「い、今…何、と……」
「九十九の王が廃位されました」



 覚醒して、何故こうなっているかが分からなくて、暫し瞼を開けたまま固まった。どうやら寝床に横たわっているようだ。頭が軽くなったことから考えても、それは間違い無い。
 だが何故、眠っていたのか。思考が問い掛ける。
「母上、お目覚めになられましたか」
 それに被さるようにして聞き慣れた声が耳に届き、鬘を外しても重たい頭を向けた。声の主は世子だった。世子は無表情でこちらを見ており、情けない王の姿を見せるわけにはいかないと、体を起き上がらせようとするが重たくて出来なかった。
 途中でくずおれた体を、世子が支えた。支えられた手を退けろと制するが、その手は退かされることなく世子の双眸に捕らわれる。
「世子」
「まだ横になっていて下さい。急に起き上がっては、また倒れます」
 事務的な態度に怒りなんて感じず、大人しく従った。どちらにしろ、今は動かない方が得策のようだ。
「母上。痛みはありませんか」
「ない」
「では、今暫しお休み下さい」
「よい。起き上がれる」
 世子が矢継ぎ早に尋ねる。淡々と返すが、最後はそういうわけにもいかなかった。
 肘をついて起き上がろうと足掻くが、今まで伏せていた体はそう容易くはさせない。けれど、だから起き上がらないと言うわけにはいかず、自力で最後の一踏ん張りと体を起こす。
 だるい。頭がぐわんぐわん回り、手に力が入らない。起き上がっただけで肩で息をし、世子にはそんな姿を見られたくなくて息を整える。
 哂笑されているようで気に食わない。
「それが、母上が全てを捨てて得たものですか」
 世子は冷めた目で、やはり嘲る。そんなものか、と。
「母上が私や弟妹達、何人もの夫。我が父上まで捨てて得たものは、逆に母上を苦しめているではありませんか」
「……か…」
「母上?」
 そうだ。思い出した。あの人が、愛したあの人が、世子の父親が。
「な…か……公」
「母上」
「那珂公…那珂公が!あの人がッ」
「母、上?」
 あの人が、廃位された。女王となった自分の後を追うようにして即位したあの人。結局、自分と関わったために廃位されてしまったのか。
 手を伸ばしてくれていたのに、掴めなかったから。世子の父親に別な人物を与えたから、嘘で固めたから。
「母上、落ち着いて…落ち着いて下さい」
 どうしよう。国政も民も捨てたいのに、捨てられない。捨てたら過去を無かったことに出来るわけもなく、誇りや人生を否定されることと同じ。
 何の前触れもなく、突如として狂ったように実父の名前を呟き彷徨うようにして力無いのに起き上がろうとする。母の今まで見たことがない姿に、逆に世子は狼狽えた。今まで女王として全てを決めてきたのに、感情もない冷酷な人のはずなのに。
 父以外にも股を開く淫売だと思っていたのに。
「母上、女王の風格を保って下さい」
 母王はピタリと止まる。視線は世子を捕らえ、やっと映す。
「世子」
「はい」
「そなたに玉璽を渡す」
「母上!?」
 それは、世子の考えが当たっているならば。
「そなたに譲位する」
「母上!何を勝手なことを…」
「代わりに!」
 声を荒げた女王は世子の意見を許さない。
「代わりに、蓬莱公子との婚姻を認め、公子を中殿として王室の一員に迎え入れることを認める」
「母上…それ、は…」
「従え、世子」
 嬪宮ではなく、国母に他国の者を迎えるなど考えられないこと。瑞雨王が前例を作ったが、あれは既成事実を先に作って手を打ったためであり、本来ならば有り得ないことだ。
「世子。最後に母の話をよく聞け」
「母上」
「玉座は何かと引き換えに得るもので、何かと引き換えに失うものだ。お前は中殿と引き換えに、王座に座らなければならなかった」
 世子は王婿の息子ではないという負い目があり、義弟の大君に明け渡そうかとも考えていた。王子君と何ら変わらない故に、相応しくないと思ったのだ。それを見抜き、敢えて王座に座らせる。
 これは、取引だ。
「玉座は孤独だ。妻も夫も信じ、臣下を信じ、民を信じ。手にした全てを信じてもいいが、同時に疑わなければならない。その肩には、仕える民や国がいるからだ」
「…は、は上…」
「だが、それが王だ。王は統治に全てをかけ、熱を注ぎ込まなければならない」
「母上…」
「そんな重荷を負わせる私を。実父に会わせてやれないだけでなく、違うものを父と呼ばせ、愛情を注げなかった私を決して許すな」
「は、は…う…え」
 世子は体に何かが絡まるのを肌身で感じた。それは他の何者でもない、女王の腕だ。
「愛している」
「母上…」
「お前はそっくりだ」
 だから、あの時殺さなかった。
「殺せなかった、のですか?」
「間違えるな。あの時蓬莱公子を迎えていれば、お前は廃世子になり、流刑にでもなった後に賜薬を下されていた。私の子に出来損ないは作らん」
「はい、母上」
 世子は母の腕に抱かれながら、初めて世子と王の違いを知った。だから女王は王で、母にはなれなかったのだ。
 女王が王でなくなる時が、世子が王になる時。同時に、女王が人に戻れる時なのだ。
     
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