瀬名先輩は丁寧に髪の毛を梳いてくれた。絡まないようにだろうがなんだか落ち着かない。暫くしてドライヤーを止めると先輩は何やら私の髪の毛を弄り始めた。再び緊張する。なんだろう。

「あんたは昨日みたいなハーフアップじゃなくてポニーテールの方が似合うよ。」

貸しな、と私の腕の髪ゴムを取る。その時に気がついてしまった。私の斜め前、大きな姿見があることに。瀬名先輩の顔が見えた。先輩は見たことない優しい顔をして私の髪を触っている。その瞬間、全身の血が逆流し始めたんじゃないかと思うぐらい騒がしい気持ちが私を襲う。

「…ほら、やっぱりね。」

私の前に回り込むと満足そうに笑う。先輩のこんな顔、初めて見るからだろうか。目を見ることが出来ない。

「………、あ、ありがとうございます。」

「はいはい、どういたしまして。あとこれね、朝ごはん。」

再び袋を押し付けられる。中を覗くと今日はおにぎりとタッパーに入ったちょっとしたおかず。ぱっと顔を上げると先輩はいつもの仏頂面に戻ってしまっていた。

「あの、ほんとにすみません…。洗って返しますね…。」

「当然でしょ。俺は行くから。じゃあね。」

そういうとスタスタと家庭科室を出ていってしまう。私はいただいた朝ごはんと扉を見比べる。その後鏡の前に立って先輩がアレンジしてくれたポニーテールに触れる。サイドを片方だけ編み込んでそれを一緒にてっぺんでまとめ、おまけに髪ゴムを隠すように三つ編みの束が巻かれていた。先輩の器用さに感動した。鏡に触れると先程の先輩の顔を思い出してしまう。あんな優しい顔を私にもしてくれるんだ…。

「…………、」

頬が熱くなりそれを抑えるようにして両手を添える。ああ、なんだこれは。疲れだろうか、どうしていいか分からない。いつまでそうしていたか分からないが予鈴がなって意識を取り戻す。危ない、大変だ教室に行かないと。瀬名先輩からもらった朝ごはんを引っつかむと廊下を走る。先輩の優しい顔が頭から離れない。どうしよう、どうしよう。
後らから蓮巳先輩が怒鳴ってたような気がしたけど私はそれどころじゃない。先輩にどんな顔をして合えばいいのか分からない…!
ギリギリで教室につくと鳴上くんが手を振ってくれた。

「おはよう、名前ちゃん。」

「お、おはよう、鳴上くん。」

席につくと髪型を褒められる。名前ちゃんてやっぱり器用なのね、なんて言われてあわてて否定をした。

「あ、いやこれは人にやってもらったというか!」

「え?そうなの?」

「う、うん。瀬名先輩がやってくれて…」

ぎょ、とした表情を浮かべると鳴上くんはため息をつきながら頬を染める。

「泉ちゃんがねぇ……。そう……、頑張ったのねぇ…。」

「いや緊張はしたけど私は頑張ってない…」

「分かってるわよ、名前ちゃんじゃなくて泉ちゃんが頑張ったの。」

はあ、と私は引き下がる。先輩が頑張った。何をだろうか。もしかして私に関わることを頑張った、とか…?う、それはそれで落ち込む。

「そう言えば今日は衣装合わせでしょう?名前ちゃんが作ったお洋服着れるの楽しみだわ。」

「ありがとう。ただレッスンじゃないからきょうは家庭科室に集合してもらおうかと思ってるんだ。後でまた時間とか送るね。」

嬉しそうに笑う鳴上くんに私はやっと一安心で席に着いた。先輩にもらったおにぎりを咀嚼しながら放課後集合の連絡をする。私もみんなに衣装を来てもらえるのはとても嬉しい楽しみだ。早く放課後にならないかなぁと気持ちが浮き足立った。


放課後、私は先生に提出物があるという鳴上くんと朔間くんと別々に家庭科室に向かった。床が布だらけになってるのを見て私は箒を出そうと掃除用具入れを開ける。すると外から足音が聞こえた。1人分の足音にもし瀬名先輩だったらと思うと今の状態で二人きりになるのは私の気持ちが危なかった。反射的にロッカーに入り込む。丸くなるようにしてうずくまったところで気がついた。これは、どうやって出ていけばいいんだろう。

「……、」

机に荷物を置く音だろうか何やら聞こえる。今うちに出ていけばまだ許されるのではないかと立ち上がろうとして再び誰かが入ってくる音がした。

「あら、泉ちゃん1人?」

「……そうだけど…、あのちんちくりんは一緒じゃないわけぇ?」

やはり最初に来てたのは瀬名先輩で今いるのは鳴上くんと朔間くんだ。う、気まずい。とりあえず再び丸まると様子を伺う。タイミングは必ずあるはず…!

「先にいったはずなんだけど…。それより泉ちゃん?名前ちゃんはちんちくりんじゃないわよ。なんでそう意地悪言うのかしら?」

「はあ?身長もないし子供だしちんちくりんでしょ。あんずの方がまだちゃんとしてる。」

ずきんと胸が重くなった気がした。あんずちゃんの方がちゃんとしてるかあ…。そうだよね、あんずちゃんはあんたとかちんちくりんとかじゃなくて名前を呼んでもらえる。

「え〜?お世話大好きセッちゃんは名前ぐらいが丁度いいでしょう。ダメなの?」

「……意味がわかんない。」

だからぁ、と朔間くんは気だるげに声をあげた。

「例えば恋人にするなら名前の方が張り合いあるでしょ、って話。」

思わず文句を言いそうになったが我慢する。まさかこんな話を聞かれてるなんてきっと誰も思ってないはずだ。ああ、朔間くんのばか。

「何でそんなこと答えなきゃならないわけ?それに話が突拍子すぎ。」

「いいじゃんいいじゃん、たまにはさあ。」

こういう話が大好きな鳴上くんもきゃあきゃあと話に加わっていてもう誰も止めてくれる人はいなかった。やだな、聞きたくない。

「………、あのちんちくりんはない。」

「ふぅん、泉ちゃんはあんずちゃんの方がいいってこと?意外ねぇ。」

何が?と瀬名先輩が文句を言い始めたのが聞こえた時私の視界が滲んだ。分かってた答えだったけど直接聞いちゃうとだめだなあ。こんなところにはいるんじゃなかった。ずきずきと痛い心臓を抑えてから私は首を傾げる。

「( 私は先輩のことが苦手だと思ってたんだけどなあ )」

何がこんなに私を苦しくさせるのか分からずぼんやりしているうちに先輩が私を探しに出ていってしまった。先輩、私はここに居ます。