正義と勝利と
 ざら、と口の中を砂粒が転がった。じゃり、という食感と苦みが後から広がって吐き捨てた。
 のろのろと瞼を上げた。
 砂塵が舞い上がり、視界が安定しない。何処に敵がいて誰が敵かの区別が判然とせず、吹き荒れる砂塵が闘気を駆り立てた。
 聞こえるのは、剣のぶつかり合う音。数多の戦場を潜り抜けてきた猛者の雄叫び。人の血肉を躊躇なく斬る音。
 それらは何れも、砂塵の中から鮮明に聞こえてきた。昔からの友のように耳に残る心地良い音だった。
 それを、戦場で倒れながら確かめていた。
 何故、と聞かれても分からなかった。どうやら意識を失っていたらしい、ということは分かる。しかし、斬られた痕も痛みもなく前後の感覚も丸っとない。
 こんなことは初めてだった。今まで数々の戦場を駆ってきたが、倒れるなんてことはなかった。剰え、その理由も前後の記憶も不明だなんて有り得なかった。
 とうとう自分は戦場に負けたのだろうか。
 ―――否。まだだ。まだ、立てる。
 力の全く入っていなかった身体に、今更ながら力を注ぎ込む。力を入れることすらも忘れてしまった自分に、少なからずも愕然とした。
 ふと、その時、視界の中に覚えのある影を捕らえた。
 刹那、頭の余計な思念が弾けて散り、霧散して消えた。
 この砂塵荒れ狂う中で捕らえられたことと、この時期。黄龍の思し召しに違いない。思わず、口端がつり上がった。
 はっきりとしない視界の中、改めてまじまじと見詰める。
 間違い無い。彼奴だ。
 まるで前世からの因縁だったかのように胸が高鳴り、鼓動が慌ただしく脈打つ。これをときめきと言うなら、成る程良いものだ。
 ゆうらり、と起き上がった。驚くことに、身体のあちこちが軋んでいた。
 座った体勢で剣を探す。意外にも、ものの数秒も経たない内に手に当たった。
 愛剣は、がらくた同然にその辺に転がっていた。少なくとも半生は共に生きてきた剣が、まるで錆び付いてしまったかのように打ち捨てられていたのだ。
 よくもまあ、誰も取らなかったものだ。と、おかしくて笑う。
 柄を握ると、これまた前世から深い縁で繋がっていたと確信する程ぴたっと掌に収まった。吸い付くようでもあり、紛れもなく自分のものだと思った。
 誰も盗らなかったのなら、好都合。
 剣を支えにして、すっくと立ち上がった。一気に砂塵の世界がぐんっと広がった。
 乾いた血の臭い。生々しい血の臭い。根付いたそれらが、呼吸をすると胸の中へと入ってくる。
 ああ、ここだ。
 一瞬にして戦場に帰ってきた。
 影を探す。までもなく、すぐに視界の中に見つけた。まだいる。
 すると身体中の血が漲り、一も二もなく駆け出していた。足取りは軽かった。きっと身体が戦場に慣れてきたのだ。さっきとは驚然とするくらい身体が軽い。
 砂塵を風で切る音が、びゅうびゅうと耳にこびり付く。
 剣をも折ると云われている鎧の重さが懐かしい。
 戦場を突っ走る自分を目敏く見つけた敵が、四方八方から敢然とぶつかってきた。爛々と眸子は闘争心に光り、言うならばそれは剣に操られているようだった。
 猛々しくも、今にも襲いかからんと躍りかかる敵が邪魔で仕方無かった。ずっと捕らえていた影が見えなくなりそうで、邪魔だと叫んだ。
 但し、それを聞き入れるような輩じゃない。
 敵は聞く耳も塞ぎ、自分を倒すことだけを考えていた。何時もならただ興奮するだけのそれが、今は気を萎えさせる。
 だからと言って、やられる気は毛頭ない。
 剣を振る。風を斬る音がして、次いで血肉を斬った感触と音がした。
 噴水の様に噴き出した血が、顔や身体に飛び散った。こびり付いた血は、拭き取らなかった。
 一人斬ると、次々と敵は沸いて出た。余りにも多くなり、げんなりとする。
 仕方なしに真ん中を突っ切った。強行突破しかない。
 剣を適当に振る。大振りだから当たらないだろうとたかを括っていたが、ところがどっこい、血肉を斬る感触があった。
 こんなものでも当たるとは、と半ば感心する。残りは呆れだ。
 風が唸る。
 剣は、歓喜に悶えた。
 予想外に血肉を食って、飢えていたところに餌を貰ったので興奮している。もっとくれ、とまだ食っているのに今にも暴れ出しそうで苦笑した。
 あまり暴れてくれるなよ。御しつつ、良くやったと褒めてやる。
 もっと食え。だが、それに惑わされるなよ。
 もっとも、それは自分の力量の問題だが。
 駆けて、駆けて、駆け続けて。漸く影と見えた。
 影は、まるで自分が来るのを待っていたかの如く、辿り着いたと同時に振り向いた。双眸が瞠られる。
 影は、自分をじっと見据えた。お返しとばかりに見返す。
 名を呼んだかは分からない。
 気付けばどちらからともなく、弾かれたように雄叫びをあげてぶつかり合った。
 一太刀、二太刀。剣が交錯する。ぶつかり合う音も交錯する音も嫌いではなかった。寧ろ、心地良い。
「何故だ!何故に抗う。あの方こそ真の王、次の王位を戴く方よ」
 交錯した剣の向こう側から、訊ねられた。
 何故?反芻して、訝しむ。真っ向から問われたのに、全く質問の意味が掴めなかった。
 それが、一門の選んだ道だったから。
「お前の正義は何だ。こんなくだらん戦いに興じることが、お前の正義か!」
 くだらない?興じる?
 違う。違う、違う、違う。
 少なくとも、こんな、といわれるものじゃない。
 戦いだ。どちらが強いか。死ぬか。生きるか。
 そこに政争や自分の意思はない。
 ぎり、と歯軋りした。腑抜けたか、と敵なのに悔しくなる。
 剣を弾いた。相手は後退し、体勢を立て直す。
 その眼は、好きだったものが抜け落ちていた。
「正しいと証明するために勝つ。それだけよ!」
「……それが、お前の正義か」
 相手が、愕然と呟く。顔には大きく失望したと書いてある。
 そうか。お前は、失望したか。―――ならば、好都合。
 また、雄叫びをあげた。相手に剣の刃を向けた。
 すると、相手はこれ以上ないくらいに瞠目した。まるで予想だにしなかった、とでも言う様に。
 にっ、と笑う。
 頼むから、少しはましな方でいてくれよ。
すると、相手の顔からつきものがとれたような感じがした。長たらしい名分を掲げているよりも好きな目が覗く。言葉にせずとも伝わったような気がした。
「ならば、俺も本気でいこう。それが、友に対する礼儀というものよ」
 相手がにっ、と笑った。
 少しだけ驚き、そして、
「おう」
 そして、同時に飛び掛かり―――黒が包んだ。



 後に継承の乱と称される乱は、軒浦関の戦いで先々王庶長子軍が勝利する。
 破れた先王庶長子は、賜薬を下された直後に首を麻縄で括らせ、遺体は車裂きにして首級以外を河へ投棄。首級は大逆罪人として吊された。
 しかし五年後、敗れた先王庶長子の長子が反旗を翻す。王都攻防戦に持ち込んだ庶長子軍に、王は奮迅するも敗れ去る。これを、都城に準えて近戸の乱という。
 先王庶長子の長子は王を廃し、自ら王位に着く。王、廃主を遠地へと流し後に賜薬を下す。
 翌年、新王による治世が始まるも長くは続かず。
 一年後、他国より攻め入られ王都攻防戦に奮迅するも陥落。これを近戸の変という。
 王は、他国の王の眼前で自刃を赦され自害。玉体は、陵ではなく園へと葬られる。



 そして、長い戦いは幕を閉じた。
     
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