10
 薄暮の迫る暮景を、逸る気持ちに背中を押されて走る。乱れる吐息は鼓動をも早め、加えて歩みまで早くなるようで。息切れする吐息を抑えようともせず、気持ちの向かう場所へと走る。
 庭園美術館の中にある美術品をオレンジに色染める目にも鮮やかな景色には目もくれず、この動悸を鎮めてくれる相手を探す。こんなに息急き切って来たら、またあの大人びたちっとも子供らしくない微笑みを浮かべるのだろうか。思い描き、それが想い人だからか途端に嬉しさを押し殺せない。
 息を乱し、想像に頬を緩ませていると、紅くなる前の紅葉より尚深いオレンジの中に想い人を見つけた。約束の場所で、ちゃんと待ってくれているのだと柄にもなく喜びを隠せなかったが、自分の格好にピタッと足を止める。まるで全寮制男子校の中特有の、大人になりそびれた青春真っ盛りの餓鬼に犯罪を犯されそうになって、すんでで命辛々逃げ出してきたヒロイン宛ら。
 乱れるにも限度ってものがある、と、慌ててオブジェクトの物陰に隠れて身なりを整える。シャツは上までしっかり締め、緩んだネクタイも戻す。髪は節度ある大人ぽく、ポケットに入れていたハンカチで滴る汗を拭った。これで完璧だと、身だしなみをもう一度再確認してオブジェクトから身を現す。
 すると、何かが行く先、目の前にあって慌てて足を止める。そこにあったのは物でも何でもなく、人で。だけどそれはただの人ではなく、
「そんなに気を遣わなくてもいいのに……」
 さっきまでもう少し先、約束の場所にいた想い人だった。
「な、な、な……っ。じ、神保…」
 まさかさっきまで約束の場所で待っていてくれていた想い人が、身だしなみを整え見苦しいところが無いように確認している間にすぐ側に来ているとは思わなくて、見られたという気恥ずかしさからかっとなって距離をとってしまう。いくらエチケットとかマナーとかの類だからと言っても、好きな人と会う時は一番いい姿を見せたいと思うもので、その努力を見られるなんて恥ずかしい。
「俺はシャツもよれよれで髪もボサボサで、ネクタイがしわくちゃでもいいのに」
「……親しき仲にも礼儀あり。この位は節度を弁えた大人として当然だ」
 バレている恥ずかしさを懸命に押し殺しながら、努めて冷静を保つ。一体何時からここにいたのか、気配も感じさせないなんて末恐ろしい。
「でも…」
 言いかけて、止める。途中で止められるとどうしても気になってしまうのが人の性、言いさして止められては好奇心がうずうずとし出す。
 好奇心に負けて何かと問えば、返るのはニッコリと清々しい笑み。嫌な予感がして一歩退けば、それを許さんと腕を引かれる。掴まった自分の耳に手を当てて内緒話をするように寄せられた唇は、微かな吐息を孕んで狂おしい快感を催させた。
「ばっ、馬鹿!」
「馬鹿?失礼ですね」
 紡がれた言葉に真っ赤になる顔を隠せなくて、手を振り払いオブジェクトの後ろへと隠れる。頭だけ出した状態でフーッフーッと猫みたいに威嚇をし、けれど嫌ではなかったのか表情に嫌悪感は全くない。
「だって、本当ですから」
「フェミニスト!」
「あ、嬉しいですね。けど、女性ではなく一人だけに通用すれば充分です」
 ああ、だから叶わないのだ。何を言っても余裕綽々と受け止められ、逆に羞恥心を煽られる。こちらが子供ぽいと考えさせられる大人じみた雰囲気は、成長し風格を身に付ければ様になるに違いない。今でも充分目を瞠るものがあるのだ。見たいようで見たくない、見るにはそれ相応の覚悟と備えをしていなければとんでもない大惨事になりそうだ。
「あ、そうだ。今度の土曜日、何処か連れて行ってください」
「土曜日…?予定では空いているが、潰れるかもしれないけど……」
「そうならないようにしてください」
 そんな無茶なと心の内でぼやきながら、しかし彼の言うとおりそうならないように前日ギリギリまで頑張るのだろうと、自分のことだから予測がついてしまう。他の先生方には申し訳ないが、今回限りとも言えないが、次に何かあれば犠牲になるから今回は犠牲になってほしいと、頭に浮かぶ先生方に謝った。
「何処に行くんだ?」
「何処にしますか?」
 質問を返され、戸惑う。遊園地とか水族館、動物園とかは興味が無く。行くところと言えば、気分転換学園の外の図書館ぐらい。
 改めて、自分のつまらなさに落ち込む。これはもしかしたら、初デートになるのに、行く場所すら考えられないなんて。年上としてリードすべき大人がこれでどうする。
「……じゃあ、図書館にしますか?水族館とか興味ないでしょ?」
「うっ。で、でも、そういうところに行きたいんじゃ…」
 オブジェクトに未だ隠れ、図星を突かれては威厳も何もない。気を遣われた気がして、らしくもなく落ち込むが、そうですねと言って神保の姿が忽然と消えてしまってそっちに気を取られた。神保がいた場所に走るが、そこには始めから誰もいなかったかのように人の気配すらない。
 呆れられたのか?それとも、端から夢だったのか。潤む瞳に気付かず、愕然とくずおれそうになる。
「じゃ、先生。オススメを調べて来てください」
 が、背中に温もりを感じると求めていた声が上から聞こえた。女々しくも泣いて縋りつきたくなるのを堪え、うん、と頷くので精一杯だった。
「希望は水族館です。日曜日も空いていますから、泊まりがけでもいいですよ」
「ちょっ、それは無理だろ。外出許可は一日だけしか……」
 それに生徒を連れ回すなんて、未だ頑固に根付く矜持が妥協を許さない。驚いて涙も引っ込んだ。
「あー……知り合いに頼みます」
「け、けど…」
 知り合いって誰だと問い詰めるよりも、今はそれが駄目だと去なさなければならない。意気込むが、首に巻き付いた腕の力が強まり言葉を止められた。
「初デートなんです。許してください」
「………反則」
「反則は何回まで?」
 惚れた方が負け、なんて自分のためにあるんじゃないかってくらい。心を掴まれた時から、反則の回数なんて決められている。
「いくらでも」
 何度だって、許してしまうんだろうから。

 ――走る姿は子供ぽかったですよ。

 だから、俺は君が飽きたとしてもプライドも全てかなぐり捨てて、夢落ちなんてしない現実の恋を君に捧げ続けよう。
     
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