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「では、まず乾杯からしましょう」
何時もふざけてばかりのお調子者な幹事が、咳払いして改まったように言った。
ビールがなみなみと注がれたジョッキを手に、皆、幹事の次なる言葉をまだかまだかと待つ。早く飲みたくて仕方無いと態度から分かってしまい、男鹿は内心苦笑を隠せない。
やっぱり飲みたいんだよなぁ、と何処か他人事だ。
幹事がジョッキを掲げる。ともすれば、泡が零れかねないくらい勢い良く。
そして、
「かんぱーい!」
合コンは、乾杯をしていく声により始まった。
が、男鹿は十分も経たない内にそわそわと落ち着かない心持ちになってしまった。
もじもじしそうな自分を、駄目だ、と懸命に叱咤する。
気持ちを上手く変えれば何とかなる―――なんてことはなかった。否、気持ちの方が下手をすれば口先からポロッと零れてしまいそうだ。
男鹿は、内心頭を抱える。
どうしよう。
行くって言ったけど、っていうか来てるけど、現在進行形で真っ只中だけど。やっぱり何時も通り超つまんねぇ。
困った。非常に困った。
適当に合わせてはいるし、浮いてはいないと思う。盛り上がっていないわけじゃないし、寧ろ楽しい。
はずなのに、男鹿はのっていなかった。空気読めていないくらい、内心のれていなかった。皆がワイワイ楽しんでいるのに、心では一人しーんとしていて、現実だったら目で殺されているかもしれない。
それ程、男鹿は楽しくなかった。
原因は分かっている。一目瞭然だ。詰まるところ、結局は恋人しか眼中にないのだ。こんな気持ちのまま合コンに参加したって、気持ちが追い付いていけるはずがないのだ。
いくら納得させようとも、気持ちは正直だ。
今は、恋人に会いたくて仕方がない。こんな所にいる自分が情けなく思えてきて、小さな矜持すら自分自身で踏み潰したみたいにボロボロだった。
幸い外面だけは無駄にいいので、雰囲気を悪くさせるようなことはなかった。そんなことになったら、あの狭苦しい閉鎖的な学園の教師から爪弾きにされる。そしたら、これからの学園での教師生活はおしまいだ。並大抵の学校ではなく、閉鎖された空間では些細な失態が尾を引く。それだけは何としてでも避けたかった。
でも、気持ちはささくれ立っていた。
こんなことしなければ良かった。もうちょっと恋人を信じて、ちゃんと向き合って話をしてお互いに言いたいことを言い合って。それで喧嘩とかになっても、今よりかはまだまだマシな気がした。
いや、今が最悪すぎる。
本当、俺、何をやってるんだろう。男鹿は、後悔した。
自分を受け入れてくれた恋人の気持ちを踏みにじっているのだから。
仮令、心変わりしたとしても、その気があっただけにしろ男鹿はまず話をするべきだったのだ。こんな不可解とも言える行動をとる前に、話をして解決するべきだった。
恋人の気持ちが余所へ移っていたとしても。
それが、年上としての本当の矜持を保てる方法だったはずなのに。
男鹿がしていることは無茶苦茶だ。支離滅裂、というより、男鹿にも何がしたいか分かっていなかった。
分かっていない頭で、しかもこんがらがって思考回路も上手く回らない状態で考えているものだから、行き着く先はおかしくなる。当然と言えば当然の結果と言えよう。
それでも。男鹿は、思う。
それでも、嫌なのだ。好きな人に嫌われることも、他の人に心を移ろうことも。
好きな人の気持ちを独占したくなる。
好きな人には自分を好きになってほしい。全部好きなんて有り得ないけど、そうなって欲しい。嫌いになって欲しくない。
もしも嫌われていたら。
心が移ってしまっていたなら。
そう考えるだけで泣きたくなるのに。
それが、現実となってしまったら。それは、どんなに悲しいだろうか。
俺は、どうなる?
泣く?みっともなくすがりつく?涙は、足りる?涙も枯れるくらい泣くだろうか。それとも、泣けない?
どうしようもないループに陥りそうになる。
その時、男鹿の隣を押しのけて、幹事がジョッキ片手にドカッと座った。ジョッキの中のビールはやはりなみなみと注がれており、もう何杯目になるか分からない。
幹事は、顔を真っ赤にして男鹿の耳元で尋ねた。―――否、叫んだ。
「おがぁっ!!のってるかあぁっ!?」
「のってるのってる。って、お前、大丈夫か?」
「にゃーぁにがぁっ!!」
「にゃにがって………」
明らかに呂律回ってないだろ。と、突っ込みかけて止まる。
飲む席なのに、飲むなと言うのは禁物だ。雰囲気が白けてしまう。
「まあ、楽しんでるよ」
「うぉーっ!!そうか!!」
五月蝿い。ただでさえ五月蝿いのに、耳元で叫ばれると鼓膜が破れそうだ。
しかし、男鹿ははたと気付く。
そう言えば、あまり飲んでいない。
色々考えていたせいで飲むのを忘れていたせいで気付かなかったが、周りよりペースが遅い。
だから、幹事も自分のところに来たのかもしれない。飲んでいないところがのりが悪いと思われてしまって。なら、悪いことをした。―――単に、来ただけという線も捨てられないが。
男鹿は、近くにいた店員に声をかけた。
「すいません、生を一つ」
そうだ。
飲んでしまえば忘れられるかもしれない。嫌な考えも全部吹っ飛ぶかもしれない。
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