの」
「どうした」
「マチカは、外に出てもいいのですか? 迷惑じゃないですか?」
 しかし、その口から告げられたのは、予想だにしていなかった言葉である。
「そうか……」
 兵壕は、失念していた。
 向こうがマチカを外に出すはずもなかった。奇異の目で見おろし、蔑み、恥と言ってきたのだろう。
 どうしてこんな簡単なことに思い至らなかったのか。完全に兵壕の失態である。
「マチカとカンタのものを買うのに、お前がいなければ話にならない」
「そうなんですか?」
「ああ。お前が外に出たくらいで迷惑になるはずがない」
「そう、なんですか……?」
 マチカは、ぽかんと呆ける。まさか常識が覆されるとは露ほどにも想像していなかっただろう。
 横から見上げる視線に、兵壕は苦笑する。頭を撫でてやれば、とろんとなり、可愛らしく笑った。
「その後は……そうだな。お前のいきたいところにでも行こうか」
「いきたい、ところ?」
「ああ。何処か行きたいところはないか?」
「あります! カンタローに行きたいです!」
「かんたろー?」
 それは、もしやあれだろうか。日本昔話に出てくる雪国の話。口ずさみやすい歌が特徴的で、一度聴いたら忘れられない。
「カンタローがおもしろかったです。カンタの名前はマチカがつけたんです。でも、マチカは字がわからないから、名前を呼んでも字を言えないんです」
「そうか……」
 兵壕も、カンタローの字は知らない。漢字があったかもあやふやだ。
 字も分からないマチカが一生懸命考えてつけた名であるならば、知りたいような気もする。
「そうだな……カンタローがいるところは、俺には分からない」
「……そうですか…」
「でも、カンタローのことをもっと分かるところに行くぞ」
「! もっとわかる?」
「ああ」
「ほわぁー」
 喜色満面。
 一気に華やいだマチカに、兵壕は知らず笑みを浮かべた。
「だから今日は早く寝ろ。明日、早起きしないと行かないからな」
「はい! マチカはもう寝ました!」
「くく……っ。ああ、分かった分かった」
 それから、鼻歌を歌い出したマチカはそれでも目を瞑るので、眠るまで頭を撫でてやった。
 二人の頭の上では、カンタがすやすやと眠っていた。
 翌日、マチカはちゃんと早起きするのである。しかし、それはカンタのぎゃん泣きにより叩き起こされたとも言う。
 兵壕はマチカが眠ってから漸く眠りの準備に入れたので、勿論ろくに寝ておらず、ぎゃん泣きに叩き起こされて朝から調子が出なかったのは言うまでもない。
     
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