「父上」
 夢にまで見た彼女との子供が、実在するはずがない彼女との子供が、父と呼び畏敬の眼差しを向けた。



「私は不貞を働いた側室を処刑し、王室に仇なす輩を排除します」
 頷き、太子の行動を認める。考えた通りだ。
 王は一冊の本を出し、太子に渡した。題目は、ない。
 太子は本を手に取り中身に目を通すと、愕然と目を瞠いた。
「これは…」
「お前の治世に使え」
「殿下…」
 それは王が宮中の動きを把握し、間諜の報告と証拠によって集めた情報である。
 王は兄王に王座を渡され、兄公子を差し置いて王になった。数多いる側室と公子、公主。それが王の治世の妨げになっていた。
 出来るのは基盤を作ること、それだけである。
 王の治世で妨げを減らしはしたが、王は学問や文化などの基盤を作ることに熱中した。太子が後宮の改革をしようと知って、後は太子がするものだと何も手を付けず太子の改革のための情報集めをしたのだ。
 太子に渡したのは、言わば宮中で最低最悪の弱味。叩けば埃が出るとはよく言ったもので、疚しいところがある者はこれの存在を良く思わないはず。
「殿下は何故、これを…」
「父として、お前に出来る最後の義務だ」
「殿下!?」
「私はな、お前達を少しも愛しておらんよ。愛情も注がなかったし、父親ではなく王として接してきたからな」
 愛していない。王はハッキリと言った。太子も気付いていたことだ。今、こうして言われたところで何の感情も沸かない。
 ただ、ああ、そうだろう。そう思うだけ。
「だがな、お前達を愛してはいないが、我が子とは思っているんだ」
「は…」
「息子に父としての義務は果たした。これで、肩の荷を下ろせる」
 ずっと苦痛だった。子供を子供と思えず、しかし他人の子ではない事実に。
「殿下…」
「行かせてくれるな、薙」
「殿、下…」



 最敬礼をしてくれる三人を見ていると、何故だか口元が緩みきってしまう。隣に座していた妻は、そんな夫に呆れたていで、しかし同じく嬉しそうにしていた。
「お初にお目にかかります、上王殿下」
「初めまして。珠洲を射止めたあなたに一度お会いしたかったわ」
「光栄に御座います、殿下」
 弟であり嫁でもある彼を見ていると複雑な気持ちになるが、やっと願いを叶えたのだ。こんな時くらい、余計な口出しをせず見守ってやらねば。
 改めて奮い立つ気持ちで、二人の間にちょこんと座る子供を見遣った。視線に気付いた弟が、子供に挨拶をするように命じる。子供はぺこりと挨拶をして、ハキハキと喋った。
「おはつにおめにかかります、おじうえ、おばうえ。わたくしはすぐともうします」
「そうですか、須玖というのですね。須玖、良い名です」
「ありがとうございます、おばうえ」
 祖父上、か。夫は子供の言葉を胸の内でじわりと味わい、ほこほこと温まる。初めて言われた言葉だが、成る程。世の爺婆が孫を喜ぶ気持ちが分かった。これでめでたく自分も爺馬鹿の仲間入りだ。
「それと、父上」
「何だ?」
「……義兄上より、文を預かっております」
「義兄?」
 長男である二人の子供には姉も義兄もいなかったはず。思い至らず首を傾げたが、言いにくそうに顔を背ける姿に一つの可能性に辿り着く。
「薙、か…」
 ピクリ。肩が震える。当たり、だ。
「くれ」
「……はい」
 懐から出した文を差し出された手の上に置き、そろりと腕を引いた。夫は文を開き、相変わらず流麗な筆遣いに感心する。

 我が父、太宗大王に置かれましては恙無くお過ごしかと存じます。
 父上に最後の義務を果たして頂き、何も返せないのは息子にとって親不孝にあたると思います。よって、父上には終生その地で開墾して暮らして頂きます。それが、我が父に最後に果たせる義務かと。

「太宗…?」
 廃主が太宗など、とんでもないことだ。あの子がこれを考えるとは、到底考えられない。将に、青天の霹靂と瞠目した。
 息子は夫の反応に頷き、躊躇ったが口を開いた。
「いくら廃主と言えど、在位中に残した功績はどの王をも凌ぐ。故に、何代か後になってから復位させる、と」
「旦那様…」
「…この年になってまで子離れ出来ないとは、親不孝と言えばいいのか親孝行と言えばいいのか。言葉に迷うな」
 まさか復位するとは、しかも死後になってからとは。想像だにしなかった。
 幼い頃、誕生日に沢山の物をあの子から貰った。その中には手作りもあったが、何一つ目を向けなかった。どれも要らなかった。妻だけが欲しくてたまらなかった。
「身に余るご恩情に御座います。が、最後の親不孝を受け取ります、と伝えてくれ」
「はい、父上」
 あの子のために色々と準備したが、最後の最後で全てパアにしてくれるとは。親不孝者だ。これ以上ない、親不孝だ。
 夫はチョゴリの袖で涙を拭った。
 最後に父親に向かって、そこで余生をゆっくり愛した人と過ごせとは、気が利く息子だ。そんな息子に育てた覚えはないと、夫はごちた。



 穏徳三四八年、嘉定君、死去。
 穏徳六二七年、王、崩御。太子、成宗の廟号を贈り、即位。年号を光陰と改める。

 弦公一二九年、王、崩御。太子、慶宗の廟号を贈り、即位。年号を喜慈と改め、初勅として嘉定君の復位を宣言。臣下、これに異を唱えるも、王、成宗の遺言と嘉定君の功績を示し、嘉定君復位。王、在位中の功績から鑑みて太宗の廟号を追号。
 同年、史和王后、復位。相会郡夫人を阿和王后に追号。
     
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