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愛しているとは一度も言われたことがなかった。
無理に聞き出したことはあった。
一度も抱いてもらったことはなかった。
女に都合がつかなかったときにせがんで、抱いてもらったことはあった。文字通り、抱いてもらったというかんじだった。タオルで顔を覆い隠して見えないようにして、外したら抱かないと言われ、慣らしもせず突っ込まれた。
それでもよかった。
ずっと好きで、付き合えたことだけで奇跡だった。
だから、二人でいる時間や言葉を大切にしたかった。
心をここに置いてくれるなら、それに見合った人間になりたいと思った。外見も中身も、隣に立つに相応しい人間に変わりたかった。
尽くしていることに酔っていたのだろうか。
なにかをしよう。
なにかをしたい。
なにかでありたい。
それは、好きだから。好きでいてほしかったから。
それも机上の空論でしかなかった。
だが、夢見がちな少女だと笑われようと信じていたのだ、心を。
そばにいられることを宝物のようにキラキラしたものだと勘違いして、大切にして。
何がだめだったのか。
こんな俺だからか。
ならば、何故なにも言ってくれない。
そうだ。ひとつも言われたことがなかった。喧嘩すらしたことがない。
なにも。
それは、心がここになかったのだと示していた。
俺一人が陶酔して踊っていたのだ。










ギィッ。
たてつけの悪いドアを開ける。
すると、温かい笑顔が出迎えてくれる。
「こんにちは」
その人は読んでいた古い本から顔を上げて、俺を歓迎してくれた。
「……今日は」
少しの間、その笑顔に見惚れて、照れ隠しにぶっきらぼうに挨拶を返した。
しかし、気に障った様子はない。
その人は本に栞を挟んで、奥の簡易キッチンに行ってしまった。これも毎回のこと。
小さな冷蔵庫から牛乳を出して、小鍋に注ぐ。コンロに火をつけて、温める。
その間に、俺は読んでいた本を手に取った。
今日は源氏物語。相当古いものらしく、中身はみみずをはったような字がうねうねとしている。
残念ながら、高校の授業ではこの文字について勉強していないから読めない。
パラパラと流し見てみる。大体の内容は頭の中に入っているから、こんなかんじなのかと感慨深い。
ちら、とキッチンにいる人に目を向ける。
後姿しか見えない。
だけど、なんだか恥ずかしくなってすぐに目を逸らす。
あのとき。ここに足を運び、泣き崩れた俺を優しく抱き締めてくれた人は第一図書室の司書だった。滅多に人の寄らない図書室の司書は、みっともなく泣く俺の頭を撫でて、落ち着けるように背中をポンポンと撫でた。
その温かさに救われたような気がして、俺は落ち着いてからも暫く体を預けていた。
剰え、寝てしまった。
それなのに、司書は嫌な顔ひとつせず、俺にはちみつ牛乳を淹れてくれた。ずっと俺を抱いていたから痺れているだろうに。
立ち上がって、よろけたくせに、何一つ咎められなかった。
それどころか、またおいで、と言ってくれた。
その言葉に甘えて、俺は次の日から第一図書室に足繁く通っている。
仕事の休憩として、はちみつ牛乳を飲む三十分だけ。司書さんの仕事もあるから、それだけ。
はちみつ牛乳を飲む間、俺は本を読みながら司書さんを見ている。読書する姿もなんだか温かくて、見ているだけで心が落ち着いて、でも不自然な鼓動に悩まされる。
俺は、司書さんに恋をしていた。
ついこの間恋人にこっぴどくふられたばかりだというのに。
けれど、恋はどうしようもない。あんなに痛かった胸がもう痛くない。あの人のことを思い出すこともあまりなくなった。
気のせいかとも思った。恋人に酷い振られ方をして、慰めてほしいだけじゃないか、って。
でも、それでも、好きだ。
あの温かさに触れた日から。
手にした本のにおいを嗅いだ。
やっぱり本のにおいしかしない。
司書さんのにおいが混ざっているような気がして、目を閉じた。まるで司書さんに包まれているようだ。
こうして見ているだけで、温かい気持ちになる。前とは違って、冷たさなんてない。たまに胸が不整脈を起こしたみたいになって苦しいこともあるけど。
「なにしてるの?」
においに浸っていると、いつからそこにいたのか、司書さんがはちみつ牛乳を手に苦笑していた。
「あ、いえっ……」
まるで不審者のような行動をしていたことが恥ずかしくなって、でもろくに言い訳も思いつかなくてもごもごとした。
司書さんは首を傾げていたが、俺にはちみつ牛乳を渡して椅子に座った。
咄嗟に自分がにおいを嗅いでいた、司書さんの読んでいた本を渡したが、はたしてこれは正解だったのか。普通、他人ににおいを嗅がれた本なんて気持ち悪いだろう。
しかし、司書さんはありがとう、とまた本に目を戻した。
罪悪感と、ちょっと残念な感じだ。
何も反応されないのは、その他大勢と同じということ。
邪魔はしたくなかったから、いつもと同じ司書さんの見える定位置に座って、俺も少しの読書に勤しむ。今は、海外作家のファンタジーだ。
俺が読む本は司書さんが全てオススメしてくれたものだ。それが嬉しくて、面白かろうがつまらなかろうが読み進めてしまう。これが、司書さんの世界なのだと、ちょっとでも知ることが出来てる気がして。
読みながら、司書さんをちら、とたまに見る。
温かい横顔。本を読んでる顔。
不自然ににやけた口を慌てて戻して、俺は本の世界に戻った。またすぐに司書さんを見てしまうのだけれど。
     
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