夢にならない恋を君に捧げる
 何百回の恋をして、そのたびに恋を拒絶されて。失えない想いは次の恋で掻き消えた。
 けれど、何時だって頭にあるのはアイツでしかなかったはずで。それが消えることはまず無かったのに。
 君に会って、百回の恋が夢だと知った。



 あ。って思った時には、もう遅かった。
「男鹿先生!?」
「男鹿先生!」
「大丈夫ですか、男鹿先生ッ」
 男鹿雅、三十五歳。職業は中等部教師。担当科目は国語と英語。
 仕事が生き甲斐とも言える程仕事熱心な彼は、ここ最近働き尽くめが祟ってかバタリと倒れた。それも彼の受け持つ中等部ではなく、お使いに寄った初等部で、だ。
 遠退く意識の中、周りの人が悲鳴をあげる声を他人事の様に聞いていた。倒れたことさえ分からない混濁した意識で唯一分かったことと言えば、こんな公衆の面前でぶっ倒れるなんてだっせえなと言うことだけだった。



 ゆら、ゆら、ゆらり。何の切欠もなく、自然と持ち上がった瞼。徐々にに広がっていく視界が映すのは、白。しかし、白にも汚れの斑点があり、点々とした汚れを視界に映してそこから記憶を漸く探ろうとする。
 が、思い当たるものは無かった。半ば無意識に考えることを中断し、もぞもぞと横を向く。手繰り寄せれば布団に行き当たり、頭から被った。
 ゆら、ゆら、ゆらり。また、瞼をゆっくりと閉じる。
 これは何だろう。途轍もなく重たい目、力が段々と抜けていく。肢体の力が抜けているのか、瞼の力が抜けているのか。それすら判別がつかない。
 ガララッ。
 音が、した。
「失礼します」
 声だ、人の声。何だろう。全身が一気に火照る。それ程までのことか、考えている間にも重たいものは沈んでいく。こちらに来る。まるで、自分が引き寄せているみたいだ。
「先生…?」
 まただ。また、声がした。この声は重たいものを遠ざけるから、嫌だ。来ないで、と、心が願うのに音が遠退くと胸がぎゅうっと締められる。痛い。痛いけど、これは単に痛いだけじゃなくて。
「いないのか…」
 声色は、高い。女の子かもしれない。霞むに霞めない意識で、やっとそれだけ判断する。
 遠くなっていた音が近くなってきた。その度に鼓動は跳ね上がり、その理由を掴むことは叶わなかった。
 ガサッ、ジャラリ。
「先生?」
 声は、すぐ傍に来た。それのせいで瞼はパッチリと持ち上がり、霞む意識を取り戻して上がった瞼に晒された瞳、そして再び視界には白が映る。
「先生…じゃ、ない?」
 だけど、違う。声はこっちじゃなくて、別な方から。
 声が知りたくて、その声を見て聞きたくて、頭を動かす。ゆら、ゆら、ゆらり。視界はめくるめく、変わっていき映る世界は次から次へと消えていく。
「ん……?」
 声が、した。今度は別な声、いや、自分のものだ。そうだ。この声は聞き慣れた、どころか、もう意識するまでもない自分の声。
「…アンタ、誰だよ」
「……ん?」
「先生じゃないみたいだし…」
 声は、こっちの気なんて知ったこっちゃない。次から次へと降ってくる声が問い掛けて来るものに意識は向かず、やがて動かした頭で見れた景色、世界、視界。
「………だ、れ…」
 人。
「誰って、アンタこそ誰だよ」
 一瞬で分かった。声はこの人、この子からだって。口が動いているからじゃなく、この子にぴったりなのだ。
 この子と言う通り、声の主は少年らしき子供のものだった。まだ幼い顔立ちは少女と見紛い、下手をすれば誘拐でもされて連れ去られてしまいそうだ。パッチリとした目に睫は少なく、眉は今だ薄い。濃いも薄いもまだまだこれからと言う時期で、しかし大きな目に相応しくない眼光をしている。大人びたとか落ち着いたとかじゃなく、クラスに一人か二人はいたような寡黙さ。
 それをもうこの年で持っているのか。最近の子供は何時まで経っても子供だと呆れていたが、こんな子供もいるのだ。皆が皆そんなわけじゃないと、今改めて分かる。
「アンタ、誰」
「俺…?」
 誰何を尋ねられているのに、ヤバい、頭が回らない。大分意識は覚醒したのに、重要な場所で働かないなんて、と。急いで復旧に努める。
「ここにいて寝てるってことは、この学園の人?」
 その間にも少年は色々と考えていたようで、独り言のように尋ねると、布団をぴろんと捲った。そして、ふむと考え込む。
「生徒…じゃない?大学か院?」
 が、された方はたまったもんじゃない。何をされたか一瞬の内に解し、ガバッと身を起こした。
「な、なななな何をしているんだ!」
「何って、アンタが誰かと思って。別にいいじゃん、布団捲るくらい」
 アンタが早く答えればいいんだ、と、赤面して怒鳴る自分をひらりとかわしてしまう。大人の自分よりも大人ぽく至極冷静に答えられて、大人気ないと凹みたくなる。取り乱して情けない。
 一言謝罪でもしなければと、顔を上げた。
「…………あ」
 その時、
「誰アンタ」
 世界が止まったような気がして、
「何?」
 世界の終わりで、息が止まった。
     
return
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -