8
恐怖が支配する沈黙。
立神は、自分を見下ろす司書さんを見つめていた。否、窺っていた。
温かかった声も笑顔も身を隠し、冷たさしかない双眸がそこにあることで、立神は喋ることさえままならなかった。まるで、司書さんに言葉を封じられているかのように。
司書さんがいる空間さえも冷たい。
四肢から体温という体温がすべて奪い取られていく。取り戻そうと手を伸ばすも、その先にある冷たさに引っ込めてしまう。
怖い。
否。
怖いのではない。
分からないのだ。司書さんが何を考え、立神をここに連れてきたのか。そして、今の状況が。
司書さんの手が伸びる。指先が目尻を拭った。
「ねえ」
指先は頬をなぞり、伝っていく。壊れ物を扱うようなのに、そこには冷たさしか感じられない。
これは、誰だ。
目の前にいる人の変わりように追いつかない。
「この涙、誰につけられたの」
暗い双眸が、立神を見やる。
訊ねられて、はじめて自分が泣いていたことに気付いた。
だが、答える間もなく。司書さんは立神の両手を頭上でまとめた。
司書さんの顔が、立神の肩に乗せられる。
吐息が直接当たって、立神は切なさに身を震わせた。そこだけ、熱い。
司書さんの自由な手は立神の背に回って、まるで抱きしめられるような姿勢だった。
好きな人からの抱擁に今度こそ身動きが出来なくなる。あんなに冷たくて仕方なかった体温が、熱くてたまらない。司書さんの体を引きはがして、クーラーをガンガンにきかせたい。
それでも、立神はされるがままになった。
本当は望んでいたのだ。どんなに熱いと言い訳しようと、司書さんに抱かれることに法悦を感じていた。
この腕に抱かれたかったのだ。
この体温が欲しかったのだ。
仮令、傲慢だろうと、他の人といるだけで嫉妬してしまうくらい好きだった。
その背中に腕を回そうと手を伸ばす。案外簡単に拘束は解けた。
しかし、寸前で立神は止めた。

―――うるせえ

脳裏によぎった声に、止められて。
喉元までせり上がってくる何かが、立神を責め立てる。
立神は、司書さんの体を引きはがした。
「触んな!」
司書さんが驚いたように立神を見ていた。瞠られた目は、零れ落ちんばかりで。
宛ら、立神の行動が不可解とでもいうように。
その表情に苛立ちが募る。
「俺に触んじゃねえ!」
立神は後退り、司書さんから距離をとった。
司書さんが手を伸ばそうとしたが、振り払って、睨めつけた。
「俺に触んな。中途半端に放り出すくらいなら、最初から近付くな」
努めて冷静に立神は言った。
一歩でも近付かれたら、またあの腕の中に堕ちてしまったら。きっと立神は立てなくなる。
今度こそ、もう二度と。
「俺は重たいやつなんだよ。先生が考えているよりずっと……っ、優しくするくらいなら責任とれ!」
言い切って、息を荒げた。
終わりだ。
立神は司書さんの顔を見ていられなくなって、視線を逸らした。
責任とれ。だなんて、重い言葉を言われて嫌がらないやつなんていないだろう。
彰彦でさえ、付き合ってと言われただけで嫌悪していたのだ。
また沈黙が訪れた。
立神は諦観し、ふっと嗤う。
この恋は大事にしようと思ったのに、まさかこんな形を迎えるとは。
もうここにも来れない。―――いられない。
しかし、にゅっと伸びた手に立神は再びソファーに押し倒された。
「っ、……ちょ、なっ、」
「毎日通ってくれて、挨拶を返してくれて、僕の淹れたハニーミルクを飲んで、」
抗った立神の手は顔の両側に押し付けられた。
なすすべもなく、立神は耳を傾けるしかない。
司書さんの顔は見えなくて、不安はより増した。
「僕と読書をして」
それは、すべて立神が好きだった時間。今でも戻りたい、ほんの少しだけの時間。
三十分だけの休息。
司書さんの視線が、立神に合わさる。
「僕の腕の中で泣いた君を、どうして好きにならないと思うんだ」
「え?」
都合のいい言葉が聞こえた。
立神は、ぽかんと大口を開けて司書さんを見た。
強い、意志の瞳。揺るがない視線。
そこに嫌悪や冷たさはなかった。温かさもない。
あるのは、強固な想い。
「え……?……い、ま……」
信じられなくて聞き返そうとするのに、それすらもまともに紡げない。もどかしいのに、言葉が頭からすり抜けて行く。
司書さんは、立神の言葉を浚うように唇を合わせた。そっと触れて、すぐに離れていく。
「……え」
たった今齎された感触が、またもや立神から思考能力を奪った。
感触だけが残る。
薄い唇。しっとりとして、触れたところは柔らかかった。
「好きだよ。はじめて出会ったときから。ずっと」
「う、そ……」
「本当」
「だ、だって……っ」
嘘だ。
きっとすぐに嘘だと言うのだ。立神が鬱陶しいから仕方なく、と刃を突き立てるのだ。抜けないように奥深くまで。
「好きだよ」
「……うそ」
「好きだ」
「……」
立神は、力なく首を振った。否定することにも疲れてきた。
だけど、この後に待つ嘘を知りたくなかった。
司書さんは、立神の頬をなぞった。
「本当だよ。この涙を誰かがつけたことに腹が立つほどにね」
もう一度奪われた唇に、立神は否定することが出来なくなった。
本当は否定したくない。嘘が待っているから。
でも、
「……せ、んせ……っ」
本当は、信じてみたい。
「ねえ、好きでいてもいいですか?」
本当は、好きだと言われたい。
「………は、い……っ」

本当は、好きと言いたかった。

「すきです……っ」
     
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