「ここが姐さんのお部屋です」
「うわぁ。広いなぁ」
 マチカは真新しい畳と木造の部屋を見回し、感嘆した。開かれた障子からは庭園が見え、静寂を味わえる赴きとなっている。
「食事はこちらに三食お持ちします。他に何か御用があれば、内線でお願いいたします」
「ほわぁー」
 ザキが丁寧に説明している間、マチカは部屋を眺めて感嘆に喘ぐばかりだった。
 いつまでも阿呆よろしくぽっかりと開けられている口を、下から思いっきり叩いて閉じさせたい衝動をぐっと堪える。
 仮にも姐となる方だ。いくら人質とはいえ、ぞんざいに扱えば組長の威厳に関わる。ひいては、自分達組のものの沽券に関わるのだ。幹部として、無体な真似をすることは出来なかった。
「それでは、自分は下がります。どうぞごゆっくりとお寛ぎください」
「はぇえ」
 最後の最後まで、組の人間らしからぬ奇怪珍妙な姐を残し、ザキは離れを後にした。
 マチカはザキが出て行って暫く、弟のカンタが泣き出すまでずっと呆けていた。
「ほわぁっ。カンタぁ、どうしたぁ?」
 舌足らずな声で、カンタをよしよしとあやす。しかし、カンタはぎゃんぎゃん泣き続けるばかりだった。
 恐らく眠たいのだろう。とろんと蕩けてしまいそうな眼は、今にも落ちてしまいそうだ。
 だが、マチカには分からなかった。ただただ、よしよしと言って、カンタを揺らす。慰めるのではなく、起こそうとしているのではないかというくらい乱暴に揺らすので、カンタはますます泣き喚く。
「カンタぁ、どうしたぁ。どうしたぁ」
 マチカは何故泣くか分からなかったので、揺らしてやることしか出来なかった。それも粗雑なものだったので、火がついたように泣き出す始末。しかも、本人はそれに一切気付いていなかった。
 どうした。と、機械のように。
 いつもカンタが泣き出せば、側仕えが飛んできてあやした。マチカの腕から引っさらって、眠らせていたものだ。見様見真似でやってみたが、いつもあやしてくれる側仕えの方がよかったのか一向に泣き止んでくれない。
「カンタ。どうしたぁ」
 マチカは、ずっとあやし続けた。
 カンタがひきつけを起こしても、泣き止むんだと思って、ずっとずっと。
 日が暮れて、空が真っ赤になって、庭園も、真新しい部屋の中も全てが真っ赤に染まっても。ずっと、ずっと。
 空が夕闇色に染められて、太陽が完全に沈み、真っ暗闇に身を落として、漸く本邸から夕餉を運びに人がやってきた。
「ちょ、何やってるんですか!」
 男はマチカの腕からカンタを取り上げて、急いで本邸へと連れて行った。
 本邸の人間は早急に医者を呼び、なんとか事なきをえたのである。
 突然の事態に驚き、慌てた組の人間も一息ついた時。夕餉を運んだ男が本邸へとマチカを連れて来た。
「聞いてくださいよ、ザキさん! この人、自分の弟に虐待してたんですよ!」
「なんだと?」
 ザキは俄かに眉を顰めた。為人については悪いものを聞かなかったので失念していたが、そんな人間が姐などとんでもない。
 元々、子供も産めない男だ。いつでも殺していいと言わんばかりの人質なのだから送り返してやろうかと思っていたところだ。
 しかし、虐待を働く人間ならば送り返しても文句はないだろう。これはいい。
 が、それもマチカの顔を見るまでの話だ。
「あ、カンタぁ。泣き止んだんだねぇ。よかったねぇ。よぉしよぉし」
 マチカはカンタを見つけると、にっこりと笑ってカンタの頭を撫でた。すやすやと眠るカンタはされるがままである。 瞬間、組の人間の表情が凍りついた。
 夕餉を運んだ人間ライカは、すぐに我に返る。
「ちょ、アンタ! 今更なんだよ。虐待してたのをなかったことにしようって魂胆かっ?」
 マチカの肩に掴みかかると、その薄っぺらい身体はライカ達を向く。
 そして、絶句する。
 その表情に邪気一つ見えないことに。
 否。
「あ、さっきはありがとぉ。カンタが泣き止まなくて、がんばったんだけど、泣き止まなくてぇ」
 舌足らずな声。甘い喋り方。子供そのものである。
 剰え、にっこりと笑って見せたのである。
「いつもみんなカンタを泣き止ませるの得意で、がんばったんだけど、うまくいかなくて」
「なっ」
 なんということだ。
 ライカやザキは絶句した。
 まるで知能のかけらもない子供か。
 愕然とする組の沈黙を破ったのは、笑い声だった。
「くく……っ。なるほどな。とんだ厄介者を押し付けられたわけだ」
「く、組長!
 組長兵壕神三郎は、肩を揺らして笑った。
「ザキが血相変えて、嫁が虐待してるって言うから何事かと思えば……沢も面白いものを寄越すもんだなぁ」
 誰しもが固まり、唾を嚥下することも叶わぬなか、赤ん坊と子供だけは別だった。片方はすやすやと眠りこけ、片方はわけも知らず頭を撫でている。それが、本人なりの愛情なのだろうか。
「ところで、ザキ。マツリから面白いネタを仕入れたぞ」
「は?」
 緊張に身を固くするザキに、兵壕はクツクツと笑った。
「その赤ん坊の母親は沢の女ではないそうだ。母親不明だと」
「なっ」
「ある日ひょっこりとわいてきたガキだそうだ。沢はコイツを跡継ぎにすると言っていたが、沢の女が念願の男児をこの間産んだらしい」
 今度こそ、ザキは絶句した。つまり、直系ではないので要らなくなった。わざわざ邪魔なものを抱え込む必要はないということか。
「ひっかからないか?」
「え?」
 しかし、兵壕は剣呑と訊ねる。
「じゃあ、このガキはどうなんだ? コイツは、沢の女のガキだよな?」
「っ」
 そもそもがおかしいのだ。直系に数えられない、ということが。それを沢もその女も受け入れている。あまりにも自然としていたので、うっかり失念するほどに。
「普通、愛人にしてやるからガキ寄越せつったら娘だろ? なのに、なんで沢はコイツを寄越した? 頭がすっからかんだからか? だから、直系を?」
「それは……」
 直系。つまりは、実子を手放すということは組の沽券にも関わる。それなのに、組は一丸となって子供を寄越してきた。
 まるで、厄災から逃れたいと言わんばかりに。
「女には出来ないが、面白いものを見つけたな。丁度いい。こんな頭パーは性欲処理くらいでいいだろ。こんなパーのガキなんざいらんし、跡はザキが継げばいい」
「組長!」
「ふっ、そう憤るな」
 兵壕は男どもの真ん中を突っ切り、赤ん坊の頭を撫でるマチカの腕を無理矢理とって部屋を後にした。
「組長! お待ちを! 組長!」
「ついてくるなよ。それとも、情事を聞きたいというなら咎めはしないが」
「組長!」
 それきり追いかけてくる様子のないザキを置いて、自室へと向かった。
     
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