9
「俺には何もありません。感情が無いんだと思います。別に何かあったとかでは無いんですが、感情とかが分かりませんでした」
 笑顔をまた消して、神保は淡々と語った。
「けれど、先生はプライドがあるから付き合えないと言いました。最初、何言ってんだとイラッとしましたが、俺にもプライドはあります」
「神保」
「先生の心が分かった責任を取らせてください。それが嫌なら、俺の心を奪った責任を取ってください」
「…神保、それは……」
「好きかどうかはまだ言えないです。でも、俺は先生に付き合って欲しいです」
 涙が引っ込むくらい、唐突な言葉だ。頬を伝った筋が白い線となり、これ以上無いくらいに瞠られた目が信じられないと心情を物語る。目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、それは今将に男鹿のことだ。口はプライドを主張するのに、目は素直だ。
 言葉が出て来ないと言ったら嘘で、胸が苦しい。こんな答えなんて全く予想していなくて、嬉しい。けれどこんな時にすら、教師としてのプライドが横切る。プライドが恋路を阻んでいるのではなく、恋がプライドの邪魔となっているのだ。男鹿の中ではあくまでもプライド、つまり夢が一番である。恋なんて二の次で、ましてや相手は生徒。
 想うだけでも教師失格なのに、付き合ってください、ハイソウデスカと言うわけにはいかない。聖職者は生徒を子供に道を作る術を導くからそう呼ばれるのであって、それを阻めば理想としていた教師像から遠ざかってしまう。今まで力を尽くしてきたのに、自分に幻滅したくなかった。仮令、それが独り善がりなものでも、夢は人を作る基なのだから。
「先生、付き合ってください」
「無理だ」
「何故です?」
「お前は生徒だ。これからも、俺の生徒だ。だからだよ」
 即座に却下した男鹿に見咎める視線を送って、神保は男鹿の話を聞く。両想いとまではいかないものの、それに近いものとなったのに素直に聞いてくれるのだ。やはり優しい子だと、男鹿は思った。
「ふざけないでください」
「ふざけては言えない」
「なら!」
 自分を映さなかった瞳が映して、次は感情を露わにした。いや、感情を持ってくれたと言うべきか。
「なら、そんなこと言えるわけない……」
「神保?」
「俺にだってプライドがあるんです。それに気付かせたのは先生なのに…今更尻込みですか?」
「違…っ」
「違わないでしょ!?」
 そう言うが早いか、神保は男鹿に突進した。いきなり突進されて驚かない肝っ玉は生憎と持っておらず、制止の声をかけるも、止められず壁へと体を押し付けられた。まだ子供なのに凄い力だ。
「どうしたらいいんですか?」
 悲痛にも地面に視線を落とし震える声を隠せず、神保は男鹿へと問う。その声音は男鹿を力ずくで押し付けている人物のものとは思えないくらい、耳に痛く響いて、押さえつけられてさえいなければ耳を塞ぎたくなるものだった。
「俺はどう背伸びしても大人にはなれません。だけど、今は先生を放せない」
 その気持ちが男鹿を紅葉させ、地へと叩き落とす。巧妙な手口だと嘲笑うことで自分を保ち、皮肉な巡り合わせに胸をかきむしりたい衝動に駆られた。だって男鹿は教師なのに、生徒で好きな人である神保をここまで苦しめているのも男鹿だ。
 だからといって、男鹿が教師を辞めることとは違う。教師は夢だし、辞めたからと言って男鹿が神保を生徒と思えなくなるなんてことはないのだ。
「先生は教師としてのプライドは譲れないって言う。だけど、俺はどう頑張っても生徒からは抜けられない。一生先生の生徒です」
 ふるふる、と、嫌なことを振り払うように神保は頭を振った。旋毛は乱れた髪の毛で見えず、男鹿は聞き入るしかなかった。
「プライドって言いますが、俺にもあるとは思わないんですか?先生と同じ男としてのプライドが」
「……ある、のか?」
 自分にもあるのだから、神保にもあって当たり前なのかもしれない。と思って、顔を覗き込むように問うたが、それは憤怒の睥睨を受けた。
「ありますよ!スカートを履けないプライドが、男としての女にはないプライドがっ」
 本当は激しい性格で、何時もは抑えているわけでもなく出にくいだけなのか。今の神保は見違えるほど激昂し、高ぶった気持ちを抑えようともせず真っ向から男鹿を映す。例えは些か子供ぽさを感じるが、それが男鹿に対する答えのように思えた。
「だから、子供で生徒だからっていう理由で付き合えないとか言われたら、俺のプライドは傷付くんです。でも大人どころか、先生の生徒じゃなくなることも先生より年上になることも出来やしない。じゃあ、どうしろと!?」
「それは…」
「先生は俺が先生を見ていないって言いましたが、先生だって見てくれていないじゃないですか。生徒だからと御託を並べて!」
「……っ、そ、れ……は……」
「先生が生徒だからと否定すればその可愛い生徒が傷付くんですから、先生のプライドに傷を付けてください。そんな人間を人間として見れない方が、教師失格だ!」
「神、保……」
 これを、何と呼ぼうか。嬉しいのに、怖くて、悲しくて、震えてしまいそうで。それなのに胸で弾け震撼して、今にもとろけてまろやかに包み込んで抱き締められるものは。
 駄目だと棄却したはずの感情が形を変え舞い戻り、駄目だと思う心を変貌させる。それを駄目だと思っても、時既に遅く。
「……ごめ、なさ……。ごめん、なさ………神保」
 もう、抵抗したくない。教師としてのプライドをかなぐり捨ててでも、手を伸ばして欲しがっている心。素直に頷かせ、驚きで止まっていた透明な粒を再び沸き起こしたのは神保の心だ。
「好き。神保、好き………好き……好き、好き…、だ……」
 止まっていた透明の滴がまた頬を伝い筋となり、胸の内を次から次へと吐露させる。
「じゃあ、付き合ってください」
 神保が絞り出したものに、残り一つ、吐露されていなかった言葉が紡がれた。
     
return
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -