サボらせないで!


「こんにちは、名前さん」
「げえ!こんにちは!」

咄嗟に出た拒否の呻き声に日々樹先輩は満足そうに笑った。なにがそんな顔をさせるのかとやや不審だ。この先輩に関して本当によくわからない。いくら才能のある尊敬すべき先輩だろうとなんだろうとこういう風に絡まれるのは歓迎出来なかった。

「今日も元気そうですね。何よりです」
「……先生が先輩が授業に出ないと困ってましたよ。最上級生なんですからしっかりしてくださいね。本当に」

それでは、と去ろうとすると道を塞がれる。ピタリと立ち止まって視界に広がる先輩の胸元を眺める。私の目は死んでいるだろう。す、と両胸を隠すように先輩の手がクロスした。

「名前さん、見過ぎですよ。流石の私も照れてしまいますし、穴が開きそうですっ!!」
「おかあさ〜ん、助けて〜!」

頬をほんのりと桃色にしている先輩と話をする前から会話できる気がしなくて思わず母親に助けを求めてしまう。当たり前だが助けはこない。
私の様子に動じることもなく先輩は未だもじもじしている。なにをしているのか。私はゆっくり先輩をかわして進もうとしたが再び行手を阻まれる。

「……」
「……」

今度はしっかり先輩の目を見た。邪魔です、目でそう伝えたつもりだった。ところがなにを勘違いしたのか、ばちん!とウインクを飛ばされてしまった。ぱっぱと払う仕草をするがこれも効いている様子はない。
腕時計を確認するとそろそろ本当に授業に遅刻する可能性が浮上した。次の時間は椚先生なのだ。万が一遅刻なんてしようものならどでかい声で説教されるだろう。

「あの、本当に授業始まっちゃうんですが」
「おや。もうそんな時間ですか?」

先輩の意識が逸れたのを感じ取った私は横をすり抜けて教室に向かおうと足を動かしたがなぜか私の足は空中を切っていた。私はいつの間にか日々樹先輩に羽交い締めにされていたのである。

「ぎゃー!!助けてーッ!」
「あっはっは!名前さん!こんないい天気なんですよ?どうして教室で授業を受けようなんて思われたんですか?」
「いや、成績!関わるから!」

先輩は聞こえないのかどんどん私の教室から遠ざかっていく。いや聞こえてるだろ。ふざけんなよ。おい!おい!!
ずんずんと先輩が私を運んでいくものだから半ば諦めて空中に足を投げ出した。むりお手上げ!

「おやおや。日々樹くんに名前の嬢ちゃん、散歩かえ?仲が良いのう、羨ましいわい」
「こんにちは、零!見ての通り両手が塞がってますので手を振りかすことが出来ず申し訳ありません」
「どこに目付いてるんですか!?仲良く見えます!?助けてください!」

ほのぼのと会話を繰り広げる先輩たちは多分私の声が聞こえていないようで返事をしてくれない。日々樹くんとのデート、存分に楽しんで来るといい♪なんて言われてもは〜いなんて返事はできない。この後も深海先輩やら逆先くんやら出会いはしたが誰一人として助けてくれなかった。逆先くんに至っては「未確認生物発見の瞬間だネ。」と私の状態を笑った。私が無事に帰ってきたら覚えていろよ。そしてなんでみんな当たり前に授業に出ていないの?

「屋上まで連れてきて何するんですか?バンジーとか言ったら許しませんからね」
「視線で紙が切れそうですね。ご心配されているようなことはしませんよ。ただいい天気ですので一緒に日向ぼっこでもしようかと……♪」
「……いや、あっついです。いい天気とかじゃなくて」

きょと、と私を見下ろすと「ああ!」と笑った。私をおろすとせっせと何かを用意し始める。今のうちに逃げられないかと周りを確認するが先輩の位置が絶妙でどうも隙がない。授業開始のベルが鳴ったのが聞こえたので私は潔く諦めることにした。未来の私、諸々は君に任せた。

「はい、どうぞ。名前さん」
「え?……どこから用意したんですか」

意識を戻すと奇抜なデザインのパラソルの下に椅子が二つ並べられている。間には丸い机がおいてあり私は片方の椅子に案内される。謎だ。何も言えないままゆっくりと腰掛ける。目の前の先輩は座らず相変わらずニコニコとしている。

「少々お待ちください」

そのまま屋上の出入り口に消えていく。私はパラソルの外側を見上げる。確かにとんでもなくいい天気だ。先輩の言う通りでなんとなく授業を受けるのは勿体無いような気がした。正直言って私は根が真面目な学生ではないのでサボることに関して強い抵抗があったわけではないのだ。日々樹先輩に何をされるかわからなかったので抵抗をしたのだが今日はあまりこう無茶を要求される雰囲気はない。のんびりと雲を数えているとスマホが震えた。

「お、大神くん」

どこ行った。と短くメッセージが来たので私は綺麗な空を写真におさめ送っておいた。すぐに既読がついたが返事を確認する前にそっと綺麗な指が私のスマホの画面を塞いだ。

「お待たせいたしました」

いやに静かな声に気をとられて気がつかなかったが いつの間にか先輩が私のスマホ奪って指挟んでいるではないか。ああ、大神くんまた後ほど。スマホの代わりになんだか果物が盛り盛りのトロピカルなドリンクが私の目の前においてある。

「うわ〜!」
「SNS映え、でしたっけ?こういうの女性はお好き、と聞いたもので用意してみました!」

確かにこういうのは好きだけどなぜ……?と一瞬固まる。不審に思いながらドリンクを観察する。海のような美しいブルーでキラキラしていて爽やかだった。少し固形のような形も見える。ゼリー状の飲み物だろうか?自販機でたまに見かける振って飲むゼリーを思い出した。

「先輩って本当に器用ですね。凄い!」
「ふふふ、名前さんに喜んでもらいたくて用意してみました。因みにこちらの飲み物は二人用のストローで飲みます!」

は?と先輩の手元を見ると吸口が二つあるアホみたいなカップル用ストローがあった。

「え、やです」

そう言われると思いまして!と手元を高速で動かすとストローは二つに分かれる。手品だ!よく見れば後ろにワゴンがあって先輩の分と何か軽いお菓子のようなものもあった。ここまで一人で運んできてくれたのかあ、と申し訳なさが出てくる。

「どうぞ、名前さん!」

恐る恐るストローをさして口に含むとやはりゼリーのような食感である。

「美味しい!うわあ〜!凄い、これどうやって作ったんですか?」
「お気に召したようで何よりです!レシピは企業秘密です。私が用意しますから飲みたい時はいつでもおっしゃってくださいね」

先輩も目の前に座ると私におしゃれなフォークを手渡してくれた。これで持って目の前にある果物を食べればいいのだろうか。

「それで?今日はどういうつもりですか」
「いつものように名前さんを驚かすのも有りかと思ったんですけどね。因みに気球で空中散歩というのが候補にありましたが少々大掛かりですし一人で気球の準備は現実的に厳しいですからねえ。本日は趣向を変えてみました」
「いや、ちょっと待って、気球……?」

恐ろしい単語が聞こえたので思わず聞き返すと途端に日々樹先輩の目が輝いた。気になります!?と身を乗り出してついでにといわんばかりにフォークに刺した林檎を口元に押し付けられる。私はそれに反射で口をつけてしまった。だいぶ冷やしたのであろう。シャクシャクとした食感が心地よい。

「……これもどうぞ」

オレンジ、マスカット、と どんどん口の中に放り込まれる。日々樹先輩の方の果物が消えていくので私はなんの気無しに自分のからオレンジを差し出した。私のオレンジを見て先輩の動きが止まってしまった。なぜ?と考えてから自分は何をしているのかと急に恥ずかしくなる。しかし今引っ込めるのはなんだか違うような気がしてならなかった。そう、これは果物を分けてくれたお返しだ。自分に言い聞かせて必死に気持ちを落ち着かせる。

「早くたべてください。液垂れてきてるんで」

私の言葉に少し困ったように笑ってさっとオレンジを攫っていく。この先輩が何か食べているのを見たことがなかったので思わず直視してしまった。

「見過ぎです」

先ほどのようにふざけていない様子である。どこで照れてるんだ、と私はマスカットを咀嚼した。

「何か、みんなが授業受けてると思うと優越感ですね」

私の言葉にそうですね、と先輩は返事をした。

「だんだん日中の気温が上がってきましたね。もう少し季節が進むと外でお茶をするのも危ないですからここでお茶をするなら今のうちかと思ったんです」
「はあ、まあ…今年の夏も暑いみたいなのでそうかもですね」

少し汗ばむような季節は海風が当たるだけで気持ちがいい。冷たい果物や飲み物が体を冷やしてくれてさらに心地良く感じた。

「こうして名前さんと穏やかに過ごしたことがないな、と思ったんですよ」
「ここまでくるのに結構大騒ぎでしたけどね」
「私、思ば三年生ですので学生として名前さんと過ごす夏は今年だけなんだと思うと色々な事をしたいと、ふと思ったんです。それは夏に限った事ではないんですけどね!まずは手始めに天気の良い午後、二人でサボって優雅に過ごすという事をやってみようと思いつきまして 本日ご足労いただきました」

じゅ、と私のストローが最後のゼリーを吸い上げた。先輩は私に少し厚めのメモを手渡す。

「これが私が名前さんとやりたい内容です」
「多」

私はざっと流し見をして唸った。最初は私にちょっかいをかけてそれを見て楽しんでいる意地悪い人だと思っていたが違うのかも?というのはここ最近で薄らと感じていた。先輩は少し変わった人だ。私のような普通の人間とは常識が違うのだろう。
多分、先輩は私をまあまあ気に入っている。だから積極的に構ってくれるのだと思うけどその度合いが激しいのだ。大袈裟に言えば人間がハムスターを可愛がるぐらいの激しさがあると私は思っている。

「なんで私なんかに構ってくれるんですか?」
「それ、前にも聞かれましたねえ。答えをお話しするのは簡単ですけどこういうのは名前さんも察していただかないと寂しいですから!もう少し頑張ってください」

はあ、と私は桃をかじりながらフェンスに向かう。グラウンドで一年生が走り回っていて、こちらから見える校舎の窓には学生が座って授業を受けている。それらの上で私は冷えた桃を食べ、日々樹先輩と風を感じているというのは中々贅沢に感じた。
私が二口目を含んだ時だった。

「そこにいるのは2-B、名字名前ですね!?今からそこに行きますから動かないように!!」

窓から半身を出してこちらを指差しながら叫ぶ椚先生としっかり目が合ってしまった。思わず桃を落としそうになるが慌ててキャッチする。

「おや、見つかってしまいました」

パラソルの下で笑った先輩は片しますよ、と私に声をかけた。パラソルとワゴン、椅子を物陰に隠し果物とお菓子をクーラーボックスに入れると私の手を引いて階段を駆け下りる。
私はだんだんと面白くなってしまって笑い声を上げていた。

「あははは!!なんかドラマみたい!」
「イイですね!この後どこに行きますか?」

先輩と階段を降り切ったその時、上の方で何かを騒いでる先生の声が聞こえて顔を見合わせて笑う。あーあ、うまく逃げ切ってしまった。
先輩は私と穏やかなお茶会をしたかったのだろうけど先輩が先輩である限りそれは難しいだろうなとこっそり思った。