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 最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ。
 さいあく、だ。
 何が最悪かって、こんなみっともない姿をあの子に見られてしまった、ってことだ。
 教師職は、俺がそれまでの努力と経験でもぎ取ったものだ。努力は報われない、努力したって無駄なこともある。それは本当だと思う。教師職を努力に努力を重ね、やっとのことでもぎ取ったものの、上には上がいて、そんな人は大抵到底叶わない天才鬼才。手の届かない雲の上の人だったりするのだ。
 だから、俺は、教師であり続けなければならなかった。それが教師ということだと思う。
 教師であるというこは、俺にとっては誇りだった。失敗も沢山したし、成功もそれなりにした。喜怒哀楽を味わい、辛酸を舐めて来た。その上で、あの失態である。あんな初歩的なミスをし、それをあの子に見られてしまった。音羽先生にお見舞いに来させ、気を遣わせてしまったこと以上に苦しく、辛く。いや、それ以上に愕然とする。
 多分初めて俺を認識したのに、一番にだらしない姿を晒すなんて。教師としてやって来たと自負していたのに、ガラガラと砂の城よりも脆く呆気なく、見るも無残に崩れ落ちていく。
 神保益城。これが、あの子の名前。初めて見た時から優に三年は経っているから、今年で初等部六年生のはず。
 三年前、まだ新任に今よりも近い頃、熟練の先生に使い走りにされた時。その先生は美術を担当していて、全く関係ないのにと愚痴りながらも逆らうことが出来ずに初等部校舎を彷徨っていた時。反対側の校舎に綺麗なものを見付けた。キラキラとしてる、けれど実際には光ってない。目について、思わず立ち止まってぽやーっと見てしまった。
 あどけない顔立ち。大人びているのでも、落ち着いているのでもなく、無機質でいて氷のオブジェクト。なんて、気障な例えが似合ってしまう雰囲気。真っ直ぐ前を見詰めるその目は何も映していないようで、自分でも何でこんな冷たいものに惹かれたのかは説明出来ない。
 ただ、その一瞬で、二十以上も年の離れた少年に恋をした。
 理由なんて、後付けなら幾らでも出来る。両手じゃ足りない位、挙げられる。あの子の存在を知ってから色々と調べまくったから。自分でも犯罪スレスレだと思う。
 だけどその一瞬は。あの子に惹かれてしまったあの一瞬だけは、理由も何も無く、あの子に恋をした。
 その子と今日初めて会話をした。俺が視界に映された。それだけで嬉しいのに、俺は自分でそれをふいにしてしまった。
 情けなくて、恥ずかしくて、そう思ったら顔を上げることすら出来なくて合わせられなくて。碌なお礼も出来ず、俺は保健室を出てしまった。明日、五十鈴先生に謝りに行こう。後、諏訪先生にも。
 五十鈴先生はもう帰るように念押ししたけど、どうもこれじゃ俺の気が済まない。せめて音羽先生と他の先生に謝罪を入れて、少しでも自分の仕事を片付けて。家に帰ったら何もせず、まずベッドに入って寝よう。明日また倒れるかもしれないから早めに起きて、飯もちゃんと食って、それから朝一で謝りに行こう。
 良かった。あんまりにも自己嫌悪に陥ってしまったから、頭がぐるぐる渦巻いていたが、思ったより使い物になるようだ。ホッと、安堵する。この後も仕事が残っていると言うのに、こんなところでへばってはいられないのだ。そう思ったら幾分かは気分が晴れて、トボトボと覚束無いものだった足取りも少しは見れたものになった。自分でも現金だと思うが、やはり仕事は俺の半分を作っている。半分をしっかりしていないと思ったら、立っているのかさえ分からなくなってしまうのだ。
 そうこう考えている内に、何時の間にか中等部校舎に来てしまったようだ。時間が経つのも、道を歩くのも、あっと言う間である。職員室に足を運び、すっかり見慣れてしまった職員室のドアを開けると、視線を一身に浴びた。まだ昼休みだったからこれは予想していなくて、ビクッと肩を震わせる。
「男鹿先生!帰ったんじゃ…」
「いえ。五十鈴先生も大丈夫だと仰ったので」
 病み上がりだと心配して、真っ先に駆け付けてくれたのはやはり音羽先生だった。自分の失態が招いたことなのに、しかもそのせいで音羽先生も大変な思いをしたと言うのにこうも心配され、胸に小さな針が沢山刺さった。が、音羽先生には悪いが敢えて嘘を吐く。今はどうしても仕事を取り上げられたくなかったのだ。
 他の先生方も心配げにこちらを窺っており、それがより針を刺していく。一人、気まずい思いをしながらやっとのことで自分の席まで辿り着いた。たったこれだけの距離のはずなのに、途轍もなく長いような錯覚にあった。
 机の上には生徒達の宿題と小テスト、その他諸々がぐちゃあと並んでおり、自分の机ながら目も当てられない惨状で辟易した。普段からこういうところを片付けておけば、あんなことにもならなかったと、後悔してもし足りないことを思い出して、まず机を片付けることから始めた。
 それでも、頭の片隅にはあの子にあんな醜態を晒してしまったという事実が、俺に現実を突き付けていた。この恋も叶わないと、絶望を味わわせる。分かってはいたことでも、改めて突き付けられるとなかなか諦めきれない自分に哂笑する。
     
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