愛が消える時
「最低ね。別れて正解だわ」
 そう言った君を、僕は今でも覚えている。



 初めて出逢った時、僕は彼女に一目惚れした。可愛くて、でも強がりで、それなのに明るくて元気で。可愛いものがぎゅっと凝縮されたみたいな彼女を、一目で好きになった。
 すぐに告白したら、可愛い顔を更に可愛く真っ赤にさせて頷いた。
 僕は、天にも昇るような気持ちだった。
 それから、僕は彼女を箱入り娘宛ら大事に大事にした。お付き合いをしている恋人とは言い難い、それはまるでお姫様と執事のような関係に見えなくもなかった。
 けれど、僕は彼女を大事に出来ることが何よりも嬉しかったのだ。今日という日に彼女がいること、彼女が僕の隣にいてくれることが嬉しくて、ついつい従者みたいに何から何まで世話を焼いてしまった。
 彼女は照れながら、恥ずかしがりながら、それでも最後は真っ赤になりながら受け入れてくれた。そして、有難う、って言ってくれた。
 僕は、それを聞くだけで嬉しくなって。また、同じことを繰り返してしまうんだ。
 だけど、それも泡沫の夢。
 僕の新しい日常は、そう時を置かずに壊れてしまった。
 ある日のこと、僕は、突然前触れもなく倒れた。意識は混濁し、丁度居合わせた弟が救急車を呼んでいなかったら間に合わなかっただろう。
 ああ、でも。大して変わらなかったかもしれない。
 病院に運ばれた僕に主治医は、余命宣告をした。
 普通は患者を混乱させないために家族にだけ告げるけど、僕は何となく予感というものがしていて、無理矢理に聞き出した。
 僕がここにいられるのは、後半年。否、それも保たないかもしれないということだった。
 半年。ってことは、六ヶ月。それが、僕の砂時計の残り。
 頭が真っ白になる、とはよく言ったものだが。この時、僕はそうはならなかった。
 半年、という言葉が大きく頭の中を占拠して離れなかった。
 短いようで長くも感じるその期間に、実感なんてまず沸くはずもなくて。僕はただ、ぼんやりと残りの砂時計を感じるしかなかった。
 だが、ある時、ふと思った。
 待って。
 それは、彼女の隣にいられる残りの時間じゃない?
 ってことは、僕はもう彼女の隣にはいられないの?
 彼女に何かをしてあげることも。
 彼女の有難うっていう言葉も。
 彼女の真っ赤になった顔も。
 僕は、もう彼女の隣で噛み締めることが出来ないっていうこと?
 鈍かった僕は漸くその結論に辿り着き、瞬時に事の深刻さを悟った。
 そうしたら、残りの砂時計が怖くなった。
 この砂が全て落ちきる頃には、僕はもう彼女の隣にいられない。
 嫌だ。
 嫌だ。
 嫌だ。
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 僕は、彼女といたい。もっと彼女の側で、彼女だけを見たい。彼女に何かしてあげて、笑わせてあげたい。その顔をずっと見ていたい。
 顔や手がしわくちゃになってもずっと彼女と生きたい。
 僕は、やっと主治医の宣告した残りの砂時計の怖さが分かった。
 同時に、嘘だと否定した。
 だけど、それは覆らなかった。
 何で僕が。何で。やっと彼女と歩けるようになったのに、何で。
 嫌だよ。僕は、彼女と生きたい。彼女の笑っている顔が見たい。泣いている顔も怒っている顔も、どんな顔もどんなことでも彼女と分かち合いたい。
「どうしたの?」
「え?」
 そんな時のことだった。
 何時もと様子の違う僕に、彼女が不安そうな様相で問い掛けたのは。
「最近、変よ。どうかしたの?………何か、あったの?」
 それは、思いもよらないことだった。
 僕は自分のことで手一杯で、彼女のことなんてちっとも考えてなんていなくて取り繕うなんて出来なかった。だから、まさか彼女が最近の僕の様子に不安を抱いているなんて知る由もなかった。
 僕は、彼女のために何かしてあげたいと常日頃から思っていた。それは自己満足で、僕もそれを十二分に分かっていた。
 そして、僕は気付く。
 本当に僕は自分勝手で、自分のことだけしか考えていなくて、彼女のことなんてちっとも頭を過ぎりもしなかったことに。
 なんて最低な奴なんだろう、僕は。
「別れて」
 気付いた僕が、彼女に言った言葉は彼女を貶めるものだった。



「兄貴」
 遠くで、弟が僕を呼ぶ声が聞こえた。
 でも、何処から僕を呼んでいるのか分からない。弟が何処にいるのか、真っ暗でぼんやりしていて分からない。
 こんな冷たい場所にいたくないのに。僕は何時だって彼女の隣にいたい。
 彼女の隣の温かさを忘れるはずもない。
 今、どうしているんだろうか。
 別れを願った僕に彼女は信じられないような顔で、嘘だと言った。そんなはずはない、と。何があったのか話して、と。別れを告げた勝手な僕を、それでも信じてくれた。案じてくれた。
 しかし、僕は彼女を散々に貶した。
 彼女は、僕の台詞に次第に顔を悲痛に歪めて、最後には怒りも混じった表情で僕の頬を張った。
 僕は去っていく彼女の背中に、それでも容赦なく彼女を貶める言葉を浴びせかけた。
 それきり僕らは一度も会っていない。
 それからの僕は、まるで人が変わった様に遊び歩いた。毎日違う女性を連れ歩き、時には二人以上も連れた。
 それは、残りの砂時計がなくなるまで。
 僕の残りの砂時計は、もう一握りもない。ひとつまみもない。
 何時だったか、彼女が言っていた。
「最低ね。別れて正解だったわ」
 その言葉が、今でも喉につっかえている。
 それでいい、と思う一方で悲しかった。もう彼女といられないと叩き付けられた感じがして。
 それも、もう間も無く終わることを予兆もなく感じた。
 青空を眺め、終わる日々。
 今では、この青色が怖くて仕方無い。僕が好きなのは、赤色だ。真っ赤な赤色。彼女と同じ色。
 ああ、彼女は今どうしているかな。
 笑っているといい。
 でも、泣いている顔も怒っている顔も可愛いから、また見たい。
 元気になったら、遠くから見たいな。見えるかな。見てもいいかな。
「……………」
 彼女の名前を呟く。混濁した意識の中で、それは放たれた。
「……………」
 また、呟いた。
 ゆるゆる、と瞼を開けようと力を込めたが、視界は真っ暗なままだった。
 目を開けたら、彼女がそこにいるような気がしたのに。
 何だか疲れた。どっと疲れて、また一眠りしてから。それから、彼女に会いに行こうと思った。
 力が抜けていく。そうすると、楽になった。
 もう一回眠ったら、今度は楽に起き上がれる気がした。
 それから―――、



 元気になって、また会えたら謝ろう。多分、彼女を傷付けてしまったことは変えられないけど。

 やっぱり、僕は彼女と生きたいんだ。


 それから、想いが、消えた。
 約束に、変えて。




     
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