華淵
 医療大国瑞雨は国家存続の危機に晒されたことがある。
 嫡子が誰一人いない状況下で王が正室を迎えないと宣言し、医療大国を謳歌してきた臣下は大妃を懐柔して座り込みを始めた。しかし王の意志は固く、大妃にさえどうしようもなく最早これまでかと誰もが諦めた。
 そんな時、文武百官や大妃が席藁待罪をしようが首を縦に振らなかった王が一人の留学生と夜を過ごした。浮いた話一つ上がらず、逆に噂が噂を呼びあらゆる仮説を持ち上げられていた王の夜伽を務めた留学生に、誰もが注目を集めた。けれど、王室からの宣旨はなく、ただの噂かと沈静化した頃。
 嘉礼都監を設置し、陳州魯氏を中殿に迎えるとの宣旨が下された。更に、魯氏は懐妊していることも明らかになり、民は待ち望んだ王室の慶事に感極まった。
 しかも正室に迎えられた陳州魯氏は胡蝶花帝国の先帝隆宗が第二子であり、主上の実弟である。君号は錦昭、諱は柾という。
 魯氏は正室となって約半年後に公主繁藤を出産、更に年後には王室唯一の大君丞を出産して名実共に誰もが国母と認められた。
 人徳も高く北の義人と謳われる魯氏は正室として申し分なく、身分も高貴なことこの上なかった。つまるところ、じらされ地団太を踏んだ正室は別の意味で予想を大きく裏切ったのである。



「父上、母上。申し訳有りません。私は医員になりたいのです」
「南医宝鑑」を編纂し楊平君の号を与えられた医学の父とも言える許俊、同じ時代に国を変えようと一念発起したが夢半ばに密告により処刑された「潘吉童伝」の著者許陰、「鍼灸経験方」の著者許尋の本貫楊川を都とする瑞雨。その他にも華蛇を王室から輩出し、医療大国を自負し続ける南の雪国。
「淵、お前、何を…」
 都陽川の一角、先王の庶長子孝遠君阿賀の屋敷内にて、孝遠君と嫡男寧風君淵、妻柳氏が緊迫感の中顔を揃えていた。寧風君は居住まいを正しオマケに深々とこれ以上ない程額付き、対して孝遠君と柳氏は青ざめていた。
 先王の庶長子ということもあり、大妃に格別の待遇を受けている孝遠君。主上はどの王族も同じ様に扱うことで待遇していると言う建前を作り、反乱を起こせないように、仮令ほんの一握りの可能性とは雖も反乱を起こせば非はないようにしていた。
「淵、一体どういうことだ。私の顔に泥を塗るのか!」
「大監様、落ち着いてくださいませ」
 文台を引っくり返す勢いで食い下がり、柳氏は必死のていで憤慨する孝遠君を止めにかかった。だが尚も頭を下げ許しを得ようとする寧風君は、孝遠君が激昂しようと微動だにしなかった。
「淵、医員など賤しい者がなるのだ。それなのに、医員になりたいとは……」
「父上。医員は身分こそ賤しいと言われますが、御医は正三品堂上官。つまりは両班です」
「淵!私の意思に逆らうのか!」
「大監様。寧風君、貴方もそれ以上言ってはいけません」
「いいえ、母上。医員は人を救う者、賤しいのは民の税を食らうことしか出来ない私達王室の人間です」
 政事に関われば利権しか求めず、その浅ましさから政事に関わることを禁じられた生ける屍。それが王になれなかった王族の末路である。王になれなければ何時殺されるのかと怯え、宮殿から屋敷へと追い出され倹やかに暮らさねばならない。
 その考えも孝遠君の神経を逆撫でするもので、止めに入った柳氏や下働きの者を振り切り寧風君に掴みかかる孝遠君。柳氏の悲鳴が房を占め、しかし寧風君の双眸は冷めきっていた。
「父上、私はお許しを頂きに来たのではありません。医員になりたいと宣言しに来たのです」
「淵!」「主上殿下よりお許しは頂いております。父上の意思など関係なく、私は医員になるためにまず安医院で医術を学びます」
「淵ーッ」
 寧風君はキッと睨み据え、最後に今生の別れとばかりに最敬礼をして房を後にした。さっきまで父を睨め付けていた眼からは止めどなく溢れ、背からは母の自分を呼ぶ声が痛ましいくらい悲痛に響いていた。



「主上殿下。この度は私事を聞いて頂いきこの身に余る光栄に御座います」
「そのように固くならずともよい、寧風君。余はそなたの叔父だ。気楽にいたせ」
「有り難き幸せに御座います、殿下」
 大殿の房に叔父と甥は対面を果たし、王の隣には中殿魯氏が静かに見守っていた。内官や内人は全て下がらせ、房には三人だけ。表面上は感動の再会だが、空気は重くのし掛かっていた。
「さて、寧風君。今回尋ねたのはどういった理由からだ?中殿も気になってすっ飛んで来てしまったではないか」
「殿下。揶揄うのはお止めください」
「いいではないか。堅物の中殿は私を愛しているとも言ってくれないのだから、このくらいさせてくれ」
「殿下、お戯れが過ぎます」
 空気を切り裂き人に話を促しておきながら、寧風君を放って二人の世界を作り出す。置いて行かれた感が否めず、あっけらかんとしてしまう。
 中殿一人を愛した近年稀に見る愛妻家との噂、どうやら的を射ていたらしい。
「ああ。すまないな、寧風君。中殿を相手してやらねば拗ねてしまうものでな」
「幻想です。現実を見てください」
「手厳しいな。どうだ寧風君。こんな妻を迎えたいのだろう?」
「いえ、全く違います」
 ここまで来るといっそ天晴れ、愛妻家ではなく旦那馬鹿だ。引きつった笑みを見せた寧風君に中殿魯氏も表情が引きつり、質の悪い悪戯をする王から視線をずらす。
 全て承知の上でやるのだから、流石母后の圧迫をはねのけて玉座に座る王といったところか。未だ底知れない力量を隠す王を一瞥して微笑し、寧風君はもう一度頭を下げて居住まいを正した。
 突然の寧風君の行為に目を丸くする二人を尻目に、
「殿下、恐れながら願いが御座います」
 と、平身低頭と、しかし屈さない固い意思を露わにして寧風君は述べた。叔父である王はただ事ではないことが端から分かっていたのか、大して驚く素振りも見せず、申してみよと言った。
「誠に恐れながら、私は医員になりたいのです。殿下」
 嘗て王室を出て医員を志した若き名医と同じ目で、華淵は不躾にも王の目を直視した。
     
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