息が、止まった。



 縹草大皇帝国の皇帝一家に見送られて、私はとうとう瑞雨に足を踏み入れた。遙々北の帝国から、前人未踏と言っても何ら不思議ではない、南の大陸の中で年中雪が降る医療大国に。
 医療大国と言っても、年中雪が降っているし、それが国境にまで及んでいるものの他国には無く。その雪のせいか国は閉ざされており、黒雲大公国とは違う鎖国状態にあったため、その類い希なる素晴らしい医術も他国に届くには五〇年程費やした。
 瑞雨に留学生として来たのは、何もあの人に会いたかったからと言う理由だけでは無かった。元々、世界中を旅して回っていた私は瑞雨に興味がないわけでは無かった。
 瑞雨は鎖国状態ではあるが、それは意図したことではなかった。国交を他国と深めるにしろ、あまりにも瑞雨の隣国とは距離があった。雪国の隣の国へ行くだけで損失を負うことになる。
 だが、そんな過酷な環境の中でも長い歴史を築いてきた。どうやって民は生活していたのか。その歴史が気になってはいた。
 でも、やはり一番は、あの人に会いたくてたまらなかった。
 けれど、
「通せ」
 その声に、聞き覚えがあった。忘れられず、恋い焦がれたその声に体が震えた。
 会いたかった。
 そんな思いが溢れて、嬉しさで心身共に震えた。会いたくて会いたくてたまらなかった人の、夢にまで出て来て安眠を何度も妨害してくれた人の声が聞けた。遠いものではなく、現実のものとして聞こえた。
 けど、気付けなかった。おかしいと、ここで聞こえることは有り得ないと。
 現実に声が聞こえたことに、心が躍り、歓喜した。早く開けて。あの人に会わせて。心が意思に反して早く早くと柄にもなく迫る。
 私の期待に応えて目の前が開き、私はバクバクと歪に音立てる心臓を押さえ込んで、ゆっくりと歩を進めた。今は、他国の臣下なんてどうでもよかった。不思議と、その視線が浮き足立った心を落ち着かせてくれて、気にならなかった。
 歩を止め、一礼をする。その間も、突然の訪問で突き刺さる視線が痛かった。
「面を上げよ」
 その声に応えて、顔を上げた。瞬間、予想していた人の姿に見惚れた。ああ、あの時と姿形を変えても、あの人だ。
 私の探していた、あの人。
「お初にお目にかかります、主上殿下。私は胡蝶花帝国先帝の次子錦昭に御座います」
 だが、そこで漸く気付く。
 今、自分は何を言った。
 想い人を、私は何と呼んだ?
 主上殿下?
 誰が。私が?周りの人の誰かが?
 それとも、誰が…?
 彼……想い人が……?
「よくぞ参った。この後宴を催す故、長旅の疲れを癒して行くがよい」
「ご温情痛み入ります」
 彼の声で我に返り、慌てた素振りも見せず、さらりと答えた。が、そこからは何も頭に入らず、何時の間にか内官に案内されて寝所にいた。
 再び意識を取り戻し、ここが何処かと考え、多分寝所だろうと勝手に決め付けた。いや、そんなことよりも、今はあの人のことだ。
「王様…だった…だ」
 王族とは思っていた。側室の娘か息子の、末端あたりだと。
 だが、王だったなんて。そんなもの望んでない。私がお慕いしたのは、王ではない王族としての責務を全うしろと言って下さったあの人だ。
 王である、あの人なんて………。

『王にとって、王族とは唯一本音を打ち明けられるだろう兄弟同然。その王の心を煩わせるなど、恥を知れ!』

 ギリリ。歯噛みする。
 こんな思い。醜さしかない思いをするくらいなら、留学も何もかも捨てる。
「誰かおらぬか!」
「はい、大君媽媽」
「大殿へ参る。案内せよ」
「ま、媽媽…」
「さっさとせぬか!」
「はい…、媽媽」
 こんな醜い思いも、地位も名誉も将来も全て捨てて、あの人への想いも捨ててやる。
 寝所を出て、まだ不慣れな瑞雨の宮殿内を慇懃無礼にも走った。内官は追い付けず、ずっと後ろを声がガラガラになりながら追い掛けて来る。
 内官に案内させるために呼んだのに、これでは意味がない。だが、それでも勘で大殿の場所を突き止めた。
「殿下に私が参ったと伝えろ」
 荒くなることない息は、きっと心が逸っていて荒くならない。
「しかし、大君媽媽…」
「伝えろ!」
「ち、殿下はお休み中でして…」
「構うか。早くしろ」
「で、ですが…誰も通すなとのご命令でして……ま、媽媽!」
 内官の止める声など耳に入れず、勝手に中に入る。そして、誰も入れるなと言ってから閉めた。
 暫く内官達が騒々しいこともあって、佇んでいたが、やがて諦めたのか静かになった。それを皮切りにして、ゆっくりと眠りについていた想い人を振り返った。
 寝息がこちらまで聞こえ、つられるようにそっと隣に膝を下ろした。眠っている姿を、まじまじと改めて尊顔を拝見する。睫は短く、切れ長の瞳は伏せられ隠されていて、キリリと高い鼻筋にシュッとしまった顎。
 あの時と同じ、あの人の顔。
「あなたに、お会いしたかった」
     
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