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強姦事件も粗方片付き、この一週間は何事もなく過ぎていった。
立神は書類整理のかたわらで被害者の心身ケアや、今回の事件が起きてしまったことへの謝罪を入れた。
被害者は当初立神に怯えて、話しかけても只管ベッドの端で震えていた。立神はその気持ちがわかった。
好きな人に初めて体を開いたときは怖かった。決してフォローされなかったし、これがダメだったら次はないと念を押されていたから失敗は出来なかった。
被害者より体が大きい立神でさえそうなのだから、その小さな体に男の手が伸び、被害者はどれだけ心を痛めただろうか。推測出来ない。
最初は土産を置いてすぐに帰るだけだった。
三四日経つと、ありがとうと言われた。はじめて喋ってくれたことが嬉しくて、ついベッドに近寄ってしまった。慌てて後退られたが。
昨日は、風紀のことについて聞かれた。どんな仕事をしているのかとか、なんで風紀になろうと思ったのかとか。世間話程度だったが、被害者と話すことが出来た。
被害者は立神の話に耳を傾けてくれた。時にはあの事件を思い出させるような言葉が出てしまったが、ぐっと詰まりながらも一生懸命聞いてくれた。

―――いつか……先輩とやってみたいです

帰り際、そんな言葉を向けられて。
立神は、それまでの鬱憤だとかいろんなものが吹っ飛んだ。
一応は未遂だったものの、事件は起きてしまった。それは、立神や風紀の力だけではどうしようもないことではあるが不甲斐ないばかりである。
それでも、こうやって言葉を向けられることがどれだけ心の支えになることか。
風紀委員会は生徒間で学校の治安を良くするための組織である。学園には警備がいるが、生徒でも自衛意識を高めようと組織された。
加えて、名門校ということもあって、その名に相応しい男子たれ、という校風も相俟って治安と秩序を守る組織である。
しかしながら、いくら万全の警備を整えていても穴はいくらでもある。所詮は子供の作ったものでしかない。風紀を乱そうと思えば、あの手この手でくる。風紀はそれらすべてに対処せねばならない。
今回のように寸前で止められた例もあれば、事前に防ぐことが出来た例もある。―――防ぐことが出来なかったことも。
その度に無力さに打ちひしがれた。自身の存在意義に疑問を抱いた。
被害者から罵詈雑言を浴びせられたこともあった。
それならまだいい。被害者は、自主退学することが半数を占めるのだ。
だから、被害者のセリフは胸に沁みた。まだ傷も癒えていないだろうに、なんて強いのだろう。
自分にこのくらいの強さがあれば、とすら思った。

―――いつでも来い。俺らは、歓迎する

ありがとう。
そう言いたかったのに、結局言葉にならなかった。
多分、出してはいけなかったのだと思う。立神は先輩なのだから。憧れの背中でいなければ。
このことを早く報告したくて、立神は逸る気持ちが抑えられなかった。
放課後、執務室に入ってものの数秒で休憩と言って抜け出してきた。
今まででは考えられないことだった。有村ですら目を瞠っていた。驚きすぎて、ガッタンガッタン遊んでいた椅子から転げ落ちていた。他の委員も書類を落としたり、うっかり保存もせず書類を消してしまったりと、天変地異の前触れかと言わんばかりだった。
まったく失礼なやつらだ。帰ったら小言の一つや二つ、いやこうなったら一時間正座で説教コースに突入してやろう。心に密かな決定を刻んだ。
相変わらずたてつけの悪いドアを押して、立神は中に足を踏み入れる。
一週間前となんら変わりない図書室のにおい。すん、と嗅ぐと自分の中に司書さんが入ってくるみたいで面映ゆい。
しかし、今日はいつもの温かい声が出迎えてくれなかった。
留守か。せっかく来たのに、と気落ちしながらいつも司書さんがいる方を見やる。
すると、そこには目を疑う光景が広がっていた。
「まったくおまえは……」
「あーはいはい。いいだろ?たまには会いに来たって」
「それだけじゃないくせに」
「バレた?」
司書さんより一回り高い身長。肩幅も広く、胸板も厚くがっしりとした体つきだ。だが、顔立ちは西洋風の彫りの深いものなのに、耳まで流れる髪は純日本人らしい黒。対極的なのに、反発しあうことなくより際立たせており、溜息をつきたくなるほどだ。
男は司書さんの肩に手を置き、にかっと笑っていた。
司書さんは男の気安さを咎めもせず、むしろ嬉しそうにしていた。あの温かい笑顔を見せて。
宛ら、恋人であるかのような。
さあっと全身から血の気が引いていく。スキップしそうだった心は、真逆の気持ちで早鐘を打つ。
胃から何かがせりあがってくるかんじがした。この場にいてはいけない、と場違いであることを思い知らされるような。
「あ、いらっしゃい」
違う。
違う。
違う。
聞きたいのは、そんな言葉じゃない。

―――こんにちは

温かい笑顔で、雨の日でもいい天気に思えてくるような。
他人の家に招かれたような言葉が聞きたいんじゃない。
立神は、踵を返して図書室から走り去った。
「えっ、ちょ……っ!」
知らない。
あんな笑顔知らない。
俺に見せてくれる笑顔しか知らない。
あんなに気安く笑いかけられるような顔知らない。
司書さんが何かを言っていたような気がしたが、立神は振り向くことが出来なかった。
自分がいかに傲慢だったか知ってしまった。
あの温かな笑顔も、図書室で過ごすはちみつ牛乳一杯だけの時間も、自分だけのものだと思っていたことに気付かされたから。
そして、自分が醜い人間だということを忘れてしまっていた。好きな人にすら嫌な思いをさせてしまうだけで、好きになってもらうことなんて出来なかった自分を。

知らなかった。
こんな醜い自分を隠したくなる日が来るなんて。
     
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