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―――――ありがとう

罵声も覚悟していた。男でありながら愛を与えられたことに。

―――――ありがとう。私達に可愛いものを増やしてくれて。

けれど、予想外の言葉にぽかんと口を開けた。

―――――生まれてくる子と、聖さん。二人も可愛い子供が増えたわ。これからもっと楽しくなるわね。

聞けば、梓の両親は早くに亡くなり、子供がいなかった叔母夫婦が引き取ったのだそうだ。
梓の両親となった叔母夫婦は、子供が欲しかったこともあって、それはそれは梓を可愛がったらしい。よく甘やかしすぎだと怒られるくらいに。それでも可愛くてついつい甘やかしてしまって、ダメな親だなぁと思いながらも、笑って可愛がってしまった。

―――――私達は早く引退して世界旅行をしたくて、梓にそれを押し付けてしまったけれど。心配もしていたのよ。梓は誰かを好きになるってことを知らなかったから。

勿論、孫の顔は見たい。けれど、その前に、梓が誰かを好きになって、誰かに好きになってもらって、ということを望んでいた。
自分達は、梓という可愛い子供を授かったのだ。それならば、梓が人並みに愛し愛されることが何よりだと。

―――――誰かに好きになってもらって、誰かを好きになるだけで十分だったのに孫の顔まで見れてお嫁さんも貰えるなんて。これ以上はないわ。

これからは、私達のこともお母さんとお父さんと呼んでくれないかしら。と、温かな眼差しを向けられて無性に泣きたくなった。
親にも捨てられ、人間の底辺を生きてきたのに。それでも、この人達は迎えてくれるのだ。

―――――はい、おとうさん、おかあさん・・・ありがとう、ございます・・・

顔を覆って涙を隠すと、寄り添う男の胸板に抱き締められた。










誰か。

誰でもいい。

誰か。

誰か。

誰か。

たすけて。

お願い。

たすけて。

この子を、誰か。

ほんとうは、俺がたすけたい。ずっとそばにいたい。
けれど、もうダメなんだ。死にそうで、息をするのも苦しい。
だから。

誰か、たすけて。

俺なんかの命なんていくらでもあげるから。この子に会えて、この子を抱えることが出来ただけで。
もう十分だから。

だから、だれか、たすけて。

ああ、でも。

だれか、がいない。

俺にはだれもいない。

たすけてくれる人が、だれ一人思い浮かばない。

こんなときに、呼べる名前がひとつもないなんて。

俺は、ひとりぼっち。

ううん。

この子には、俺しかいない。

地べたの感触すらなかったが、手を伸ばして這った。どこを歩いているのかもわからなかったけれど、手に何かが当たることを願う。

せめて、この子だけは。

たすかって、ほしい。

ひとりに、ならないでほしい。

ひとりは、さびしいから。

おれが、そばにいられなくても、だれか、この子を―――――










―――――聖!聖!!しっかりしろ、聖!!!!

夢が、見える。
呼べる名前がひとつもなかったのに。呼んでもらえる名前が、俺にはまだあった。
しかも、それは、俺のすごく好きな声。
ああ、これは夢だ。
こんなときに夢を見れるなんて。きっとこの子は大丈夫だ。

―――――聖っ、僕が分かるか!!?聖っ、聖!!聖!!!

後もうちょっとだけ。
この子が無事に産まれるまで、頑張るから。だから、ちょっとだけ、ご褒美をちょうだい。
俺にも、一つだけ。ううん。あの人の名前を、一度だけ呼ばせて。
「あ、ずさ……」
そうしたら、きっと力が貰えるから。頑張れるから。
「聖!!!」
パンッ。
頬に熱い衝撃が走る。
「……へ、……?」
辛うじて薄目を開けると、
「あずさ……?」
そこには、夢が広がっていた。
きっと、目を開けたら消えてしまうから。だから開けるつもりなんてなかったのに。
消えてしまうと覚悟していたのに。
そこには、すっかり窶れてしまったけれど、ずっと夢にまで見ていた人がいた。
「聖、あともう少しの辛抱だからな!頑張れ、後少しだ、頑張ってくれ!!」
「……………ずさ……あず、さ……」
「ああ、僕だ!聖、ここにいる!!」
いるんだ。
ここに、今。
梓が、ここに。この子の父親が、そばにいてくれている。
「あずさ……っ、あず、さ、あずさあずさあずさぁっ!!!」
頬が熱かった。叩かれた痛みではなく、もっと熱いもので。
「ああ……っ。ああ!ここにいる!!ここにいるよ!!」
滅多に声を荒げない梓が、身嗜みにはいつも気を遣っている彼が、取り乱して汗すら拭わないで。それが、ここにいるのだと、現実なのだと教えてくれる。
急に、胸にあったつかえのようなものがとれた。
「あずさ…あずさ……っ!!!」
「聖、聖っ、聖!!!」
まるで、幾年も会えなかった分の逢瀬を重ねるように。俺と梓は抱き合った。
長らく呼ぶことの出来なかった名を口にして。
     
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