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「……先生…」
 静寂と言うには長く感じ、けれど実際はとても短い時間が経って。男鹿は違うと否定することも出来ず、真っ赤になったり真っ青になったりと忙しなく顔色を変え、神保が訝りながらも漸うと口を開くまでその沈黙は続いた。
 先生。と、神保に呼ばれたことによって、鼓動は大きく跳躍した。たったこれだけで一生分の寿命を使い果たしてしまったかの如く、息は乱され、そう呼ばれることに虚無感すら抱いてしまった。
 呼ばれたからには呼応しないわけにはいかなくて、諫めるようにもう一度全く同じ声音で呼ばれて諦める。この歪な静寂を破るためだと、恐る恐ると俯けていた顔を上げた。今も尚自分は映らないだろう瞳と相対するのは、怖い。怖いが、このままどちらも一言も発さず何時までも時間がとんとん拍子で進むのに、乗り遅れて待ち惚けしてずっと佇立。なんてわけにはいかないし、ぐうたらこの場にいるのも無理だ。
 自分の足、神保の足、膝、大腿部、骨盤、腹、胸、首。そして、顎、顔に行き着く。瞳に達すれば、獰猛な肉食獣も唸り声を発して後退する無だけを映した瞳と対峙する。
「本当ですか」
 唇にほうっと目移りしてしまい、見惚れ、象られる唇の形がスローモーションで動く。それすら夢のようで、そこにだけを意識を集中させていたものだから何を言われたのか全く聞いていなくて、でも何かを言われたということだけは中途半端に何となく理解していたものだから、
「へ!?」
 と、聞いてなかったことが丸分かりな反応を返してしまう。散々醜態を晒し、一体どれだけ晒せば気が済むのかと突っ込まれても何らおかしくはない。
 けれど、神保は男鹿の反応に眉を上げただけ。呆れられて当然なものだったが、反応すら面倒と言われているようで、男鹿の胸にサッと切り口を入れた。入れるだけ入れて放置され、忘れ去られてしまったような虚しさだ。
 男鹿は言ってはならないことを言ったのだ。その自覚はある。勢い余ったものでも、想っていただけで塞ぎ切らなければならなかった。もし言っていなかったら神保は男鹿の態度や言動で掴んでしまうことはなく、ただの一度でも口にしてしまったことでそれらの端々が雄弁に語るので、否定すら意味を持てなくなる。
「……そうですか」
 現にそれで神保は全てを掌中に収めて、挙げ句淡々と納得するのだ。
「じ、んぼ…」
「先生は俺が好きなんですね」
 呼ぶことすらも遮られ、全てが神保の思うがまま。主導権なんて放棄もしていないのにさっと、やんわりと強奪され、その問訊に対する答えですら求められていない。求められていないから答えられず、答えられないもどかしさが胸を掻き堂々巡りとなる。
「先生は俺を抱きたいんですか」
 問う。言葉の意図を理解しあぐねて、それでも意味は回らない頭をフル回転させなくても十分。だが、その言葉に今度は赤面もしなかった。蒼然とも。
 だって神保の瞳に顕著に現れていて、二の句を継ぐことすらも許さない。どうせ、だとか、お前だって、だとか、そんな心中お見通し考えていることは手に取るように分かる。って、如実に告げて来ているのだ。
 ゆぅらり、と別な感情が胸を占めた。
「……違う…」
 弱々しい声色で、感情を押し殺す。神保にこう言ったところで彼は幼いのに人間の様々な感情を見て来て、こんな言葉も予測していた。信じてすらもらえない。
「では抱かれることが出来ますか」
 何を言われるか分かったもんじゃなくて、この後に待ち受ける言葉の痛い雨が怖くて目をぎゅっと閉じていた。すると降ってきたものは想定外で、聞き間違いかとも思うが呆けて、男鹿は目をパチッと開いてしまった。視界には神保が占め、が、今は他に気を取られていて平気で視線を返せてしまった。
「な、なんて……」
「俺に抱かれることが出来ますか」
「は……?…へ……?え……?」
 聞き返した今でも、やはり耳に入った言葉を信じられずにいる。朧気に理解し、それは形となる。形となっても未だ脳が完全なものとはせず、ぐるぐると雑念が入り混じって考えを邪魔した。
「俺に抱かれてもいいなら、付き合ってもいいですよ」
 だから、こんなことが言えるのだ。人の胸の内をさらっと読みながら、他人のことなんて考えてもいない傲岸不遜で、子供だから。
「……け……」
「何ですか?」
「………な」
「すみません、もう少し大きくお願いします」
 ゆぅらりゆぅらり。この感情の正体が分かった。喜怒哀楽じゃない。自分自身を否定されたような、このかんじ。
 好きな人から吐かれた言葉が、皮肉にも好きな人の言葉を聞こえなくするこれは――嫌いって、感情だ。
「ふざけんな!」
 分かった瞬間、今までヴェールがかっていて見れなかった神保の顔を真っ向から睥睨した。こんな顔、何だって言うんだ。ムカつくし、嫌だし、嫌いだ。
「お前に俺の何が分かる!?分かってたまるか、こん畜生!」
 知らず荒げ、汚く罵るものとなった声は神保ですらも想像がついていた反応とは言え、言葉を紡ぐ隙すら与えない。
「テメエなんて勝手に野垂れ死んじまえ、クサレヘボ芋が!」
 誰がこの餓鬼を好きだって?ふざけんなよ、ド阿呆。
     
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