華淵は体を起こした。
 そして、まだ寝ぼけ眼の目をごしごし擦って、しぱしぱする目を最大限まで開いた。
「ここ………」
 呟く。
 やはり、おかしい。
 華淵は夢かとも思ったが現実だったことに何故か安堵し、房の中を観察する。
 それほど綺麗ではなかった。が、適度に整理されているし汚いというわけでもなかった。一言で言うなら、質素。
 物も最低限の、生活出来るものしかない。
 おかしい。また、思った。
 どうやら今の今まで眠っていたらしく、華淵は布団の中にいる。両隣も布団があり、房の端まで並んでいる。もっとも、その中に人の姿はない。
 だから、おかしいのだ。
 華淵はここに寝ていたと言うのに、ここに全く覚えがない。少なくとも父孝遠君の屋敷内ではない。
 と、そこに、華淵の記憶を呼び覚まさせる人物が姿を現した。
「おう、起きたか」
「あ、あなたは………!」
 言わずもがな、安冷源だ。
 華淵は安冷源の顔で思い出した。
 そうだ。安冷源に弟子入りに来たのだ。
 何日でも待つ構えだったが運良く安冷源に会えて、ホッと息を吐いたのも束の間。弟子入りを断られたのだ。鼻をほじりながら。
 まるで走馬灯宛ら、みるみるうちに記憶が戻ってくる。残念ながら、そこで記憶が途切れていてその後どうなったのかとか、何故ここにいるのかとかは分からない。
「体調はどうだ、わけえの」
「あ、はい。それより、私は何故ここに………」
「何だ。覚えてないのか」
 安冷源の言葉の端々には華淵を弟子としてくれるようなものは見あたらなく、それどころかとっとと帰れと言わんばかりだ。体調を気遣うふりして元気なら帰れなんて、それでも医員の端くれか。いや、端くれどころかど真ん中に座っているが。
 華淵は突き刺さる言葉にもめげず、安冷源に問いた。
 すると、安冷源は目を瞠り呆然と華淵を見詰めた。
「ったく、お前は………。あんなあちい中座り込みして倒れない自信でもあったのか?え?」
「あ………」
 言われてみれば、あんな茹だるような暑さの中、あれだけ長い時間座り込みして倒れないわけがなかった。だから記憶が途中でぷつりと切れているのだ。
 華淵は自分の失態に恥ずかしくなった。布団の中に丸まって隠れたい。こんなところを尊敬する安冷源に見られるなんて、一生の不覚。
「お前はこの忙殺されそうな時に、手を煩わせに来たのか」
「ち、違います!」
「ほーう?じゃあ、この猫の手も借りたい時に面倒を増やしたのはどう説明する?」
「うっ。そ、それを言われたら………」
 反論のしようもありませんが。と、華淵は言った。全くその通りだったから本当に反駁出来なくて、言葉も徐々に勢いを失った。
 が、しかし、否定しながら華淵はあれ、と思った。
 弟子云々について触れられないことに。
「ったくよ。倒れるなら余所でやんな。お前のために割いてやる時間はこれっぽっちもないんだよ」
 頭をバリバリと掻き、気だるげに安冷源は言った。
 実際、医院というのは人の命を預かる場所。忙しくないなんてことはないだろう。
 けれど、華淵はそれで確信を得た。
 安冷源は倒れるなら余所でと、ハッキリ言った。それが指すところはつまり、触れないことで無かったことにしようとしている弟子にする云々について話すことはないと、言下に訴えていた。
「安医員様」
 だが、
「んあー?」
「私の言ったことを覚えていますね?」
 そんなの想定内だ。
 華淵は欠伸でもしだしそうな尊敬している人を見据え、口火を切った。
 このままのらりくらりかわすなら、先手を打った方がマシだ。
 安冷源は一拍置いて、頭を掻いていた手で目元を覆った。
「いいやぁ。覚えてないねぇ」
 唇がニヤと形作られる。が、それに反して目が笑っていない。見なくとも分かった。
「私を弟子にしてください」
「やだね」
「お願いします」
「いーやだ」
 押し問答にすらなっていなかった。
 予想はしていたものの、適当な相槌しか返ってこないのは堪える。意気消沈、今すぐ枕に突っ伏したい。
 上監媽媽や中殿媽媽から許しを頂けたから、後は説得するだけだと思っていた。最大の難関だった両親には報告したし、もう医員になれる気でいた。
 甘かった。
 夢まで後一歩というところでこうもふんづまるとは。安冷源という人間を甘く見ていた。ちょっと話せばすぐ落ちると。
 しかし、現実はそんなものじゃなかった。
「お願いします。病に倒れた民草を私は救いたいのです」
 それでも夢は諦めるものじゃない。そう思う。
 安冷源の肩が一瞬だが、ピクリと動いたような気がした。気のせいかもしれない。が、華淵は息を詰めて安冷源を黙視した。
 まだ安冷源には何かがあると、華淵は何故かそう思っていた。それも確信もないのに辛抱強く待った。
     
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