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 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。
 YA・BA・I・☆
「それでは男鹿先生、宜しくお願いします」
 にっこり。
「は、はい」
 抗わせない毒がある笑顔に気圧されながら、曖昧に頷いた。だが、曖昧とは言え頷いたのだ。今更無しと言ったところで、聞いてはもらえない。
「すみません、男鹿先生」
 一方、何時も表情一つ変えない程寡黙な諏訪先生は珍しく申し訳なさそうに眉を八の字に下げた。宛ら、飼い主に捨てられたか、飼い主を探す犬。うっと息を詰まらせ、視線をふよふよと逸らした。
 これが一番卑怯なのである。
「い、いえ。何度もここまで連れて来てもらいましたし」
 という言葉を、無意識に引き出しているのだから。
 ピシャンと保健室のドアを閉められ、諏訪先生には申し訳なさげに立ち去られ。その場に残された俺は引きつった笑顔で、隣の少年を見下ろした。
「……じゃ、じゃあ……帰ろう…か……」
「はい」
 大人よりも冷静で、双眸は感情が無く、この少年と二人取り残されてしまったことを嘆いた。
 男鹿がゆっくりと、右手右足同時に出して一歩。が、
「先生、こっちです」
「へ?」
「そっち、正反対です」
 緊張しすぎて真逆に行っていたらしく、神保は反対側を指差して言った。最初は何を言われているか頭が動かなくて硬直したが、時を少しずつ追うごとに頭が回り始めて理解する。理解すると顔が真っ赤に沸騰した薬缶の如く、ボンッと擬音がつきそうなくらいに変貌し、自分がどんな失態を犯してしまったのかも理解した。
「……………。…………あ、ああ!そ、そうだな。ア、アハ、アハハハハハ、アハ、アハ、アハハハ………」
 今すぐ毒にあたっても、保健室に戻りたい。笑うしかない現状に、毒を持っているとしても五十鈴先生に助けてと縋りつきたくなった。
「……まだ具合が…」
「大丈夫!大丈夫だから!心配するなっ。な、なっ!?」
「……はい」
 この上心配されるなんて、大人としての意地も、教師としての自負もズタズタだ。自分で大丈夫と言っておきながら急下降した気分で、神保の指差す反対側へとトボトボ歩み始めた。
 ただでさえ中等部の教師と初等部の生徒と何の接点もないのに、自ら墓穴をスコップでえっさほいさと掘ってしまった。会話が無いことは予想出来ていて、居心地の悪さも念頭にあった。が、今すぐBボタン長押しで逃げ出したいのに、それだけではあきたらずジェットでも付けて更に加速したいぐらいに持ち込んでしまった。
 何か言わなくちゃ。何か。何か、何か、何、か……。
 考えた。場を繋ぐために、心臓を持たせるために。
「ああっ!そ、そそそう言えば、名前はなんだったけ!」
 そして出て来たのは、何を聞いてんだと突っ込みたくなるくらい阿呆丸出しのことだった。少年も今まで何を聞いていたのかと言わんばかりに瞠目して、その視線は初めてと言っていい程、自分を映した。
「……神保です」
「あ、ああ……そう……なん、だ……」
 それも一瞬。すぐに歩を進め、先導するように先へと行ってしまう。辛うじて質問に答えてはくれたが、それも訊かれたからと言った明瞭簡潔な理由に他ならない。
 会話は思うように進まなくて、また新たな質問を考えるが思い付かず。自分が保たないからと手前勝手ではあったが、何かないかと思案に沈むが暮れてしまう。
 沈黙は続いたままで、けれど考え込んでいることに聡い神保は気付いていた。立ち止まり、男鹿が止まるのを見計らって神保は重々しく口を開いた。
「先生」
「どうした?」
「いいですよ」
「いいって…何、が?」
「一人で大丈夫ですから、気を遣わず帰ってください」
「……神、保?」
 気を遣わせてしまった。と、思った。大人で、教師で、子供を保護する立場にあるのに。その子供に負荷をかけてしまったのだ。
 察しがいい子だから、きっと自分が会話を続かせようと必死だったことにも気付いているのだろう。
「それは、出来ない」
「俺は言いませんから」
「そう、じゃ…ない」
「何かあっても、先生はトイレにでも行っていたことにします」
「そうじゃない」
「俺は小学生とはいえ、武術を習わされているので」
「そうじゃないんだ」
 何故だろう。さっきまでは後悔だったのに、もぞりと身じろぎした蜷局巻くものは怒りだった。次第に沸々と込み上げ、脳を赤く浸食していくような感覚に支配され、男鹿は無意識に俯く。
 それを図星ととって、神保は言葉を重ねた。
「先生に手間はかけさせません」
「だから……」
「先生も倒れて疲れてるんでしょう?」
 沸点に達した時、プツンと音がすると言うけれど。それは嘘だと、カッと瞳を開いて俯いていた顔を上げた男鹿は思った。
 何も、聞こえなかったのだ。
「違うって言ってるだろ!」
     
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