閉じ込めないで!
「お〜、さむ……」
とぼとぼと廊下を歩く私は先生に企画のダメ出しをバンバンされた直後である。よく考えてこれですか?とクールな椚先生の声が頭の中をズルズルと巡っていて悲しくなる。そうです、よく考えてこれです。先生の声がキンキンに冷えるのもわかるぐらいには移動がキツキツで現実的ではない進行計画だと思う。しかし主催者側の要望を取り入れ、私なりに考えた結果こういうスケジュールになってしまったのだ。こんなの言い訳だってわかっているけどあんな冷たくしなくてもいいじゃん!……思考があまりにも子供で自分に呆れてしまう。
(仕方ないかあ)
よく考えなくともあんなアホスケジュール、ダメ出しされて当然である。切り替えていかないと。
しかし今日に限って切り替えが上手くいかない。他に最適解が出てこない。
「名前さん、こんにちは!」
「うわ!?」
ちょっと感傷的だった私の気持ちは急に現れた日々樹先輩によってさらに乱される。今日も元気そうで何よりですが今はかまってあげられる気持ちの余裕がない、勘弁してくれ。私の問題だというのになんかとんでもない八つ当たりをしてしまいそうになっている。
「私は今、個人的な理由で落ち込んでいてあまり余裕がないので構わないでください」
「……?」
キョトン、と大きな目を数回瞬かせたる先輩は何か仕掛けようとしていたのか懐に手を突っ込んだまま止まっている。
私は内心ほっとすると先輩の真横を通り抜ける。何もされずこの人の横を通れるなんて久々だ。
そんなことよりぺたぺたと響く自分の足音にすらだんだんイライラしてきた。むしゃくしゃが止まらない。
「名前さん、私でよければ話を聞きますよ」
いつの間にかいつもより落ち着いた声が隣を歩いていた。私は前を向いたまま「いいえ、結構です」と拒絶する。これは私の事情でアイドルである先輩によしよししてもらう話ではないし、手伝ってもらってしまえばそれこそ自分の無能を証明するようなものだ。何よりこれ以上惨めな気持ちになりたくない。
「あまり思い詰めるのも良くないですし何か私にお手伝いすることがあればぜひ、いつでも」
日々樹先輩がゆっくり離れていく気配はあったが私は一度もそちらを見ずにずっと前を向いていた。私って本当に可愛げがない!
「名前さん!」
「え、うわ、」
その日の放課後だった。
ばん!とドアが開いて一瞬の静寂。私含め教室内に残っている全員の視線が一斉に動く。
「ちょっと失礼」
日々樹先輩はズカズカと教室に侵入してくると私を小脇に抱えた。咄嗟のことで私は驚いて声も出ない。隣の席の鳴上くんと目が合ったので助けて欲しいと訴える前に先輩は私を連れて教室を出てしまった。いや待ってこの姿勢パンツ見えてない?私の心配をよそに先輩はどこかに歩いていく。また屋上か?いやでももう寒いんだよなあ。
「……あの〜、屋上ですか?」
「いえ、流石に風邪をひいてしまいますよ」
それじゃあどこへ、と私が困っていると空き教室に放り込まれる。何事、と辺りを見渡しているととてもいい香りがしていることに気がつく。
「ちょっとしたお茶会をしようと思って用意しました。英智に頼んで茶葉を分けてもらったんですよ」
「一体いくらの茶葉なんですか……。怖い」
フフフ、と独特な笑い声を上げるとお店で出てくるようなお茶会のセットが用意されている机の前に私は座らされる。アフタヌーンティーみたい!行ったことないけれど!
ティースタンドには美味しそうな食べ物が綺麗に並んでいる。
「先輩、もしやこういう何かお茶会的なものを主催するのにハマってますか?」
「前回のお茶会から結構経ってますからハマってる頻度ではないですねえ」
「それもそうか。あれは夏前でしたっけ」
高い位置から紅茶が入れられるのを見ながら某刑事ドラマのことを思い出していた私は何か用件があるのかを聞いてみるが意味深にウインクされて終わった。どういうこっちゃ。
「特に用事はありません。ただ私があなたとこうして過ごしたかっただけです」
そうですか、と私が口の中で小さく返すとにこ!と先輩は一番下の段からスコーンを私に差し出した。
「さあ、こちらをどうぞ。美味しそうにできましたのでぜひ」
「できましたので?先輩が作ったんですか?」
はい!と元気よくお返事されると改めてこの多才な先輩に関心してしまう。スコーンなんか作ったことがない。
「え、すごすぎ。実は今日、お昼食べそこねちゃったんですよね。ありがたくいただきます」
先生のダメ出しを聞いて先輩に嫌な態度をとって教室に戻ったときにはお昼休みはほぼ終わりで、何も食べることができなかったのだ。食欲があったわけじゃないので今この瞬間まで空腹は感じていなかったのが幸いだ。
さて、と私はいただいたスコーンを咀嚼しながら先輩の様子をこっそり確認する。相変わらずニコニコとしているが何を考えているのかわからない。いまだに私を構う理由もわからない。先輩も暇じゃないだろうにわざわざなんの理由があってこんなことをしているんだろう。可愛がってくれている、というのはほんのり理解はできたが納得はしていない。真白くんほどの接点など私たちの間にはないので余計意味がわからん。
「えー、先輩?」
「なんでしょう」
「私に用事がないのであれば今回はなぜこのような会を?」
私の話を聞きながら先輩はケーキを取り分けてくれている。綺麗な手がトングを優雅に扱っているのは眼福だ。
先輩は私の問いかけにう〜んと唸ったがすぐににこ!と笑いかけてくる。そのまま時間が過ぎるのできっとなんでもないんだろう。いつもの気まぐれなのか?
「さあ、紅茶もどうぞ。冷めますよ?」
「はあ、どうも」
もぐもぐと食べたことない何かを食べ切ると立ち上がった。用がないなら長居する必要もないだろう。私は企画進行の練り直しをしないといけないので油を売っている暇はないのだ。
「忙しいので今日は失礼します」
「つれないですねえ」
ふん!と反抗期のような状態で出口に向かっていく。あ〜あ、私ってなんで日々樹先輩に意地張っちゃうんだろう。そういう情けない自分も嫌になるなあ。先輩はすごい人だし相談に乗ると言われた時点で素直になるべきだったのに。案外頼りになる人ではあるし自分にもプラスになったはずなのに勿体無いことをした。
はあ、とドアノブを回して固まる。え、なんで開かない。ガチャガチャと捻るがびくともしない。え、なんでなんで。
「……どうかされました?」
「開かない」
さあ、と血の気が引く。これは一体。
ここは外鍵なので内から開けることができない。この短い間にいったいなぜ。
「ふむ、タイミングが悪かったみたいですね。どうしましょう」
「スマホがポッケにないってことは教室だ。やばい、先輩はスマホ持ってますよね?」
先輩は両手をあげて困った顔をしている。現代人だというのに二人して持ってないなんてことあるんだ!
本格的にどうしようかと唸っていると先輩は優しい声で私を呼んだ。
「今日は名前さんとの予定があったので放課後から一時間後に姫君とレッスンの予定を入れていたんです。私が現れなければ誰かしら探しに来るでしょうし、しばらく待ってみましょう」
「……はい」
私は先輩との予定はなかったのだが、と言いかけたが大人しく先輩の前に座り直す。先輩に次の予定があるのは不幸中の幸いだがこんなところまで探しにきてくれるだろうか。
「まあ、ただ時間が流れるのを無駄にするのもなんですしお喋りでもしましょうか」
「はあ、どうぞご勝手に……」
先輩は私の目の前に書類を広げた。見覚えのある企画書だな、と思って慌てる。これは今私が一番困っている企画の進行表!
「え、なんで持ってるんですか!?」
「先ほど教室に伺った時に机の上に置いてあったので一応持ってきました!」
ジャーン!という効果音が聞こえてきそうである。ああ、なんでもありなんだこの人。
「……もしかしてですけどこのお茶会で私の相談に乗ろうとしてくれました?」
もっとギャイギャイ怒られるかと思っていたのか先輩は少し残念そうに肩をくすめた。
「どうでしょう。タネ明かしをしてしまうと面白くないですから」
意味わからん、と私は呆れる。先ほど先輩に対して素直になれないことを反省したばかりだし正直私の状況はあまりよくないので先輩が相談に乗ってくれるというのであれば甘えてもいいだろうか。少し迷った後、「じゃあ、お願いします」と言えば先輩はやっぱり肩透かしを食らったように笑う。
「なんだか今日はやけに素直ですねえ」
「それだけ私が困ってるってことです」
「ふふ、名前さんのお力になれそうですね。とっても嬉しいです」
それで、どのあたりに心配事が?と頬杖をついた。ワクワク!と背景に書いてあるのが見えそうである。ワクワクする内容でもなんでもないというのになぜこんなに楽しそうなのか。理解不能である。まあこの先輩を理解できたことなんて悲しいことに一回もないけれど。
「実は企画の進行について先生にかなり絞られまして……。主催者の希望やアイドルの負担を考えた結果かなりキツキツな状態になってしまってどこを削れば最適解になるのかわからないんです」
「名前さんの優先はどこなんですか?」
「私の優先は――」
穏やかな時間だ。私がボソボソと言葉を絞り出すのに合わせるように先輩も声のボリュームを抑えてくれている。時々先輩が紅茶を入れ直してくれながらまとめ直すこの時間はかなり有意義である。
「で、できた〜!」
先輩は直接答えをくれることはしなかったけどヒントをたくさんくれた。とにかくしっかりまとまった。私の優先順位を整理して大事なものの取捨選択、主催者の要望で無理があればそこの代替え案をいくつか準備しておく。主催者の要望を取り入れながらの進行を作るのは初めてで全部盛り込まないといけない!と勝手に思っていたけどそうか。無理なものは無理で削るための交渉材料を用意すればいいのか。簡単なことすぎる。できないものはできない。そりゃそうだ。
「ありがとうございます!日々樹先輩がいなかったら叱られテイク2になるところでした……!」
ぱ、と先輩の方を見る。先輩は見たことがないぐらい穏やかな顔をしていた。幸せそうにも見えるし安心したようにも見える。私の時が一瞬止まってしまったように全部がスローに感じる。その瞬間の日々樹先輩は夕日に照らされた彫刻のようにも見えた。
「よかったです、名前さんが元気になって」
「え、あ」
何かに美しい、という強烈な感情を抱いたのは今が初めてかもしれない。
「日々樹様、お時間になりましたが……」
いきなり現れた第三者の声に私は飛び上がる。先輩が小さい声で「おや」と呟いた。
「ああ、名前さんもいらっしゃったんですね。驚かせてしまったようで申し訳ございません」
「ふ、伏見くん」
にこ、と伏見くんは嘘くさい笑顔を私に向けると広げられた惨状を見てため息をついた。咳払いをした伏見くんは話の仕切り直しをする。
「片付けが間に合っていないようですが頼まれたお時間ちょうどでは早かったでしょうか?」
話が見えない。伏見くんは日々樹先輩を探し回った口ぶりではない。確実にここの鍵を所持してまっすぐ声をかけにきている。何か違和感だ。え?頼まれたお時間って言った?
「もしかして先輩……」
外から鍵がかかっていたのは先輩の自作自演なのでは、という疑いは先輩のわざとらしい「どうしました、名前さん」という言葉で確信に変わった。
私を気に掛けたのだとしても大掛かりすぎる!!どうやって鍵閉めたんだ!コ※ンくんもびっくりだよ!
「わざわざ閉じ込めなくてもよかったのに!」
「こうでもしないと名前さん私の話を聞いてくれないじゃないですか」
お〜いおいと泣きまねをする日々樹先輩と何も言い返せない私。伏見くんがちら、と時計を見て口を開いた。
「日々樹様、坊っちゃまとお約束の時間がもうそろそろですので……」
声は穏やかだが笑っていない。何やってんだこいつらぐらいに思っているのだろう。
「待たせてごめんね、伏見くん。先輩、ここは私が片付けておくのでどうぞ行ってください」
「そうですか……?それではお言葉に甘えてお願いしましょう。そこにタッパーもあるので食べきれなかったのは持ち帰っていただいて大丈夫ですよ」
「至れり尽くせりですみません」
後は3Bまで持ってきていただけると嬉しいです、と言い残して去ろうとするので慌てて呼び止める。
「あの、今日は変な態度取っちゃってすみませんでした。あと企画も先輩のおかげで上手くまとめられそうです。本当にありがとうございました」
モゴモゴしてしまったけど多分伝わっただろう。
ふわりと薔薇の香りがして目の前に日々樹先輩が立っていた。私を見下ろす先輩は何か言いたそうだが少し考えたあとぽん!と薔薇を一輪差し出す。思わず受け取ってしまった。
「次は何も迷わず私を頼ってくださいね」
――元気のない名前さんを見たくないので。
そう続けられた私は先輩が去った後ももらった薔薇を茫然と眺めるしかなかった。