「ね〜ちゃん?」
肩を揺すられてハッとする。いけない、今はRa*bitsの練習中なんだ。心配そうに覗き込んでくる天満くんの丸い瞳を見てしまうと罪悪感が襲ってきた。ああ、やってしまった。ぼうっとしててちゃんと集中できてなかった。
「なんだか顔色が悪いんだぜ…?」
「あ、えと、ごめんね。大丈夫!ちょっと考え事しちゃってて。」
ごめんなさい、と尻つぼみに謝れば疲れてるんだと言われる。疲れてない、ただ、怯えているだけだ。誰にも必要とされなくなってしまうかもしれない、という事が怖い。あんずちゃんは最近は作曲も勉強してる、と聞いたのも思い出して焦りを感じ始めている。
「( 私も服の事だけじゃなくて作曲とか振り付けとか勉強した方がいいよね。)」
未だ心配そうにこちらを見ている天満くんの頭を撫でてから再び肩を落とした。こういう誤解をされかねない事をする所が怒られる要因になっていくんだ。慌ててと手を離すともう1度お願いします、と声を絞り出した。
友也くんのダンスが上手になったと褒めたところ大いに喜んでくれて私も嬉しかった。少しでもやる気に繋がるといいなあ、とスケジュールを確認する。
練習が終わった後私は家庭科室に居た。ここまで泊まりが多いとこの部屋の主になってしまいそうだな、とトルソーを並べる。母親は放任主義であるから心配はしてないようだが娘としてはもう少し心配してくれてもいいのではないかと母の「了解」という可愛くもないスタンプを見つめながら思った。泊まる報告をするとすぐこれだ!
流星隊の衣装は今夜で終わるだろうと準備を始める。細かいところの刺しゅうが終われば完成だ。光沢のある帯を解いて針を刺していく。
日が変わった頃にそれは完成した。良かった!衣装合わせができる。高峯くんご希望のゆるキャラのアップリケは本人に来てもらってから位置を決めよう。あとは別件で進めていた衣装も何とか昼休みもフルで活用したし間に合いそうだ!良かった! なんて手帳を見ながら考えているうちに睡魔が襲ってくる。お風呂入りたい、眠い、と何とか体を起こしシャワー室へ急いだ。寝てしまったら明日の朝早く起きないといけない。せっかく学校に居るんだからギリギリまで寝たい。
「…おや、名前の嬢ちゃん。」
「あれ?朔間先輩。」
ぬ、と現れた赤い瞳に一瞬怯む。月の灯りが先輩の体を照らした。
「こんな夜中に何をしておるのじゃ?危ないから早く帰りなさい。」
「今日は泊まりなんですよ。だからシャワー借りようと思って。」
「ふむ、そしてその後は家庭科室、かの。」
え、なんで知ってるんだと驚いたのがバレたのであろう。くっくっくっ、と息を漏らすようにして笑う先輩が腕を組んだ。
「我輩に知らぬことはない。」
「は、はあ。」
では、と先輩の横をすり抜けると待て待てと引き止められる。正直早く寝たい。限界だ。
「嬢ちゃんに我輩の棺桶を貸してやろう。今日は帰るし夜はあまり使わん。それに何より、あそこは安全じゃ。」
「え?」
「シャワーを浴びたら軽音部の棺桶で眠るが良かろう。案外寝心地もいいぞ。」
「………え、いいんですか?」
思ってみない申し出だった。とても嬉しい。机に突っ伏すスタイルの寝方は起きた時の体の負担が酷かった。この年で腰痛持ちになるんじゃないかとヒヤヒヤしていたのだ。そして何より寒い。今日だけでも借りられるのは有難い…!と私は朔間先輩と分かれた後にすぐシャワー室に直行し髪の毛を乾かし軽音部の部室へ急いだ。
隅の方に置いてあるそれの蓋を開けると案外広い。そりゃあそうか。朔間先輩が普段寝てる場所だもんなあ。上履きを脱いで横たわると本当に寝心地は良かった。バタンと蓋を閉めて真っ暗な空間になるととても落ち着いた。朔間先輩の匂いだろうか、優しい香りがする。すぐに私の意識は落ちていった。
「おい!起きろ!」
「うわ!?え!」
なんだなんだと慌てて頭を上げようとして何かに頭を打ち付けた。声にならない悲鳴を上げてもう1度体制を戻す。どんどんと振動が伝わってくるのを感じながら混乱する。ここはどこだ。真っ暗でええと、あ!そうだ!昨日朔間先輩に借りた棺桶だ!と、言うことはこのガンガンと棺桶を蹴るのは大神君だろう。全く乱暴なんだから、と声をかける。
「大神くん!わたし!名字!」
「は?」
よいしょと扉を開けるとやっぱり大神くんでぽかんと口を開けている彼はとても間抜けな顔をしていて面白かった。
「おはよう、大神くん。」
「…いやなんでてめ〜がいんだよ。」
「借りたの。先輩昨日帰るって、使わないからどうぞって。温かくて先輩の優しい香りしてすごく寝心地良かった…!大神くんも寝てみなよ。」
どっこいせと棺桶から出る。立ち上がって気がついた。大神くんの他に羽風先輩や乙狩君も居た。
「朝練?」
「いやいやいや、名前ちゃん。朝練?じゃないでしょう、もう〜!保健室借りればよかったじゃん…!なんで朔間さんの寝床なの!」
危機感がない!と怒られるが保健室は夜、貸出されていない。先生が居なくなれば鍵がかかるし、1回でも私が貸してしまったら他の人だって泊まりの時は保健室を借りたいだろう。私だけっていうのは不平等だ。
「え、だって先輩帰るって言ってたし。」
「もう揃っておったんじゃな、おはよう。…おや、嬢ちゃんもおったか。我輩の棺桶の寝心地はどうじゃったかのう、」
注意を入れてくる羽風先輩に弁明を入れようとしていた時、ぬ、と眠そうな顔をした朔間先輩が入ってきた。
「あ、昨日は本当にありがとうございました。すごく寝心地が良かったです。」
「そうかそうか、それならまた使うと良い。」
「ダメ!もうダメ!名前ちゃん、朔間さんはおじいちゃんだけど男なの!危機感持って!」
ガクガクと揺すられると寝起きの頭に響く。はあ、と大きなため息をついた羽風先輩は約束だからねと念を押してくる。使わないと言われた寝床を借りただけなのに、こんなに言われてしまえば私は頷くほかなかった。残念だ。
UNDEADの練習の邪魔をしては行けないと部室を出て家庭科室に戻る。ぺたぺたと自分が廊下を歩く音が響く。時計を見ればまだ8時前だった。なんだもう少し寝れそうだなあ、と家庭科室に入ると誰かが居てあれ?と首を捻る。
「あんずちゃん?」
「あ、名前ちゃん。おはよう。」
「おはよう、どうかしたの?」
私の衣装を眺めているあんずちゃん。どうしたんだろうと近寄れば これ、と刺繍部分を指さされる。
「これ、すごい。どうやって作るの?教えて欲しい。」
うん、いいよ、と言いかけて唇を噛む。あんずちゃんがスキルアップしちゃったら、と昨日考えてしまった嫌なことを思い出してしまったのだ。ちらりとあんずちゃんを見れば純粋な漆黒の瞳が私を見ていた。彼女は成長したい、と思ってる。みんなの為に本気だ。私なんかが「邪魔」してはいけない。
「……うん、いいよ。わかった。今度作る時に声掛けて。」
「ありがとう。…それで、本題なんだけど、」
うん、と頷くとあんずちゃんは信じられないことを言った。
「今回のKnightsのレッスン、私じゃ難しいかも。」
「え、」
そんな、困る。だって、そんな。
「い、急ぎの仕事入っちゃった?わ、私手伝うし、何とかお願いできない…?」
ふるふると首を横に振る彼女に酷く焦る。ふと瀬名先輩の顔が過ぎる。あの時の顔が忘れられない。私は邪魔をしてしまう、頑張ってる先輩の邪魔をしたくない。
「あんずちゃん、お願い。私もダメなんだ。あんずちゃんじゃないと、納得してくれない。」
「………誰が?」
「………、」
瀬名先輩が?とあんずちゃんは言った。なんでわかるの。瀬名先輩が私に対して何か言ってたのかな。
「誰がとかじゃなくて、ええと、あの。」
「とにかく私はダメ。ごめんね。」
家庭科室を出ていってしまう背中を絶望的な気持ちで見送る。Knightsの練習は今日もあるのだ。どうしよう。なんで急に…。
呆然としたまま制服に着替える。のろのろと家庭科室を出ると教室に向かった。
誰もいないと思った教室に朔間くんが居て、寝ているのか机に突っ伏していた。昨日の練習で何かあったんだろうか、聞きたい、けど怖くて聞けない。
「………、」
スケジュール表を眺める。本番まであと一週間。Ra*bitsは形になってきている。Knightsは特に問題はないだろう。Ra*bitsはあと3回。Knightsはあと4回練習がある。Ra*bitsの方が多く組んでた筈なのに何故かKnightsが多く残っている。あんずちゃんに任せっきりにしてたからすっかり安心してたなあ。
「………名前の匂いがする。」
のそりと起きた朔間くんに私は肩を震わせた。私に顔を向けたあと小さく手を振ってまた寝てしまうのを見て寝ぼけていたんだと知る。肌寒い教室に微妙な空気が流れた。