7
吐き出した紫煙が空に昇った。しかし、間もなく立ち消えて、跡形もなくなってしまう。
立神は、煙の通った方を眺めた。その視線には空も何も映っておらず、虚ろで、生気がまるでなかった。
立神は喫煙者である。風紀委員長という立場上まずいものと分かっているが、これはもう染みついた癖のようなものだ。
気付けば吸っていた。恐らく、彰彦が吸っていたので自然と立神もそうしたのだと思う。メーカーは違ったが。
彰彦はヘビースモーカーだった。下手すれば火災報知器が鳴る、なんてこともざらにあった。
そうならないように、立神は普段から彰彦の灰皿をこまめに変えて、騒音に顔を顰める立神を見ないように努めた。
そういえば、立神が彰彦のためにしたことは好きだから、というのもあったが嫌な顔をされたくないからというのもあった。
彰彦はあまり口で語ることをしない。立神と喋ることが億劫だったのだと思う。喋るくらいならば、と嫌なことがあっても口に出さないことが多かった。
けれど、やはり嫌なものは嫌らしく、そういったときは顔に出ていたのだ。
立神は彰彦が好きだった。でも、顰められた顔は嫌われてしまったかのように思えて嫌で、今にも捨てられてしまいそうで怖かった。だから、顔色を窺って嫌な顔をされればこれは直すようにした。
そうしなければ、そばにいられなかったから。
抱いてもらったときもそうだった。立神の顔を見た瞬間、眉を顰められた。タオルをかぶせられ、顔が見えないようにされた。
この学園に入って、自分の顔立ちが人目を惹くものであることは理解している。
だが、彰彦には耐えられなかったのだろう。女ではない立神を抱くことが。
だから、タオルで顔を隠されても文句は言えなかった。タオルの下で心と体の痛みでボロボロ泣いていても、それを彰彦がうるさいと怒鳴っても、嫌な顔をされたくなくて必死だった。
彰彦の部屋で煙草を吸ったことはない。彰彦は男である立神と付き合っていることを嫌悪していた。一度吸ったが、においが残ると言われてから彰彦の部屋では吸わなくなった。
男である立神のにおいを残したくない、と。
そう言われてから、煙草は部屋の中かこの屋上でしか吸わなくなった。彰彦と付き合ってからは本数が増えるばかりで、かかりつけの医者には肺癌も示唆されたがやめられなかった。
彰彦と別れ、司書さんに会うまでは。
司書さんといるひと時に飲むはちみつ牛乳は甘くて、苦い煙草とは正反対だった。甘いものは苦手だったけれど、司書さんが淹れてくれるはちみつ牛乳は好きだった。
それからは煙草の本数が徐々に減っていたのだが、最近また増えている。
原因は分かっている。
あの日見た光景が忘れられず、会えないからだ。
行きたい、と。会いたい、と訴える自分に、温かな笑顔を突きつける。立神ではない誰かに見せる、違う笑顔を。
そうすると、笑えるくらいに足は委縮して図書室に行こうとは思えなくなる。
もう行くことはない。
立神は傲慢になっていた。
つい先日、彰彦に別れを告げられたというのに、司書さんを好きになった。
司書さんといる時間がたまらなく好きで、自分だけがあの温かい笑顔とはちみつ牛乳を見られると思っていた。
自分だけのものだと思っていた。はちみつ牛乳を飲んでいる間だけに見られる、読書をしている横顔も。
あまりに温かすぎたから―――。
だが、今となってはもう過去のこと。温かさは苦しみの象徴だった。
彰彦に恋をしているときは諦めていて、あったのは冷たさだけだった。
けれど、司書さんは温かいから。期待してしまった。今度の恋こそは、と。
なんてバカな猿芝居だ。悲劇のヒロインを気取りたかったのだろうか。
立神は嗤笑した。
なんて、バカなんだろう。

なんて、かなしいんだろう。

恥ずかしげもなく一人で踊っていたことに今更気付き、立神はバカらしくなった。
何もかも忘れてしまいたい。
もう立つことも苦しくて。学園の憧憬と畏怖の象徴でいられなくなりそうで。忘れてしまえたら、ちゃんと立っていられるんじゃないか。
なんて、それこそ弱さの証である。
自嘲するのもいい加減にして、立神は踵を返した。
が、次の一歩は踏み出せなかった。
振り返った先―――そこには、記憶にあるものと変わらない顰められた顔が向けられていた。
何も言ってくれなず、嫌悪だけを乗せて。
「あ、き……ひ……こさ……」
ぽつり、と呼んだ名前。
途端、より顰められた顔。
「……っ、」
立神は見ていることも出来ず、屋上から飛び出した。
冷たさが蘇る。全身をくまなく包み込み、温かさをすべて取り除こうとする。

―――うぜえ

耳に残る、言葉の数々。
口数は少ないのに、頭の中に数多く残っている。そのどれもが立神を歓迎しないものだった。

―――少しは役に立てよ

―――そのツラ見せんな

抱いてもらったときだって、優しい言葉なんてかけてもらったことがない。いいや、今までに一度も。

―――っるせえ!

そうだ。
いつだって、俺は愛されない。
顔が熱くなる。しかし、足は暗い考えを振り払いたくて止められなかった。
どこに向かっているのかも分からずに。
しかし、予期せぬ衝撃に止められた。
「……っ、わ」
前を見ていなかったから何にぶつかったのか分からない。
体が反動で傾いて、踏ん張ろうとも思えず、ただ頭には暗さが付きまとっていた。
だが、体は倒れることなく、腕が掴まれた。
「大丈夫?」
記憶と変わらない温かい声とともに。
立神は瞠目した。視界いっぱいにある、会いたかった人の顔がある。それなのに、歪んでまともに見ることが出来ない。
あんなに会いたくなかったのに、こんなにも嬉しい。
司書さんは、しかし、立神の顔を見て眉根を寄せた。
「……っ、」
それが、記憶にある姿と重なって、掴まれていた腕を振り払ってしまった。
途端、沈黙が落ちる。
意図してしたことではなかったとはいえ、親切をあだで返したような行動を立神は悔いた。後悔先に立たず、とはこのことだ。
一気に気持ちは落ち込み、やはり会わなければよかったと思った。
すると、司書さんは立神の腕を掴んだ。
「っ、え……」
今度は、放せないくらい強く。
「来て」
司書さんは、立神の返事も聞かぬまま歩き出す。
「ちょ、あ、あの……っ」
待ったをかけるが、司書さんは聞く耳を持たず。ずかずか歩く。
そして、すぐに司書さんがどこに向かっているのか分かった。
目の前にはつい最近まで通っていた第一図書室があった。
司書さんは立神の手を引きながら中に入り、いつもの定位置ではなく、キッチンの横にある奥の部屋へ入った。そして、強引にソファーに放られる。
「っ、……」
司書さんはドアに鍵をかけ、立神を放り投げたソファーに乗り上げた。
真上に司書さんの顔がある。
立神は、唾を飲み込むことも出来ず、ただその顔を見つめるしか出来なかった。
不安が蜷局を巻く。いつもとは違う温かい司書さんではない姿に困惑していた。
司書さんは鋭い眼差しで立神を見据えていた。
その目に耐え切れず視線を逸らそうとしたとき、顔の両側に手が叩きつけられた。
ビクッと身を竦ませる。
怖い。
立神は、はじめて温かい笑顔の持ち主に恐怖を抱いた。

     
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