守沢先輩と羽風先輩とお昼ご飯を食べた次の日、私は一年生のフロアに居た。朱桜くんに渡したビデオカメラの受け取りをしたかったからだ。進み具合をあんずちゃんに渡さないと。
「朱桜くん。」
赤い丸みのある頭に声をかけるとぱあ、と目を輝かせて私の方へやってくる。
「名前お姉様!」
「ごめんね、昨日カメラ取りに来るの忘れちゃって…。」
どうぞ、と朱桜くんから渡されたカメラの映像をチェックする。しっかり録画されていて私はほっとした。
「うん、ばっちり。さすが朱桜くんだね、ありがとう。」
今日はあんずちゃんがKnightsの練習に参加する日なのでデータを移さないと、と気持ちが焦る。最悪、遊木くんのパソコンを借りてあんずちゃんには事前チェックをしてもらおう…、と不手際に落ち込みながらカメラをしまう。
「あの、お姉様…、本当にKnightsの方には顔をだしてくださらないのですか…?」
「え?う、うん。ちゃんとあんずちゃんに頼んであるから大丈夫だよ。心配しないで!」
「いえ、私が言いたいのはそういうことではなくて…。」
「…あ、もしかして私が瀬名先輩の事恨んでKnightsの衣装を疎かにするんじゃないかだなんて思ってる?それも心配しないで…!瀬名先輩の言ってる事は正しいし恨んでるとかもないから、安心して!」
冗談めかしてそう言えば朱桜くんは "そういう事ではないです!" と怒る。私が驚いてごめんと謝れば はあ、とため息をついた。
「私はお姉様がKnightsのlessonにいらして下さったのは本当に久々だったので嬉しかったのです。まさか、あんなふうに瀬名先輩が怒るとは思ってなくて、お姉様がもういらしてくださらないと思うと…。」
しょんぼり、と肩を落とす後輩を素直に可愛いと思った。私が練習に参加しないという話でこんなに寂しそうにしてくれるなんて正直嬉しい。
「…そりゃあ怒るよ。私が軽率な事をひとつするだけでKnightsの活動に影響が出るかもしれない。それだけ先輩はKnightsを大切に思ってる。朱桜くんだって自分の大事なものは守りたいでしょ?ああやって他人にちゃんと怒れる先輩は他にいないよ。」
これは嫌味ではない。尊敬だ。やっぱりまだ怖いけど瀬名先輩は本当にすごい人って分かるから誰にも悪く言って欲しくない。月永先輩もよく言ってるけど先輩の美しさは先輩自身が磨いてきたものだ。それだけ努力を出来る人なんだ。
「お姉様がそうおっしゃるなら私はもう何も言いませんが、またKnightsのlessonにはいらして下さいね、絶対ですよ。」
私は返事を出来ないまま曖昧に笑った。きっと先輩は嫌がる。私が持ってきた企画だし最後の練習は正直見たいが少し難しいかもしれないなあ、と考えながら朱桜くんと分かれる。
結局ダビングは間に合わずカメラをそのままあんずちゃんに渡すことにした。隣の教室を覗くと賑やかそうにしている中心にあんずちゃんが居た。邪魔しちゃうかな、と恐る恐る近寄って声をかける。
「これ、Knightsのこの間の練習の映像なんだけど、ダビング間に合わなくて…。Ra*bitsは今日使わないから良かったら参考にして!」
「え、いいの?嬉しい…。名前ちゃんはこういう細かいところ気を使ってくれるよね。」
「え!そ、そうかな。」
正直憧れてるあんずちゃんにそう言われると照れる。じゃあね、とあんずちゃんと分かれて教室に戻り裁縫箱をあけて気がついた。大変だ、刺しゅう枠がない。あれがないと細かいところ刺繍を進められない。多分昨日はそっちの作業をしてないからKnightsのスタジオに置いてきてしまったのだろう。はあ、と思い足を引きずるようにして教室にいた鳴上くんに声をかける。
「刺しゅう枠置いてきちゃったみたい。Knightsのスタジオにお邪魔してきていい?」
「良いわよ。名前ちゃんが行くならアタシも行こうかしら。」
お散歩しましょ、と私の手を引くと教室を出る。鳴上くんは最近あった事とか椚先生の話とか沢山引き出しがあって会話が止まらない。私はただ相槌しか打てなくて申し訳ないなあと思うけど鳴上くんは特に気にしてる様子もなかった。背の高い鳴上くんをちらりと見上げると丁度目が合って なあに?と楽しそうに聞かれる。
「鳴上くんとお話するの楽しいって思って。」
「ふふふ、アタシも名前ちゃんとお話するの楽しいわよ。」
Knightsのスタジオに着くと扉を開けようとして固まる。誰かがいる。曲を流して動いてる音がする。昼休みなのに誰だろう。不思議そうにする鳴上くんに人差し指を唇の前に立てて静かにの合図を送る。ほんの少しだけ扉をあけて視線だけで音の招待を探る。グレーがかった髪の毛が揺れるのが見えた。
「瀬名先輩、」
え?と鳴上くんは私の上から中を見て まあ、と呟いた。きゅ、きゅ、とシューズが床を擦る。昼時の暖かい光が先輩の髪に当たって反射している。後ろ姿しか見えないが背中から気迫が伝わってきた。
「…鳴上くん、邪魔したら悪いし、戻ろうか。」
「いいの?」
「うん、購買で新しいのを買うか鬼龍先輩か斉宮先輩に借りる。」
その場を去る前にもう1度中を覗く。真剣な表情で何度もステップを踏んでる瀬名先輩は素敵だった。邪魔をしたくない、先輩が頑張ってることを全力で応援したい、そんな馬鹿なことを考えて頭を振る。私がそう思ってても先輩からしたら余計なお世話というやつだろう。
「あら、泉ちゃんの事気になる?」
「気になるっていうか…。純粋にすごいなあって。私はあそこまでストイックに出来ないよ。普段はちょっと怖いけどすごい人。尊敬してる。」
鳴上くんは少しだけ驚いた顔をした。
「あれだけ苛められてるのにそんなふうに思えるの?アタシだったら顔も見たくなくなっちゃう!それにほら、名前ちゃんは流星隊の先輩との方が楽しそうだわ。」
「流星隊の先輩?えー!どっちだ?!…え?守沢先輩?ああ、まあ、話しやすいし頼りになるって思ってるけど瀬名先輩はまた別枠っていうか…。私がここに来て最初に衣装を作ったのがKnightsなの。その時にライブの映像を見させてもらって、瀬名先輩の動きがすごく繊細で…、忘れられないんだよねえ。すぐにこういう衣装を作りたい、着てもらいたい!ってイメージ湧いたの。あんなの初めてで…。勿論みんなの衣装を作るのは楽しいんだけどね。」
「ああ、うん、そうなの…?」
本当に戸惑ったみたいに視線を彷徨わせると顎に指を添えて何かを考えている。おかしなこと言っただろうか。まさか瀬名先輩を贔屓してるとは思ってないだろう。
「名前ちゃんは泉ちゃんの事が怖いのよね?」
「うん。ちょっとだけね。ウマが合わないみたいだし、嫌われてるみたいだし、正直若干苦手に思ってるけど……、尊敬はしてるから。」
「…そう。」
鳴上くんは優しい顔をして私の背中を数回叩いた。なんの合図かは分からなかったけど鳴上くんがあんまりにも嬉しそうに笑うものだからそれ以上は聞かなかった。
次の日私はあんずちゃんと廊下を歩いていた。Ra*bitsとKnights両方とも練習のある日で場所の方向が一緒だったのだ。私はあんずちゃんに返してもらったカメラの電池を確認する。まだ行けそうなので今日の練習で使おう。最近、真白くんのダンスが上手になってきたので本人にも見せたい。
「あんず、」
後ろから声がして振り向けば瀬名先輩が立っていた。私が呼ばれたわけじゃないので黙って頭を下げる。今日の練習に関してかな。じゃあ私はお邪魔だし先に行こうかしら。とあんずちゃんの背中を見送る。寄り添うようにして立つあんずちゃんと先輩はなんだかとてもお似合いだった。ロッカーに隠れてしまったあの日を思い出す。
「( そうだ、先輩はあんずちゃんのことが好きなのかもしれないんだ。)」
ちらりに視線を寄越した先輩に慌ててもう1度頭を下げる。気が利かないなあ、私!
「失礼します、」
走り去りながらもう1度振り返る。先輩の柔らかい表情があんずちゃんに向けられていた。その時ちくりと胸が痛むのを私は理解出来なかった。いいなあ、あんずちゃん。先輩に名前を呼んでもらえるし、普通にああいう表情をしてもらえる。きっとあんずちゃんは私みたいには怒られないだろうし信頼も厚いだろう。分かってる。全部わかってる事だ。今更悲しむことじゃない。妬むことじゃない。
「うらやましい。」
不意に出た妬ましげな自分の声に思わず足を止める。
プロデュースに関しては絶対的にあんずちゃんの方が上だ。私は衣装だけ。じゃああんずちゃんの洋裁の腕が上がって私が必要じゃなくなったら?
「…………、」
誰にも頼ってもらえないんじゃないか、と急に怖くなった。自分の存在が分からなくなる。ぐらりと足元が歪んだ気がして慌てて気を引き締める。
だめだ。私はこれから練習に行くんだから余計な事を考えちゃダメだ…。大きく深呼吸をして気持ちを正した。私だってやればできる。そう何度も唱えるとRa*bitsの待ってる部屋まで走った。