「主上殿下。錦昭大君媽媽が謁見に参られております」
「通せ」
 便殿に響いた内官の声に、緊張が増す。努めて冷静に放った言葉は、果たして緊張で震えてなかっただろうか。
 しずしずと控え目にして現れた貴人に、瞬間、王は息が止まった。やはりかと再確認し、胸中で違うことを願っていたことを叩きつけられた。
 だから、王は決して貴人と視線を合わせようとはしなかった。仮令、貴人が頭を下げながら歩み寄って来ていたとしても、その姿を視界に入れることはしなかった。
 歩みが止まり、玉座の前に佇む錦昭大君に合わせ、後ろに控えていた数人の胡蝶花帝国の重臣一行も足を止めた。彼らに頭を上げろと命じ、一行の頭がゆっくりゆっくりと上げられ、それを横目でちらと見るに止めた。
「お初にお目にかかります、主上殿下。私は胡蝶花帝国先帝の次子錦昭に御座います」
「よくぞ参った。この後宴を催す故、長旅の疲れを癒して行くがよい」
「ご温情痛み入ります」
 慇懃に頭を下げた錦昭大君に、王は自国臣下を見渡した。唐突に訪いを入れた胡蝶花の重臣を緊迫に包まれた瞳で、濁った目を曇らせていた。
「……さて、錦昭大君。今回の訪問の理由を尋ねようか」
 僅かに間を空けて、今まで見ることのなかった錦昭大君の顔を見下ろした。漆が塗られた様な美しい黒髪の頭が上げられ、視線が合わさった。
「留学を希望しております」
 そして、大君はハッキリとそう宣言した。
「留学、と…言ったか」
「はい、殿下」
 分からなかった。わざわざ留学希望と言って、この国に留まろうとする理由が。あの時、喝を入れてやったにもかかわらず、だ。
「学問に興味を持つなら、瓊玉がいいのではないか」
 王の言葉に臣下はざっとざわめいた。当たり前だ。この国に留学に来たと言うことは、国交にも繋がり、この国の長所を祖国に知らせることが出来る。そうすれば国は栄え、留学者も増えて国は豊かになるだろう。
 それなのに、王自身が国を省みず、こんな発言をすることは国を滅ぼす気かと疑われる。更に、他国を指名するなんて有り得ない。
「瓊玉には国政殿と言う機関もある。大君がこの国をわざわざ選ぶ理由が分からないな」
「殿下!」
 臣下が王に諫言をしようとするのを手で制し、何か言う前に口を開く。
「言いたいことは分かる」
 彼は臣下で自分の利益を優先する人間ではあるが、これは国の利益を増やす話なのだ。元々、瑞雨は南の大陸のくせに年中雪が降る国で、医療大国と言ってはいるが都に入るのも苦難の技だ。
 そこを、わざわざ何を好き好んでかは知らないが、この国に留学しようと言う奇特な奴がいるのだ。これを引き込まないなんて、馬鹿な話があるか。
「恐れながら、殿下」
 しかし、大君は瞳の輝きを消そうとしなかった。
「国には民族があり、伝統があり、文化があります。瓊玉にないものが、瑞雨にあってもおかしくありません」
「ほう……だから?」
「私は瑞雨で学びたいのです」
 ただ、それだけだと。大君はまっすぐにこちらを見詰めて、言った。
「良かろう。そなたの好きにするがいい」
 それを王が断れば、逆に非難を浴びるに違いない。分が悪い。そう思い、感情を面に出すことなく許可した。
「但し――」
 臣下達が再び騒々しくなったのを煩わしく感じながら、今度は鬱陶しくて制する気にもなれず、大君をまじまじと改めて見詰めた。こちらがどんな手を切り出しても、表情一つ変えないなんて可愛げの欠片もない。
「但し、大君は客人としてではなく、我が国の大君と同じ扱いをさせてもらう。異論があるか」
「いいえ、殿下」
「それでは、判内侍府事。大君を寝所へ案内せよ」
「は、はい。殿下」
 判内侍府事は慌てた様子で、胡蝶花帝国の使臣を案内するために便殿を退室した。自国の臣下は、嵐が去ったかのように、又、今まで息を止めていた分を思い切り吐き出すように息を吐き出した。
 それを情けないと思いつつも、敢えて口に出すことなく、王は便殿から立ち去った。このままこの場にいたくなかった。
 便殿を出ると、内官が慌てて追い付いた。女官達もそれに続き、王が歩くだけで蟻の行列だ。天高い場所から見下ろせば、蟻の行列で気持ち悪いだろう。
 王は大殿に向かっていた。今、庭を散策したところでぞろぞろと大行列を作るだけで、うざったらしさを感じるだけだ。今は、何も考えたくなかった。
 思った以上の早足だったらしく、予想外にも大殿に着くのは早かった。
 内官に誰も近寄らせるなと指示してから、鬱陶しさから逃れるために床についた。様々な頭の中を目まぐるしく巡る雑念を振り払い、頭を休めることに集中した。
 王の希望通りの、眠りが王を夢の中へと誘うのは、それから半刻も経たなかった。
     
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