「おお、兄ちゃん。いいとこに来たな」
 やっぱりそう来たか。金蔓にならないと踏んで、金を巻き上げようと胸倉を掴んでいた両班をポイと捨てて、下卑た笑いで近寄ってくる。金を巻き上げられれば、一国の名折れだ。反対にここで逃げれば、両班がまた狙われ、それに王の誇りを傷付ける。
 さて、どうしようか。
 王は下卑た笑いを零す男を真っ正面に対峙しながら、冷や汗一つ流れてこない現状に何だかおかしくなる。にまりと浮かべた笑みに男の沸点を刺激してしまったらしく、憤怒の面持ちで近寄る歩幅が大きくなる。
 王はニヒルな笑みを浮かべた後、ベタにあっと男の後方を指して叫んだ。男が振り向くはずもなく、しかし王はそれを見越していたように両班に視線を投じる。両班は視線を察し、次いで王を振り切り背を向けて走り出した。
 男はすぐにそれに気付くと、王を鬼のような形相で睨み付けた。王はひらひらと気にした様子もなく手を振り、次の瞬間には身を翻して一目散に駆け出した。
「待てゴルァァア!」
「……誰が待つか」
 男の叫びに、王は走りながら冷静に答えた。



 肩で荒い息を吐きながら、王は胸を押さえて息を鎮める。随分長い間、走ると言うことをしてこなかったから苦しい。
 乱れた息を直していると、足音が聞こえて目の前に人影が現れた。あのチンピラかと思って、異常な早さで追い付いたなと逆に感心して顔を上げると、見上げた先にいたのはチンピラではなく、あの年若い両班の身なりをした男だった。
「大丈夫ですか」
「ああ、大事ない」
 両班は手巾を取り出して、王の額の玉のような汗を拭う。涼しさが額を掠めて入り込み、心地良い風に目を閉じた。すると鼻先を梅の香りが掠め、何処からか気になって瞼を開いた。
「礼を言う」
「いいえ。こちらこそ、助けて下さったことに礼を申します」
 慇懃に辞儀をして、両班の身なりをした者は礼儀を尽くした。両班と言っても、どちらかと言うと下層の両班の身なりをしていた。
「助けて頂いたご恩をお返ししたいのですが、生憎旅の途中なもので……」
「旅?どちらからいらした」
「胡蝶花からです」
「胡蝶花…。随分遠い場所から参ったのだな」
 胡蝶花帝国はここ桃李大陸よりずっと北、黄塵大陸を越えた玄月大陸の西にある国だ。そんなところから来るなんて、一年どころの話では済まない。気の迷いでもなければ、こんな南の大陸に来るわけがないのだ。
「何故、こんなところまで旅を…」
「私は次男ですので、兄が家督を継ぎます。よって、私がフラフラしても問題無いのです」
「だからと言って…」
「世界を見てみたかったんです」
 楽しそうにニコリと笑う両班に、王も心が解れる気持ちになった。旅が楽しいのだと見て取れたからだ。
「あ。でも、いざとなったら、弟に継がせます」
「そうか…」
 律儀にもしものことまで話す両班に、王は微苦笑した。何もそこまで言わなくても、と。
 両班は隣に座ると、手を差し出してきた。くるくると次々に色んな行動をしてみせる両班らしからぬ両班に、王は何時の間にからしくない笑みを漏らしていたことに気付き、慌てて表情を戻した。
「私は魯柾です。貴公のお名前を窺っても?」
「………」
 王は瞠目した。名前を聞かれたことに、ではなく、彼の名前に。今、何と言った。魯柾だと?それに胡蝶花帝国から来たと言っていたし、次男だと言った。
「……如何された?」
 今、胡蝶花帝国の第二王子は行方を眩ませている。それが本当なら、彼は間違い無く第二王子だ。帝王が率先して探していると言うのに、彼は暢気に旅だと。
「それが王室の人間のやることか!」
「……っ。な、何故、それを…」
「バカ正直に名前を名乗るか、普通」
 王である彼は、生まれてからずっと将来を決められて生きてきた。それが王たる者の責務であり、王室に生まれたからこその責任だ。
 王室の人間は王を支え、民を支えなければならない。それなのに、民の血税で生きてきた王子が暢気に旅だなんて。
「生まれは生まれ。お前が王室に生まれたことを嘆くより、その果てに旅に出るよりも。お前は王を支えねばならないのではないか?」
「何を分かった口を……第一、私が第二王子と知るならその態度は…」
「慇懃無礼、だと?ふざけるな。王を見捨てておきながら…ッ。胡蝶花帝王が哀れだ。王は一人、中殿にも気を遣わねばならず、心休まる時など一時もない」
 たまの息抜きだって、誰にも見つからぬようコソコソ盗人のように身を潜めなければならない。王座と言うものが、どれだけ苦痛に満ちていることか。
「王にとって、王族とは唯一本音を打ち明けられるだろう兄弟同然。その王の心を煩わせるなど、恥を知れ!」
 王は何時しか帝王に自分を重ね、第二王子に怒りの矛先を変え、今までの鬱憤をぶつけていた。

     
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