衣更真緒は多忙である。約束は守られた事はほぼほぼ無いし埋め合わせと指定された日にちも衣更真緒が多忙なせいで別日になり伸び伸びになって行くのだ。
ここまで衣更真緒の文句を言っておいてなんだが私は特に衣更真緒のカノジョという訳では無い。ただのそう、ただの幼なじみである。ただし私は朔間凛月とは幼なじみではない。接点は驚く程に全くない。名前だけしか知らない朔間凛月という男が現れてからというもの私は永遠の2番手となっている。2番手なのかすらもうよく分からないけれども。…まあ、高校生にもなって幼なじみとベタベタつるむのもおかしな話だろう。アイドルとなった衣更真緒はさらに忙しくしているしなんとファンだって多く居る。面倒事ばかりに首を自分から突っ込んで嬉しそうに「面倒事はゴメンなんだけど…♪」なんて言ってるのを見ると正気か?と問いたくなる。
時計を見て私は腕を組んだ。本日は衣更真緒と会う約束だった。見たい服があるから付き合ってくれと言われ集合場所に待機している。そう、1時間も。連絡はない。どうせお優しい衣更真緒くんのことですから?困ってる人を見て手伝ったり面倒事に首を突っ込んで居るのでしょうね、ええ、衣更真緒くんは私以外には本当に優しいから。ムカムカと腹が立った私は帰ることにした。ばーかばーか。私は丁寧に着信拒否をしてSNSもミュートにした。ブロックしないだけ有難いと思いなさいよね。はあ〜あ、馬鹿みたいだと手負いの熊みたいな顔をしているであろう私は駅に向かって歩いていく。電車賃返せ。

「………は?」

前からやってくる人物にとても見覚えがあり凝視していると衣更真緒ではないか。しかも隣には女の子を連れてのんびり楽しそうに!笑いながら!歩いてやがる。時たまスマホの画面を見て何か打ち込んでいるけど特段急いでる様子はない。私はすっかり怒っているのも忘れて2人の様子を眺める。

「( …本当に馬鹿みたいだ。)」

正直に言おう。私は今日を楽しみにしていた。真緒が忙しい時間の合間のほんの少しの時間で私とあってくれる。それだけで嬉しかったし私はまだ真緒の幼なじみで居られているんだって思えた。なのに、こんなの酷い。私は真緒にとってただの幼なじみでいくら時間に遅れても許してくれる都合のいい人間なのだ。分かってたのに!期待して!楽しみにして!髪なんか巻いちゃって!馬鹿!滑稽!笑えるわね!ぐす、と鼻を鳴らし臍を曲げた私は真緒と見知らぬ女の子の横をすり抜けて駅へ向かう。この人混みだ真緒は私なんかに気が付かない。
ドン!と何かにぶつかって鼻を打った私はとうとう泣いた。相当痛かったし我慢してた分がぼろっと涙となって出てきてしまったのだ。

「う、うわ、大丈夫…!?」

「大丈夫じゃないわよ!どこ見て歩いてんの、バカ!」

弾みでペタンと地面にお尻をついて文句をつける。相手は私の顔を見て「あ!」と言った。そりゃあ「あ!」でも「うわ!」でも言うでしょう。私は鼻血を出していた。踏んだり蹴ったりだ。見知らぬ男の子は私の腕をとると慌てて道の隅に寄せる。ジロジロと私を見ていた人達はまた人混みに紛れていく。

「ねえ、本当に大丈夫?ごめんね。君、小さくて見えてなかったみたい。」

「なにそれ、馬鹿にしてるの?」

ほら、とタオルを差し出され初めて相手を確認する。その瞬間私は固まってしまった。

「明星スバル………、」

「え!俺の事知ってるの?嬉しいなあ。まあ、とりあえず拭きなよ。せっかく綺麗な洋服なのに汚れちゃうぞ〜?」

ゴシゴシと私の鼻を擦った明星スバルを手で制すとやめて!と暴れる。ダイキチミタイ!と謎の発言され更に構われた私はげんなりと身を任せる事にした。好きにしてくれ。

「お〜よしよし、綺麗になったよ。あ、でもお化粧はボロボロ。あははっ、変な顔〜!」

「………、」

ボロボロになった私はさぞかし恨めしい顔つきなのだろう。更に明星スバルのツボを突き刺してしまったようで爆笑につぐ爆笑。ありがとうございます。芸人か私は。まあ滑稽な女には変わりないのだろう。私は反転すると再び駅に向かった。こいつは放っておこう。

「あっ、ねえねえ待ってよ!お詫びにどこかでお茶でもしない?鼻血のお詫びにお代は俺が持つし。どう?」

「結構です。サヨナラ。」

「え、なんでなんで?俺、お昼まだなんだよね。お腹すいちゃった!一緒にいた仲間はそれぞれ用事があるみたいでさっき解散しちゃったんだよね。1人でご飯食べるのもなんだか味気ないしさ。ねっ、人助けだと思ってお願い〜!」

思わず明星スバルを見ると捨てられた犬、みたいな顔をしている。くそ!アイドルってやつぁ!どいつもこいつも顔が良い!彼の顔に負けた私はコロッと明星スバルの後をついて歩くことになる。



「…………、あの。」

「なになに?」

「……私とご飯楽しいですか?ニコニコしてるけど私たちべつに弾む会話もして無いし。」

確かに!と明星くんはフォークで私を指さした後「あ!行儀が悪いってホッケ〜に怒られちゃう!」とそれを下ろした。

「1人でご飯食べるよりは全然楽しいって思うけどね。…君は、って名前まだ聞いてなかったよね?教えて教えて!」

「…………名字です。」

「下の名前は?俺は明星スバル!」

知ってます、とパスタをクルクルと絡める。絡まるパスタを見ながら早く帰りたい、と意識の外側で考えているとねえ、と話しかけられた。

「このあと暇?俺、ウッキ〜と合流してレッスンする予定なんだけど大吉見てくれる人が居なくてさ。どうしてもの時は学校のグラウンドに放っておけばいいんだけど今日は部活が有るっぽいんだよね。…まあ勿論名字さんが良ければだけど。」

時折出てくるダイキチの存在に興味がない訳では無い。ダイキチってなに。

「……爬虫類とかじゃないですよね。」

「まさか!犬だよ犬!」

「行きます。」

突然だが私は犬が好きだ。仲良くなれるなれない関係なく犬が好きだ。途端に心が温かくなった私はパスタを素早く平らげた。犬に会いたい。この荒んだ心を何とか癒したい。明星くんに奢ってもらうのはさすがに気が引けたので自分で食事代を出すといいのにと明星くんは声を上げた。さすがにアイドルと二人きりの場面を注目されるのはまずい。静かに!!と口を抑えながら店外に出て大吉の場所に案内させる。



明星くんに案内され学校内に入る。部外者の私が平気か…?とソワソワしてしまったが明星くんが守衛に何か伝えると通行証を持って戻ってきた。はい!と元気に首からかけられると安心する。あいつ誰だの視線に死にそうだったのだ。
明星くんは私の手を引くと走り出す。急に引っ張られた私は「うおおお、」と酷い叫びを上げた。

運動場らしき所で立ち止まった明星くんは「大吉〜っ!」と大きな声を出す。途端にハッハッというあらい息遣いでこちらにやってくる愛らしいフォルム。

「うひあああ、可愛い〜っ!!」

ぴょん!と明星くんに飛び込むと大吉くんはぺろぺろと彼の顔を舐めまわした。やめて〜、と戯れる1人と1匹は私の擦れた心を癒すには充分だったのだ。はあ、もう私の世界に何が起こっても許せる。

「はい、大吉のリード。とりあえずこっちこっち!ウッキ〜は校舎裏だって。今日はレッスン室取れなかったんだなあ、残念。」

タプタプとスマートフォンを弄りながら1人で何か言ってるのを聞き流しながら私は大吉くんのおしりを見ていた。
しばらく歩いていると校舎裏に人影が見える。

「あれ?明星くん、その子誰?」

もう1人の存在に明星くんは飛びかかると私との経緯を説明した。遊木くんは私に同情の視線を向けると「大丈夫だった?災難だったね。」と声をかけたられた。私は無言で頷く。本当に災難だった。

「俺の名前を知ってたからファンの子かな?って思ったんだけどそんな空気1ミリもないし害も無さそうだから連れてきちゃった。大吉見ててくれるみたいだしレッスン始めちゃお。」

私は遊木くんに軽く一礼した後邪魔にならない所に大吉くんと移動する。木の下に寄ると私は大吉くんと見つめ合った。きゅるん、とした瞳が好奇に溢れていてとても可愛い。

「はあ〜、かわいいでちゅねえ〜!撫でてもいいでちゅか?」

「わん!」

「お返事もできるんでちゅね〜、おりこうさんでちゅ〜!」

そっと顎を持ち上げるようにして撫でる撫でる撫でる。うっわあ、ふわふわ…!一頻り大吉くんをいじり倒しているとレッスンをしていたはずの2人がスマートフォンを見てワイワイと楽しそうにし始めた。不思議に思っていると画面から顔を上げどこかに手を振っている。視線を辿ってぎょっ、としてしまう。

「( げ!真緒!)」

大吉くんを抱き上げると木の裏に隠れた。とてもとても気まずい。大吉くんが不思議そうに私を見上げている。しー、とやるとぺろぺろと私の手を舐めた。はあ、かわいしゅぎる…。じゃなくて…!

「サリ〜じゃん!どうしたの?今日は予定があるって言ってなかった?」

「そうなんだけどさ、ちょっと色々あってな。」

……なあにが色々あってよ!ペっ!むにむにと大吉くんの肉球をいじっていると話題は私に巡ってきた。

「あ!そうそう、サリ〜にも紹介するよ。大吉のお世話をしてくれている………あれ!?居ない!」

「誰か居たのか?」

「明星くんが連れてきちゃった女の子だよ。おかしいね、さっきまでいたはずなのに…。」

「名字さ〜ん!??大吉〜!」

「………名字…?」

真緒が不審がる声が聞こえる。大吉くんは飼い主の声に私の腕からすり抜け飛び出して行った。ああ、絶体絶命。帰りたい。来るんじゃなかった。

「あ、み〜っけ!何してるの、そんなとこで。」

ぱ、と影がさして太陽みたいな頭の明星くんが私の腕を引いた。毛躓きながら木の裏から引きずり出される。

「名前!?」

「…どちら様ですか。」

真緒が大きな声を出したものだから明星くんも遊木くんも驚いて私たちを交互に見た。私は怒りが収まっているわけではなかったので他人のフリをする事にした。

「え?衣更くんの知り合い…?」

「知り合いも何も…俺の幼なじみ。今日こいつと約束してたんだけど…、」

「いえ、知り合いでもなんでもありません。わたし、用事を思い出したので帰ります。明星くん、大吉くんはとてもお利口さんでした。ありがとうございます。」

ドカドカと地面を踏み鳴らしながら出口であろう方向に歩く。正直どっちだかわかんないけれど額に通行証かざせばそんな警戒されずに出口を教えてもらえるはずだ。

「ちょっと!名前、待てって!」

「ついてこないでもらえます?通報しますよ。」

「電話したんですけど!?」

「あなた様の電話番号を存じ上げませんので気が付きませんでした。」

また着拒にしたな!と後ろから聞こえる。もうなんで怒っているのかも分からない状態の私は疲れてきてしまっていた。真緒のことを好きでいるのやめたい。なんでこんな待ちぼうけくらいまくってまで好きでいる必要があるのか。そもそも真緒なんかより私を大事にしてくれる人なんて星の数ほど居るのではないか。

「……私もう真緒と約束事しないから。真緒だって忙しいだろうに態々私なんかじゃなくても朔間凛月とかさっきの仲間とか予定合う人ぐらい居るでしょ。私だって準備するの疲れるし待つのももう嫌だし。だからもう構わないで。」

「えっ、」

心底驚いたみたいな声を出した真緒は私の腕を引っつかむ。

「なによ。」

「………ごめんって。謝るからさ、そんな事言うなよ。」

べっしょべしょになっている私は触んな!と真緒の腕を振り払う。真緒は鞄からタオルを出すと私の顔を擦る。

「やだ!汗臭い!やめてよ!」

「我慢しろって。そんな顔で外歩けないだろ〜?」

誰のせいで…!と暴れると再び真緒に腕をとられる。じ、と見つめられると私は動けなくなってしまった。

「名前、ごめんな…?すぐ連絡しようと思ってたんだけど学校から出ようとした時に生徒会の緊急の用事が入っちまってさ…。連絡する暇なかったんだ。」

「………この間もそうだったじゃん。生徒会の仕事、なんとか同好会の問題、緊急の仕事。朔間凛月が駄々こねた。全部そうじゃん。本当に連絡出来ないの?私との約束ってちょっとぐらい遅れてもいいか程度のものなんでしょ。いつだって真緒はそうじゃん。そういう所大嫌い。一々楽しみにしてる私が馬鹿みたいだ。」

「名前、」

「もう知らない!真緒なんか今日から他人!二度と会うもんか、ば〜か!」

タオルを押し返すと私は走ってその場を去る。結局迷ったのでポツポツと現れる生徒に通行証を見せ帰り道を聞きながら出口にたどり着いた。なんだかスッキリしてしまった私は足取り軽く家路に着く。
玄関の鍵を出しながら視線を上げて後悔した。

「げ、なんでいるの。ストーカーじゃん。通報してやる。」

「ちゃんと謝りたくて先回りしたんだよ。ストーカー言うな。」

たく、と真緒は頭をかいてため息をついた。それに大きなため息で対抗をする。苦笑いした真緒が「そうだよな、ため息つきたいのは名前だよな。」と言った。その通りである。

「今日は、…って今日だけじゃないか。いつも俺から約束するのに守れなくて本当にごめん。名前が楽しみにしてくれるように俺だって名前と会うの、楽しみなんだぜ。…だから他人とか悲しいこと言わないでくれないか?」

私の左手にそっと触れて機嫌でも伺うように顔を覗き込んでくる。

「………やだ。」

「名前、」

図々しく私の頬に触れる真緒の手はアホみたいに熱くて多分走ってここまでやってきたんだな、と分かってしまってそれだけで絆されそうになる。

「お願いだからさ、また今度どこか出かけようぜ?荷物持ちでもなんでもするからさ。」

「………ずび、」

鼻水の音が心底恥ずかしい。

「名前。」

あやすような声が耳元で聞こえたと思った瞬間私は真緒の香りに包まれる。

「やだ、汗臭いってば!」

「あのなあ〜!ちょっと今いい雰囲気だっただろ!?」

「ぺっぺっ、何それ。真緒と私との間にそんなのあるわけないわよ!」

「俺はあって欲しいと思ってるし、今まさにちょっとそういう雰囲気作ろうとしてるんですけど…?」

「……………。」

ばか、と私は呟くと仕方なしに大人しくする。真緒の腕は熱い。ポンポン、と私の背中を数回叩くと真緒はちょっとおどけたように口を開いた。

「毎回遅刻や延期大変申し訳ありませんでした。今後とも名前さんとは良好な関係を続けていきたいと思ってるしあわよくばの関係も狙っているのでよろしくしてもらえないでしょうか?」

「…ぜ、全然誠意が伝わってこないしなに、あわよくばの関係って、怖。」

ごちん、と額と額がぶつかって真緒の緑色の綺麗な瞳がみえた。私はたったそれだけなのにバカみたいに腰なんか抜けちゃって真緒に体重をかけてしまった。

「ば、ばかじゃん…………アホすぎ……。」

ぶつくさと文句を言う私を見てこの調子のいい幼なじみは許してもらえたと勘違いしたのだろう。にやにやしちゃって!
ああ!憎たらしい!!!