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 ガラッ。
「おや、男鹿先生。お目覚めですか?」
「……五十鈴先生」
 止まった時を一気に何時間も押し進めるかのように、ドアの開閉音で意識を戻された。少女漫画みたいに花が散らばって、その中で顔を真っ赤にしているくらいの恥ずかしさに、ドアへと目を向ける。
 そこには、にこやかな爽やか中年男がいた。地味でも綺麗でも普通でも、ましてや可愛いなんて以ての外。取り立てて言うほどのものはない容姿だが、それを打ち消し塗り替える笑みをしている。ふんわりとした馥郁があるとは反対で、見ただけで心臓が弱く肝が小さい人は泡を吹いて倒れてしまうくらいの迫力がある、毒々しさ。流石、中等部から上の生徒と教師陣に食えない狸と評されるだけある。
 外出でもしていたのだろうか。五十鈴先生はロッカーから白衣を取り出し、目に映えるひらりとした着こなし方で着衣した。こんだけ特徴がない容姿や体格なのに、毒々しさだけで人目を引くなんて詐欺だ。とか何とか、やっぱり未だに置きたくないらしい頭で考えていると、五十鈴先生はご丁寧にもここに来た経緯を教えてくれる。察しがいいところも、流石と言うしかなくて。改めて自分の駄目なところを指摘された気もする。
「諏訪先生が倒れたって運んでいらしたんですよ」
「諏訪先生が?」
 体格も身長も然程変わらない、唯一変わっているところと言えばお世辞にもカッコいいとか綺麗とか可愛いとかが似合わない男前な容姿の諏訪先生。初等部の先生だが、何故か動物と子供からは好かれる摩訶不思議ファンタジーで、密かに教師陣の間では七不思議として有名である。彼に用があり、わざわざ初等部にまで足を運び、初めて顔を合わせたのだが。そう言われる理由が何となく分かった気がする。
 不細工、ではないと思う。だけど、彼の容姿は一番近いところで男前。カッコいいとかではなく、寡黙で、ゴツいわけでもなく山とかのそうにどっしりとしたイメージがあって。なんとなく近寄り難いのだ。本当にこれで子供に好かれるのか。いやそれよりも、初等部で大丈夫なのかと思いもしたが、生徒達は彼に良い印象を抱いているようで。他人のことなのに、何故かホッとしてしまった。
「お姫様抱っこで運ばれて来たので、思わず誰かと思ってしまいましたよ」
 はっはっはっは。傍から聞けば、実に楽しそうな談話。まるで、昨日食べた芋羊賞味期限過ぎていたみたいでお腹壊してしまいましたよ、えーマジー?と言うような、物凄く軽いノリに聞こえる。が、吐かれた言葉は聞き捨てならないものだった。
「…………は?……。………い、今……何、て………」
 怖々と、言葉にするなら将にそう言ったていで。ギギギギギッ、と、壊れたブリキの玩具の如く。五十鈴先生を見、聞き返す。
「お姫様抱っこ」
「………最悪」
 嘘だったらいいのにと言う儚い願望も、べしゃっと蟻より小さいミジンコのように踏み潰され、項垂れた。
 公衆の面前で倒れた挙げ句、四十路間近にしてお姫様抱っこ。少女漫画のヒロインかと突っ込みたくなる現実に、逃避も出来ず打ちのめされ、ダメージは死亡ものだった。雨にも風にも雪にも嵐にも負けないが、お姫様抱っこに負ける。この世に天災より怖ろしいものはここにあった。穴があったら埋まりたいと、羞恥心で顔も上げられなかった。
「ああ、そうそう。音羽先生がお見舞いにいらしてましたよ。今はゆっくり休んで、体調が回復次第挽回して下さいとのことです」
「え、そんな……。…マジ、ですか……」
 尋ねるのでもなく、確認するように呟いて意気消沈する。最悪だ、と、自嘲した。五十鈴先生も分かっているのか、何も言わなかった。それがより一層、自分の不甲斐無さをどろりと掻き立てた。
 音羽先生とは中等部一年の学年主任で、担当教科は社会。同じ一年の担当でまだ自分が新米と言うこともあり、色々とお世話になっている先生である。学年主任に大抜擢されたと言うのに、年は四十くらい。五歳くらいしか変わらないと言うのに、まだまだ覚えることが多過ぎて慌しい自分と違って、誰にでも紳士で物腰柔らかいダンディーだ。
全寮制男子校という危険な色んな意味で悪鬼なホモの巣窟で、一部に高い指示を得ていて、俺も下手すればその一部に入ってしまうかもしれない。あんな大人になりたいと憧れてしまう。
 音羽先生はどんなに忙しくても体調管理を怠らないと言うのに、ちょっと慣れて来たからって怠って、あんな失態を犯してしまった。しかも、その穴埋めを音羽先生にさせてしまうことになるのだ。公衆の面前で倒れてお姫様抱っこされたことなんかどうでもよくないけど霞んでしまうくらい、今の自分は恥ずかしかった。音羽先生も忙しいのに
お見舞いをさせて、自分が悪いのに休んでくれとか言われて。自己嫌悪しないはずがない。
「私としても今日は帰って休むことをお勧めします」
「……有難う御座いました」
 五十鈴先生の言葉なんか耳に入らなくて、辛うじてお礼だけを言って、保健室を静かに退室した。今は誰にもこんな情けない面、見せられなかった。
     
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