騒がないで!
刺すように冷たい風が頬に当たって思わず息を呑んだ。凍った空気が肺にいっぱいになって震えてしまう。ああ寒い。
現在企画の担当をしているアイドル達に朝練があると言われ始発で登校しているのだが早く着きすぎてしまった。勿論門も開いてないので海沿いを歩いてみることにした。ざりざりと海風に攫われてやってきた砂がアスファルトと擦れて辺りに響いた。なんとなくセンチメンタルな気持ちになってしまう。ああなんていうか、いい朝だな。静かで、水平線に揺らめく昇りきらない朝日が綺麗で、砂浜も心なしか煌めいているように見える。ちょうどいい具合に冷たい空気が私の背筋を伸ばした、 時だった。
「名前さん」
目の前に落下してきた何かにバランスを崩しゆっくり尻餅をついてしまった。アスファルトに打ったおしりが痛い。
「……え?」
私は空を見上げた。どこから何が降ってきたんだ?
美しい男が私の視界を遮るようにして顔を覗き込んできた。
「おはようございます。あなたの、日々樹渉です!」
「……チッ」
思わず漏れた舌打ちを慌てて収集するとスカートを直しながら立とうと腰を上げた。その瞬間、何を思ったか日々樹先輩は私の腕を取りながらそのまま体を持ち上げる。地面から足が浮いて私は悲鳴をあげた。
「ちょ、ちょっと!何やってるんですか。降ろしてください!」
「遠慮しないでください。それに落としたりしませんよ」
そこを心配しているのではないが何を言ってもこの人は聞かないんだろうと大人しくする。こんな早朝だ。この辺りにいる人なんて居ないだろう。見られて恥ずかしいことは、ない、と思わないと平静では居られなかった。
「あ〜もう」
「名前さん、景色はどうですか?」
え、と先輩を見るとにこりと口元を歪めた。
「さあ、ご覧下さい!」
海の方向を指で指す。私が指先を目で追うとバサバサと大きな音が耳元を勢いよく通り過ぎる。鳩だ。日の光が鳩の羽を通り抜けて目に入って眩しくて思わず目を瞑る。
「名前さん」
「なんですか」
「改めまして、おはようございます」
す、と薔薇を差し出されてうっかり受け取ってしまう。ほんのりと美しい香りがした。
「お、おはようございます」
おや、と先輩は私の顔にかかった髪を払う。
「私の髪が絡んでましたよ!髪まで仲良しだなんて!ああ、やはり私と名前さんは運命ですね、ディスティニー!」
「騒がないでください!」
静かに!と慌てて口を塞ぐと満足そうに目を細める。
「もごもが、」
先輩の口の中で何かが紡がれたが私には聞き取れなかった。