風紀委員長の憂鬱
 恋人というのは、可愛いものだ。
 それは誰にだって同じ。
 特に付き合いたてなんかは、顔から火が出るくらい恥ずかしいことをしても可愛いとか言って許して、後で思い出して巻き添え食らって顔が発火する。宛ら恋人が世界の中心のようで、それ以外は何を捨ててもいい!と、これまたこっぱずかしいことを考えたりもする。
 付き合いたてでなくとも、恋人は可愛い。付き合いたては砂糖吐くくらい甘ったるい空気だったが、それも漸く落ち着き、それでもやっぱり恋人は可愛かった。
 何をしたって許せるし、何をしても可愛いと思う。脆くて弱く見えて、ちょっと何かしたら守りたくなるし危険だと過剰に心配する。信じてないわけではない。
 それが、愛。いや、惚れた弱み。
 これが普通とひけらかしているのではない。恋人だからこそ、自分の心を与えるのだ。
 しかし。
 ただ、しかし。
 私の恋人は少々おバカさんだ。
 頭は悪くない。寧ろ、風紀委員長を務める程優秀だ。本人もそれを幼少の砌から自覚し、それに見合った行動をとるようにしている。それが傍目にもあからさまで自信に満ち溢れ、ともすれば色んな類の敵をそこかしこに作りそうだ。まあ、そこまで案じてはいない。
 ただ、
「蓮見」
「……………」
 ただ、
「蓮見」
「……………」
 ただ、
「はす」
「るせえ!」
「………なら、そろそろ止めなさい」
「んだよ、おへはひま、ひぶんとほたたはひふーはんだよ!」
「………」
 少々、頭が弱いんだ。



 八月一日蓮見、十五歳。十二月生まれだが、八月一日は苗字だ。ホヅミ、と読む。
 中等部風紀委員長を務める程の頭脳を持ち、対極にある生徒会長に劣らない、寧ろ同等の実力を持つ優秀で類い希なる才能を秘めた子。容貌も遜色なく、お陰で周りが放っておかないという、何とも恵まれた子。
 そして、可愛い私の恋人。
 なのだが、今現在の蓮見からはそう言った人間離れした何かを感じさせるものは微塵もない。否、別な意味では感じさせる。だが、普段の彼からはあまりにも懸け離れていた。
 蓮見は、デスクの前にあるソファーに座っている。こちらからは背中しか見えないが、何をしているのか、何がどうなっているのかが考えなくとも分かる。最早、慣習だった。
 溜息は出ない。ただ、そうする彼に少し寂しく感じる。
 まあ、それも仕方無い、と自分の中で踏ん切りをつける。出口の見えないそれは、何時しか考えるのも諦観する領域に入っている。
「蓮見、そうは言ってもね………」
「………うっ」
 もう一度制止の声をかけようとしたところで、蓮見は突如口元を手で覆った。
 思わず、あ、と声を漏らした次の間にはじたばたと唸り声をあげてもがく恋人の姿があった。口をキュッと真一文字に結び、テーブルを叩いている。ぐーで。
 それ、一般人が真っ青になるくらい高かったんだが………やっぱり分からないよなぁ、としみじみと思った。そうしている間にも、テーブルは恋人の力一杯の鉄拳の連続に耐え続けているから素晴らしい。
「うーうーうー!」
 あ、ヤバい。
 声が変わったことに気付き、デスクから勢い良く立ち上がる。呑気に観察なんかしてる場合ではなかった。
 デスクの横に常備している特大バケツを取り、さっと蓮見の目の前に置く。
 蓮見は瞬時に特大バケツに顔を突っ込み、
「うげろぉー…………お、う、えええー」
 吐いた。
 文字通り、それはもう見事に吐いた。
 漫画ならキラキラしたトーンが貼られるが、生憎現物。色んな意味でキラキラしている。
 蓮見は、それから暫く吐き続けた。眉目秀麗な風紀委員長の二つ名が霞むくらい、そりゃあもう盛大に。
 バケツの中には、きっと蓮見がバカみたいに食いまくっていた洋菓子が見るも無惨な形になっているだろう。原形を留めていないに違いない。
 一度うっかり見てしまったそれをうっかり思い出して、ぶるりと身震いした。恋人のものであっても流石にあれはキツい。幻滅とか嫌いとかではなく、あれは無理。
 嘔吐が終わったところで、未だ特大バケツに顔を突っ込んだままの蓮見の背中を撫でてやる。………うん、臭い。後で換気しよう。
「あーあ。だから言ったのに、止めておきなさいって」
「るせ、お゛え゛ろー………」
「勉強は出来るし、仕事も出来る。なのに、何でこんな明らかにおバカさんなことするかな。ねえ、蓮見」
「うっせ、お前にはあ゛ーぁ゛あ゛あ゛あ゛!」
「はいはい、関係ないんですよね。なら、ここじゃなくて自分の部屋ですればいいでしょうが。一人部屋だし、ストックはあるでしょ」
「俺の!げぇぇぇー」
「俺の勝手、ねぇ。人の執務室で吐いておいて、勝手も何もないと思うけど」
 それでも、蓮見はここへ来て甘ったるい洋菓子をバカみたいに食べる。それも、本来なら大嫌いで食べられないのに、たがが外れたように。
 その理由は何となく想像が着くけれど。本人がそのことに触れてほしくなくても、触れる。
 だって、恋人なのだ。可愛い恋人には、突かれたくないことも話してほしい。小さな秘密一つも作ってほしくない。その秘密すら共有したい。
「ねぇ、蓮見。愛しているよ、ずっとずっと君を」
 突然の告白に、蓮見は何も言わない。言えないだけかもしれなかった。
 それを良いことに、これ幸いとペラペラと続きをまくし立てる。
「だからねぇ、君の苦しいを共有出来ないのは辛いし苦しい」
 それも共有している内に入るのか。ふと、思った。
 否。そんなんじゃない。共有じゃなく、傷付け合っているに過ぎない。
「―――どうしたの、って聞いてもいいかい。蓮見」
 ねぇ、仮令、自分の中で整理をつけたいのだとしても。
 言ってほしい、って思うんだよ。我が儘な程に。
「…………………………うん」
 弱く、けれど決して離さないように掴まれたスーツの裾に破顔した。
     
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