「ザキ! ザキ!!」
 ドスドスと組員の残る部屋に踏み入り、屋敷中に響き渡る声が貫いた。
 どうなることやらと身を寄せ合っていた組員は肩を震わせ、慄き、全員が兵壕をじっと見つめる。
「組長、いかがなさいましたか?」
「医者を呼べ!」
「医者ですか?」
「さっさとしろ!」
 ザキは目を丸くする。あの子供が何かしでかしたのだろうか。
 横目に見遣ると、弟はすやすやと眠っている。さっきまでぎゃんぎゃん泣き喚いていたのに逞しい。
「一体、どういうことですか? 姐さんに何か……」
「いいから……っ」
 言い差して、兵壕は言葉を止めた。
 自身が目にしたものを疑いはしない。それだけに、分からない。
 あれは、なんだ。
「いや……いい……」
 なんにしろあの身体を見せるわけにはいかない。好き者にいいようにされるかもしれない。
 だが、どうすれば。兵壕にはあの子供の身体がどうなっているのか見当もつかない。どころか、どう扱えばいいのか。病気なのか。生まれつきなのか。
 不鮮明だ。
 思考に辿りつく場所がない。頭を振り、取っ払った。
「そのガキについて、医者は何か言っていたか?」
「いえ。特には」
「そうか」
 ということは、そこまで調べていないか。もしくは、あの子供と違うのか。
「とんだ人質を寄越してくれたな……」
 面倒事をこれ幸いと寄越してきたようなものだ。あの狸どうしてくれよう。
「あいつとこいつを調べさせる。藤村を呼べ」
「組長?」
「それと、もう一度向こうの内情について調べてこい。見落としがある」
「組長、それは……」
「事実だ。やつらめ、限られたものにしか言っていないな」
 恐らく、あの子供が送り込まれてきたのも抱くはずがないと思っていたからだ。だから、ていのいい人質にうってつけだった。
 舐められたものである。停戦の証にとんでもないものを寄越してくれた。
「なんなら今すぐ戦争を始めてもいいんだぞ……」
 歯軋りの音が地響きのように響き渡った。
 組員は身を竦め、肩を寄せ合う。
 その時、
「大丈夫、ですよ?」
「っ、ついてきたのか……」
 襖によりかかって、マチカは笑っていた。が、その顔は青ざめている。
「大丈夫です。カンタは……カンタは、大丈夫です」
「……心配するな」
 その言葉が意味するところをなんとなく察した。
「大丈夫」だと。おかしくないから、大丈夫だと言いたいのだろう。
 あやし方は悪かったようだが、可愛がっている弟だ。何をされるか分からないことに不安を覚えていたのだろう。
 兵壕は結論付けた。しかし。それは物の見事に覆されることとなる。
「離れへ戻っていろ」
「大丈夫です!」
 マチカの声が、沈黙を作る。初めて荒げられた声に誰もが目を丸くし、息をのんだ。
 笑っている。笑いながら、顔は泣きそうだ。
「大丈夫です。カンタは大丈夫です!」
「落ち着け。分かったから……」
「カンタは大丈夫なんです! 大丈夫ですから!」
 悲鳴にも似た叫びが、笑顔から紡がれる。誰しもの背筋を粟立させた。恐怖ではなく、悪寒にも似た何か。
 いち早く我に返り、兵壕はマチカを鎮めようと努めていたが、正直お手上げだった。まるで手のかかる言うことのきかない子供だ。
「おい。分かったから……」
「カンタは普通に産みました! だから大丈夫です!」
「な……っ」
「大丈夫です! カンタは大丈夫ですから!」
 組員が絶句するのが分かっていた。
 だが、兵壕はどうしようもなかった。自身も同じだったからだ。
 言葉を発することも出来ず、唾を飲むことも出来ない。ましてや、咳き込むことですら。
「大丈夫です! カンタは大丈夫です!」
 しかし、マチカはそれすらも分からず大丈夫だと訴える。宛ら、「大丈夫」だと揺さぶっていた時のように。何も知らず。
「おい、どういうことだ。あれは弟じゃないのか? お前が産んだとは、どういうことだ」
 やっとのことで言葉を紡ぐと、兵壕はマチカに掴みかかった。
「弟です。普通に産みました」
「では、息子ではないか」
「いいえ、弟です。お父様とマチカの子供です」
「なっ……」
 今度こそ、兵壕は言葉をなくした。
 実子を人質に出し、厄介者払いした挙句、犯していたというのか。剰え、妻に男児が産まれればあっさりと要らないと捨てたというのか。
 どこまで腐っているのだ。
「マチカが不出来なので、カンタを産みました。でも、不出来なマチカから産まれたカンタよりも、お母様が産んだ弟が出来がよかったので、マチカとカンタ帰ってはいけないんです」
 次々と明かされる衝撃の真実に、兵壕は倒れ込みそうになった。
 斯く言う兵壕も決していい家庭に生まれたわけではない。父親は組の人間ですらなく、賭博だ女だと母親に迷惑をかけまくった挙句に金を持って失踪した。残された母親は男を作り、あまり家に帰らなくなった。荒れていたところを組長に拾われた。鉄砲玉として。
 だが、上には上がいるように、下には下がいるものだ。
 子を犯し、捨て、一体いくつの罪を重ねればいいのか。
 そうすると、マチカの無知にも得心がいく。これは、無知ではない。何も知らされていないのだ。教えられず、お前は厄災だと教え込まれ、信じさせられてきた。―――とんだ教育の賜物である。
「だいじょうぶ、です……」
 マチカの手が震え、涙交じりの声が悲痛を訴える。
 兵壕では意味がないと思ったのか、マチカは眠るカンタの側に駆け寄る。
「大丈夫です……大丈夫です……」
 腕に抱き、全身で威嚇する。決して奪い取ってくれるな、と。
「おまえ……」
 その姿に兵壕が感じたのは、感動にも似たものだった。
 親に愛されず、犯され、利用され、捨てられ。教育も放棄され、隔絶されて育ってきたというのに。その心にあるのは、純真無垢なまでの母親としての愛情だった。
 この子供は、誰に何を教えられずとも、自らそれを持ったのである。
「大丈夫です。大丈夫です……」
 だから―――。
 続く言葉が、耳元で聞こえるようだ。
 兵壕は、組員の間を縫って、マチカの前に膝をついた。マチカは警戒心も露わに、兵壕を見詰める。笑いながら。
 そうだ。この子供は、何も教えられず、知らされず。それでも、赤ん坊を愛していたのだ。守っていたのだ。
「俺の名は、兵壕神三郎。お前の夫だ」
「大丈夫です……大丈夫です」
「お前と、そのガキをどうにかする気はない。お前の力となりたい」
「大丈夫……大丈夫です……」
「安心しろ。この手は、お前達を抱き締めるためにある」
「大丈夫! 大丈夫!」
 手を伸ばすと、後退る。
 兵壕は長い手を伸ばす。マチカは恐怖で肩を揺らした。
 なまっちろい頬に触れ、身体ごと引き寄せる。ガリガリのうすっぺらな身体は呆気なく胸の中に陥落した。
「ああ、大丈夫だ」
 小さな頭を撫でる。髪質もボサボサで、この子供がどのような環境にいたかが瞭然である。
「大丈夫だ」
「だい、じょうぶ」
「ああ。大丈夫。大丈夫だ」
「だ、い……」
「大丈夫」
 マチカは、とうとう何も言わなくなった。
 顔を覗き込むと、マチカは笑っていた。だが、その顔はくしゃくしゃで今にも泣きだしそうで。
 泣けないのだと。泣き方も知らないのだと。兵壕だけでなく、組員も悟った。
「大丈夫だ」
 兵壕は、ずっとマチカの頭を撫でてやった。
     
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