8
 何で分かってくれない。何で考えてくれない。何で、何で、何で。
 人の心は勝手に読めてしまうのに、何でそこまで出来てそこからをしてくれない。読み取ったなら責任とれよ。
「俺にもプライドがあるって、何で思わない!?」
「……プライド?」
「俺は教師だ、聖職者なんだよ。男としてのプライドを砕こうと思うんだったら、教師としてのプライドもあるって何で思わないっ?」
 心はズタズタだった。もみくちゃにされ、足跡で黒くなるくらいズタズタに踏まれてボロボロだった。
 惨めなことに今にも泣き出しそうで、今誰かに優しくされたら、どんなことが待っていようともふらとついて行ってしまう。
 神保を好きでいることがずっと辛くて、出来るなら好きでなくなりたいとか思ったこともあった。だけど、漸く分かった。好きでいることは辛いし止めたいけど、好きな人を諦めることは難しいし時間に任せるしかない。それよりずっと悲しいのは、好きな人を嫌いになってしまうことだ。それまで想いを捧げ、気付けば頭の中にいる人だった。それほどまでに想い、ひた隠しにしながら消せなくて悔やんでばかりだった。
 教師が生徒に恋をするなんて、初めは教師失格だと思った。聖職者にあるまじき感情だと否定して、けれど冷める何時かの日を待った。その場で教師を辞めるべきだと思ったが、実力で得た地位だ。そう簡単に手放せなかった。
 教師は子供の頃からの夢で、力ずくで手にした。夢と恋を天秤にかけるなんて愚かで、恋のために夢を諦められるなら夢ではなく。だから、恋でなくなる日を胸を締め付けられる気持ちで待ち続けた。
「お前は聡い子だよ。神保……。でも、優しいから人の心の中まで分かってしまうんだ」
「は?」
「覚えていてほしい。人の心が分かるなら、心を理解出来るなら、……思いやってやれ」
「何を…」
「お前は中途半端だ。下手に心が分かって、理解してしまうけど、それで終わりにしてしまうからな」
 もう神保の顔すら見たくなくて、顔を逸らして聞こえるか聞こえないかくらいの声で話す。神保は珍しく耳を傾けているようで、どうして最後になってからと責め立ててしまう。
「人の心を理解したら、責任を取れ。仮令、不本意でも最後まで理解したら、俺の言っていることの意味が分かる」
「………先生」
 ズタズタだ。襤褸を纏っているわけでもないのに、踏まれて潰されて黒く煤けて汚い。もんやりと胸を覆う黒にあらゆる色が混じったヴェールが、哂笑して立てているのかも分からなくさせた。
 そんなに心を傷めても、男鹿は敢えて神保に忠告した。神保からの見返りなんて望んでなかった。否、欲しくもなくて、今は一刻も早く神保を寮に送り届けて二度と顔も合わせたくなかった。寮に帰って思い切り泣きたい。夜が明けるまで飲み、何も考えられなくなるまで酔いつぶれたい。
 けれど、男鹿は教師だ。何れは神保の先生にもなる教師で、子供に道を作る術を導く。神保のこれからのために残せることはそれだけで、本当は今すぐ猛ダッシュで逃げたいのも我慢して、神保に道を作る術を導いた。好きになってしまい、七面倒臭いことへしてしまったことに対する詫びも含めて。
「じゃ、行こうか」
 作り笑いと明々白々なものを浮かべ、くるりと踵を返した。背を向けることで表情を取り繕う必要もなく、今にも溢れ出しそうな涙をすんでで堪えるだけで精一杯だったが、その頬には音も立てずに透明な筋が出来ていた。
 後ろから神保がその小さな足で付いてくるかも確認しなかった。将に教師失格ではあったが、早く早くと心が急かすのを言い訳にして歩き始めた。これで付いてきていなくて後で上司に叱責されても、今さえ良ければいい。仮令、最低な考えでも。
 しかし、その考えを咎めるかの如く。男鹿のものより高い体温にぐいと腕を引っ張られ、目を見開いた隙にくるりと体の向きを変えられた。何事かと思う暇すらなく、次にネクタイを引っ張られる。
 その時、視界には神保が映っていて。全く働こうとしないポンコツ頭で辛うじて判別出来た神保の顔が、徐々に視界いっぱいになり、唇に柔らかいものを感じたのもすぐのことだった。
「……ンンンッ!?」
 神保の顔が視界いっぱいにあるとポンコツ頭でボーッと思ったが、段々と覚醒していく脳でそれがどういうことなのか判別がついてくる。有り得るはずがないことが有り得てしまうと、人は何よりもまず動いてしまうのか、男鹿は暴れ出した。駄目だと否定する心と仮令遊びでもとせめぎ合う気持ちの葛藤に、自分自身のことだが分からなくなった。
 どんなに暴れても、男鹿は教師だった。力の限り暴れているつもりでも、それはほんの小さなもので。けれどそれは本当に神保が生徒だからか、それとも好きと言う弱く脆く空想上の虚しい感情からか。
 どちらにしろ、神保の唇は未だに男鹿の唇を奪ったままだ。やっと離れたのは、やはり沈黙と等しく長い時間が経過してからのことである。
「何すんだ、神保!」
 漸く離され、余韻に浸る純粋さを持ち合わせておらず、怒り心頭で憤怒を露わにした。が、当の本人の態度は実に飄々としたもので。
「……何、って?キスですよ、分かりませんか」
 と、澄まして答えられた。
「分かりませんか、って……だから何でそんなことを…」
「先生に心を奪われたので、こうすれば返してもらえるかと」
「は、ハァッ!?」
「ですが、また奪われました」
 その表情は実に見惚れる、笑顔だった。
     
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