外伝 夕立日記
わたくしのお父様は大きなお役目を仰せつかっているお方。お国のためにいつも力を尽くされている。
わたくしのお母様はお父様の妹宮。お父様のお母様とは、母君が違う。お父様のお母様はおおきさき様。お母様のお母様は先の斎王様。そして、おおきさき様と斎王様も姉宮と妹宮。お二人は母君が同じ。
わたくしは、お父様の一の姫宮。兄宮も姉宮もいない。
お母様の他にもお母様はたくさんいるけれど、妹宮も弟宮もみんな可愛い。わたくしは多分お父様のためにお嫁に行くと思うのだけれど、それまでは妹宮と弟宮を可愛がってあげたい。
でも、もしかしたら、わたくしは次の斎王になるかもしれない。わたくしのお祖母様で、お母様のお母様が斎王だったこともあって、わたくしが次の斎王に名前が挙がった。今はお母様の妹宮が斎王をなさっているのだけれど、最近病に倒れてしまわれた。
わたくしは、お父様のお役に立てるなら嬉しい。弟宮と妹宮と離れ離れになってしまうのはさびしいけれど。それが私のお役目なら。お父様のお役に立てるなら、わたくしは嬉しい。
次代の斎王に推挙されて、わたくしは伊勢へ行くことになった。小さな弟宮と妹宮はわたくしと離れることをさびしがって泣いてくれた。
お父様も涙を流して、気を付けて、って言ってくれた。お母様も、泣きながらわたくしを見送ってくださった。
お母様、お父様。わたくしは、嬉しいです。
伊勢へ赴く道すがら。わたくしは、美しい方にお会いした。
そのお方は、京で名を馳せている方だった。気高いお顔立ちと、わたくしを見ても目を逸らさないお心を持ち合わせている強いお方。
「次期斎王様とお見受けします。わたくしは、ーーー」
そのお方は名前を教えてくれて、強い目でわたくしを見据えた。
わたくしは、そのお方と友になった。そのお方は世の事に通じないわたくしに様々なことを教えてくれた。この国のことも、海の向こうのことも。
次の日、わたくしはそのお方とお別れをすることになってしまったのだけれど、わたくしにそのお方は約束してくれた。
「斎王様の身に危険が及んだ時は、このわたくしが駆けつけます」
まるで武士のようね、と笑うと、そのお方は微笑まれた。
そうして、わたくしは伊勢に着き、間もなくして斎王様は身罷られてしまわれた。わたくしは、次の斎王としてお役目を賜った。
それから、お父様が儚くなり、弟宮が至高の座に着かれたけれど、やがて間も無くして後を追われた。元々お身体が強い方ではあらせられなかったから、わたくしは案じることしか出来なかった。
けれど、一宮と主上の弟宮の間で諍いが起こってしまい、京は二つに分かれた。
長く分かれていた二つの京は、わたくしの降嫁でおさまった。わたくしは、斎王を妹宮に譲って、一宮に嫁いだ。十以上も年の離れた一宮にわたくしが嫁いで、間に出来た子供と弟宮の子供を結ぶこと。それが、条件だった。
けれど、約束は果たされなかった。
わたくしは十人の御子を一宮に抱いてもらうことが出来た。主上も多くのお妃さまとの間に御子を抱いた。
だけど、主上は約束の反故と一宮の臣籍降下をお命じになられた。一宮はそれでもお耐えになって、源の姓を有難く頂いた。
一宮はそれからよくお耐えになったのだけれど、主上に謀叛の罪過を疑われになった。
一宮の一門は、揃って命を絶った。
わたくしたちは決して反旗の意志は抱かなかった。けれど、主上がお決めになったことなのでわたくしたちは罪過を受ける他なく。恥に耐え忍ぶことは王家に生まれた身として出来なかった。
わたくしの子供たちも揃って命を絶って、子供の妻も、お腹に御子を宿しながら天に向かった。
わたくしも身を切ったのだけれど、後を追うことは出来なかった。
「斎王様。いえ、八条院様。あなたを助けに参りました」
いつか、わたくしを助けてくれると言った強い目の方がわたくしを助けた。
その方は、切れと命じるわたくしを宥めて、刀をとった。
「八条院様のために、この命を使いたく存じます」
ならば、なぜ。なぜ、一宮を、御子を助けてくれなかったの。
そのお方は、答えなかった。
後で聞いたのだけれど、わたくし以外は間に合わなかった。一宮も御子も、一門の妻も助けてくれようとしたのだけれど、皆遅すぎてわたくしだけが助かってしまった。
わたくしは、世に未練はなかった。一宮や御子、一門の福を祈って過ごした。
王家に関わることなく生きたわたくし。
だけど、主上はわたくしに追捕を向けた。わたくしに早く帰ってきてくださいと言った口で、一宮の一門の謀叛を、わたくしの死を願われた。
わたくしはもう世を去ろうとした。
「いいえ、なりません」
それでも、あのお方がわたくしを離してくれなかった。
強い目で、わたくしを見つめる。
わたくしは、心の中のわたくしに目を向けた。
わかっていたわ。主上がわたくしを一番よく思われていないことも。
主上よりも王家の血がずっと濃いわたくしが、主上を揺らがせていたことも。主上の世を危うくしているのも。だから、世を捨てようとしたの。
でも、知っているわ。わたくしが世を捨てたら、次が出るだけ。今は守られている斎王もいつわたくしと同じことになるかわからない。
わかっているわ。
だけど、主上も弟宮なの。早く帰ってきてって。帰ってきたら、お話の続きを聞かせてくださいって言ってくださった弟宮なの。
もうお話は聞かせてあげられないのね。
わたくしは、刀をとった。
一宮の、御子の、一門の仇。
そう思おうとしたのだけれど、
「あね、うえ・・・おはなし、つづ、・・・き、き・・・た・・・」
わたくしには出来なかった。
わたくしの手で、おしるしを頂いた主上を抱いて泣いた。
わたくしは、おはなしの続きを聞かせてあげた。その次も、そのまた次も。
あのお方が来るまで、ずっと。
「主上」
あのお方が、呼んだ。主上を。
「わたくしをおそばに」
ええ、そうね。
わたくしも、行かなくては。いつか、お父様や弟宮が向かわれたところへ。
でもその前に、わたくしはやらなくてはならないことがあるわ。
おしるしは、道端に晒された。
そして、わたくしは舵をとった。
誰もがわたくしを「主上」と呼んだ。
わたくしのそばにはあのお方がいつもいた。
わたくしは、降った王家からたくさんのお方を頂いて、多くの宮と姫宮をまた手に抱いた。御子のお顔とは似ても似つかなかった。
けれど、一宮はわたくしの一宮によく似て賢い子だった。心がここにないお母様でも案じてくれる子だった。
わたくしは、早くに至高の座を降りた。
一宮に譲って、京を去った。
わたくしは、多くのものを手に出来たけれど、多くのものを失わなければならなかった。けれど、また失いたくなくて。逃げてしまった。
「おともいたします」
あの方はわたくしのそばに来てくれた。わたくしを助けてくれた時と同じように。
わたくしは、それから名前のない草根のひとつとなった。
「どうぞ余りある先をお健やかに。母上様」
別れ際、主上はそう言ってくれた。
これから、主上も多くを失うわ。そして、たくさんのものを手にするでしょう。けれど、そのどれもが主上には必要のないもの。
わたくしは、主上のものを取り上げてしまったのだわ。
けれど、もうあの道を歩くには、わたくしは走り過ぎてしまったのかしら。あの道を一歩も歩くことは出来なかった。
主上は、それでも見送ってくれた。
「母上様がわたくし達を思ってくださったことを、わたくしは知っています」
子守唄も、書も、何も教えてあげられなかったけれど。刀を教えてあげることもなかったけれど。
「亡くなられた一宮一門をお心に残されたまま、わたくしたちを見られていたことに、お心に影を落とされていたと知っております」
そう言って、笑った主上は悲しかった。
今生の別れに、抱き締めて差し上げることも出来ずにわたくしは去った。
それから、いくたびも謀叛が起こった。
わたくしは、そのどれもを黙って見過ごした。
けれど、
「行って参ります」
あのお方は、わたくしを思って帰ってくださった。
そうして、乱れは鎮まり、あのお方はついに帰ってくることはなかった。
わたくしは、世を見据えて儚き命となった。
     
return
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -