王の父であり兄王の父でもあり、ひいてはこの国の王でもあった父王には太子冊立後間もなく廃位された廃妃邊氏と、即位から百年経って廃位された廃妃閔氏と二百と少し経って崩御された弓明王后柳氏と、王より数年前に崩御された安明王后李氏の計四人の正室がいた。王はその内の弓明王后の次子であり、次兄と同腹ではあるが長兄は廃妃閔氏の子であるため半分血が繋がっていない。
 もっと言えば、廃妃邊氏にも息子が三人いた。太子に冊立されてすぐに亡くなった義荘太子。廃妃邊氏の廃位後すぐに廃位されやはり流刑後に亡くなった廃太子。兄の死を悼んで悲嘆に晩年を暮らし太子にも冊立されずに亡くなった、義晋太子。
 又、廃妃閔氏にも娘がいる。母后が廃位されたのに生き残っているのは、皮肉なことに継承権もない公主だった。公主は淑やかで控え目な性格に見えるが、王の目には心に一物を秘めた憎悪の権化に映る。母を罪人として亡くしているのだから無理からぬことだが、最近動きが活発化しているのは報告を受けていて知っていた。
 そして、王は予想もしていた。近い先のことを。



 夜更けも近い時間、大殿の房室で王は上奏に目を通していた。灯りは徐々に強さを失っていたが、上奏は次から次へと山のように降る。どれほど懸命に読もうと、上奏が無くなるなんてことはない。上奏は民の願いであり欲、それを叶えるのは万民の父であり民の生贄であり象徴であり、王としての人生しか確約されなかった王の役目である。
「殿下、賢妃庚氏がお見えです」
「通せ」
 内官の報せに上奏から顔を上げた王は、誰だったか考えた。だが、どれだけ考えを巡らせてみても思い出せず、途中で無駄だと思って断念した。側室の名一つまともに覚えていなかったから、思い出そうとしても思い出せないのは当然だ。
「痛…っ」
 ズキリ。頭が痛みを訴えた。最近いやに頭が痛む。昼夜を問わず治世に尽くしてきたから考えられなくもないが、王はそれとは別に理由があると知っていた。故に、頭痛は王が死なない限り続くだろうと予想もしていた。
「殿下」
 腫れぼったい唇を持った女人が王に礼をして座り、王を呼ぶ。顔は俯けられており、よくよく顔を見たがやはり誰だったか思い出せない。
「殿下、どうかお休み下さい」
 勿体ぶって間を空けた後、賢妃庚氏は王を呆れさせた。何を言うかと思えば、まさかそれだけのためにここに来たわけではあるまい。側室と言えども大殿に妄りに足を踏み入れることは許されず、重要な案件でもない限り罪に問われてもおかしくない。
 しかし、新しく入ったから分からないだけかもしれない。王妃でもあまり入らない大殿に、まさかそれだけのために。何か他の案件があるのかもしれない。
 まだやるべきことが残っている、と言って、再び上奏に目を戻した。暗に下がれと伝えたつもりだが、間違えて解釈されてしまったらしく艶めかしい笑みを浮かべて賢妃庚氏はいいえと言った。
「殿下、どうか私のために」
「賢妃」
 何をどう解釈すればここまで滑稽に間違えるのか。賢妃のために何かをしてやるつもりはないし、何かをされるつもりもない。王宮に入った以上、側室として威厳を保ち王室の繁栄に勤めることが役目だ。それを分かった上で入ったはずなのに、どうしてこうなるのか
「何をしている、下がれ」
 王は情けをかけてやる気もすっかり失せてしまった。さっきと一転して表情を冷たく変貌させ、ぎろと賢妃庚氏を睥睨した。
 よく優しいと勘違いされるが、それは違う。王にとって大事なものは優先されるが、そうでないものはどうでもいいだけなのだ。賢妃庚氏も噂を信じ、のこのこ足を運んだのだろう。
 一方、賢妃庚氏は先程までの艶めかしさから傷付いたていで、王の尊顔を恐れ多くも見詰めていた。優しさに漬け込んで夜伽をして、王妃を廃位に追い込み新たな王妃へ取って代わろうとしていたのだろう。何故か側室は生き残れないと信じきっているところがあると、前々から気付いていたものの、放っておいた因果だろうか。
「殿下、いけません」
 しかし、賢妃庚氏は王が読んでいた上奏を取って台の横へと置き、口元に三日月を作っていた。物分かりの悪い賢妃庚氏に、王は目の力を強めた。
「賢妃」
「殿下、お休みになりませんと。体を壊しては民も悲しみます」
「賢妃」
「さあ、今宵は我が殿閣へお越し下さいませ」
「賢妃」
 さも当然と、賢妃庚氏は事も無げに言ってのけた。賢妃庚氏は王の視線の意図に気付かず、王の手をするりと怪しい手つきで握り、自身の豊満な胸へと導く。若々しい胸ははちきれんばかりに膨らみを持ち、けれど若さを失った王には興味もそそられなかった。
「賢妃、放せ」
 愛を一人にも注がなかったからか。最早王妃にも止められないほど、それは急速的に暴走し始めているのかもしれない。ならば、このまま夜伽をしてしまおうか。何れにしろ、王は誰と夜伽をしようが責められる謂われは無かったし、それも一つの義務だ。
 半ば諦めていた矢先、ピシャンッと房室に大きな音が響く。
「賢妃、罪に問われたくなければ下がれ」
「安浪長公主…」
「身分も弁えず、正一品四夫人の地位を与えられておりながら、何たる狼藉か、庚賢妃」
「姉上…」
 安浪長公主。父王完宗大王と廃妃閔氏の娘であり、兄王延宗大王の同腹妹であり、主上の腹違いの姉である。
「主上、側室を纏められないとは…王室の威厳も地に落ちます」
     
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