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パチパチと拍手の音が響いて私は息を吐いた。舞台の上に立つのも最後、私が知らない誰かにこんなに見てもらえるのも最後、うるさいほどに眩しいライトに照らされるのも最後。ゆっくりピアノ椅子から腰を上げると客席に向かってお辞儀をする。私の演奏を聴いてくれてありがとう。この曲を理解出来たかは分からないけれど、私なりに咀嚼して飲み込めた。絶対、今までの練習の中でも良かった演奏だ。私は自信を持って舞台を後にする。ああ、こんな風に充実した気持ちになるということはなんだかんだ楽しい数年間だったんだろう。

「なまえちゃん、最高だったわよ!」

舞台袖で別の子と順番待ちをしていた先生が私の肩を叩く。じ、と先生の顔を見てから「ありがとうございます、」と返す。多分、お世辞ではなかった。晴れ晴れした気持ちで控え室で着替えをして荷物をまとめて会場を出る。急に明るい空が目に飛び込んできて顔を顰めた。眩しいなあ。

「なまえちゃん!」

「……お姉ちゃん。」

「なあによ、もう!なまえちゃんにも素敵な人がいるのね。」

お姉ちゃんにも今度紹介してよね、と小突かれて首を傾げる。何を言っているんだ??能天気に花を飛ばす姉を見て謎は深まる。

「会場で大きな声で応援してくれた彼、なんて言う名前?なまえちゃんも、あ〜んな顔するのね。お姉ちゃんがドキドキしちゃった。」

「…………や、やめてよ。」

どんな顔だろう。舞台の上で私はどんな顔をしてしまったのだろうか。別の意味でドキドキする。

「付き合ってるの?」

「ま、まさか。………ただ、その、私の好きな人ってだけで……。誤解だわ。」

「へえ〜?そうなの?ふぅん?」

にやにやと私の顔を覗き込んで浮かれている姉の顔を押しやって帰り道を辿る。

「え…?」

目の前に通せんぼをするように立ちふさがった影に私はぎょっとする。

「あ、あんずさん…?」

じ、とこちらを見ているあんずさんに混乱する。どうしてこんな所にいるのだろうか。え?まさかアイドルである衣更くんに恋愛感情を抱いてしまったことで何か忠告をされるのだろうか。いや、大丈夫です。そんな衣更くんと付き合いたいだとかそんな滅相もないこと考えてません…!とぐるぐると理由を探るが全く分からない。

「お疲れ様です。ごめんね、少しききたいことがあって…。」

「聞きたいこと…?」

後ろで姉がなんだなんだ?と見守ってくれているのを心強く感じながら身構える。

「真緒くんと、喧嘩した…?」

「喧嘩…?いえ、そんな。そもそも、喧嘩するほどの間柄では無いわ。なんでそんなふうに…?」

「真緒くんは特に何も言っていないんだけど、なまえちゃんに北斗くんが連絡する時にやたらそわそわするしその後も元気なかったり、ぼーっとしてるから何かあったのかと思ったの。雰囲気的に喧嘩したのかな、と思ったのだけど違ったのかな。」

「…………。」

喧嘩ではない、あれは一方的に私が衣更くんに……。彼の様子は朔間先輩すら避けている今、全く分からないがそんなふうに衣更くんが気に病む必要もないはずだ。お互いに「??」と見つめあって数秒。

「多分だけど、衣更くんはなまえちゃんと何かあってここの所変なんだと思う。演奏会にも来てるくらいだからよっぽど気にかけているはず。」

「………、そうかな。」

思わずスカートの裾をいじる。そうなら、嬉しい。

「あ、そうだ。これを渡したくて来ました。」

1枚のチケットを渡され思わず受け取る。ライブのチケットだった。そういえば氷鷹くんからライブに誘われていたな、と頭の隅で考える。日にちを確認して行くことを伝えた。


* * *

久しぶりにスマートフォンの画面に映った名前にやれやれと息を吐いた。友達が居ないなまえが誰かに何かを相談するとしたらそれは絶対に俺だ。ただしなまえは頑固なのでこの状況で連絡してくるのはもっと先になるかと思っていたのでこれは成長だなと内心頷く。
どれどれと画面をタップして内容を確認する。

「…?」

“アイドルのライブで使う団扇について聞きたいことがある”…?突然なんだ?ととりあえず返事をすることにした。どうやらあんずにTrickstarのライブに誘われたらしい。なるほど。俺のライブの時はそんな団扇なんて持参してきたことなんかないのに。へえ。



なまえは指定しておいた材料を握りしめながら警戒したように部屋を見渡す。久々になまえが居る空間になんだか笑ってしまう。

「ま〜くんは今日来ないよ。」

「は、はあ…。」

「それで?持ってきた?」

なまえは頷くとホームセンターで買ってきたであろう団扇の材料を広げる。

「すみません、よろしくお願いします。」

こういったグッズのようなものを作ったことのないなまえはインターネットを調べてみても分からなかったようで泣く泣く俺に連絡してきたようだ。なんで最初に連絡してこなかったのかなぁ。全く。

「そもそも団扇って何を書くのが正解なんですか?皆目見当がつきません。先輩から見て団扇の文字って見えるんですか?」

「はあ、俺にはそんなもの持ってきたことないのに、ま〜くんには手間暇かけるんだねえ…。」

「す、すみません。気が利かなくて…。」

「まあいいよ、次回に期待してるねえ。ステージからの景色ってなまえも発表会で見たことあると思うけど意外と客席はよく見えるんだよ。文字もよく見えるよ。こういうのはして欲しいファンサービスを書くものだよ。」

ファンサービス…、となまえは呟くと唸り始めた。その横顔を眺める。随分表情が明るくなったなあ。ま〜くんセラピーが効いてるのだろう。

「そうそう、セレナード良かったよ。あの発表会で一番上手だった。」

「……ありがとうございます。」

何かを思い出したように頬を染めると絞り出すように声を出した。何、ウケる。これが恋の曲の解釈ができないと悩んでいた女の子。180度変わっちゃって。良きかな良きかな。
やはりま〜くんとは偉大だ。

「その、ううん、と。その節はお世話になりました。」

「俺が誰かの世話を焼くなんて滅多にないんだから感謝するように。」

「はい…。あと、ファンサービスって何が一般的ですか?」

「え〜?投げチューして、とかピースしてとか?」

なまえには難易度高かったのだろう。ほんの少し固まった後また唸り始める。青春である。

「なまえはま〜くんにして欲しいファンサとかないの?」

「すごく失礼な話なんだけど衣更くんをアイドルとして見ていないというか…。」

難しい。

「私は衣更くんと仲直り?したくて…。ファンサービスはあんまり…。団扇作らない方が良いんですかね…。」

「え?もうそれで良いじゃん。"仲直りして"で良くない?」

冗談混じりでそういうとなまえの目が輝いてしまった。しまった、とは思ったが意気揚々と「それにします!」と作業を始めてしまった。あ〜あ。

「先輩。私、手先にあんまり自信がなくて…。手伝ってもらえないですか…?」

「はいはい、なまえ様の仰せのままに。」

からかわないでください!となまえが怒ったのを面白く思いながら真横に座り込む。
人間の成長とは時に寂しく感じるものだなあ。