「やあ、子猫ちゃん。」
私が図書館で作業をしている時のことだった。ふらりと現れた夏目くんに声をかけられたので挨拶を返す。そして、私は子猫ちゃんだなんて呼ばれるのが嫌だった。
「それやめてって言ってるじゃん。」
「それってどれのことかナ?」
しれっとしているのが最早憎い。そのまま目の前の椅子に腰掛けると私の作業を見守りはじめた。
「なんか用。」
「用がないとキミの傍にいちゃいけないノ?」
わざとらしく寂しいネなんて言われるとシャーペンを折りそうにもなるが私は大人なので耐えた。
「別に。夏目くんが居たいならいればいいんじゃない?ははは。」
私なりの大人の対応をすると再び書類をまとめ始める。やっと全部の不備を確認してまとめ終わったところで大きく伸びをした。やー!終わった!やれば出来る!そう私は心の中で叫ぶと机の上を片し始める。
「…最近渉兄さんと仲がいいみたいだネ。」
晴れやかな気分が一気に急降下した。え?それってもしかして日々樹先輩?
「あー、仲良しに見えるなら夏目くんもまだまだね。言っとくけど、別に仲良いわけじゃないよ。一方的に絡まれてるの。」
「へエ、気に入られてるんだネ。」
「気に入られてる!?レベルが嫌がらせじゃん。1年の真白くんも言ってるけど結構迷惑だよ。」
夏目くんは私の話を聞きながらぱちくりと目を瞬かせてはあ、と深いため息を吐いた。
「可哀想に。」
「………、」
どうやら私を非難しているようだ。声色がそう言ってる。
「………、夏目くんは日々樹先輩側の人間じゃん。つまりほぼ私の味方ではないじゃないですか。」
「ボクは平等だヨ。」
よいしょ、と机の上にカードを出すとにこりと笑った。
「占ってあげよウ。」
「わ〜、夏目くん。占いですか?」
遠くの方から青葉先輩の声がした。途端に目がすわってしまった夏目くんが低い声で「今すぐに去れモジャ公…」と呟いた。青葉先輩は慣れっこみたいであはは、と笑うと私の方にやってくる。
「青葉先輩は占い信じます?」
「そうですねえ。いい結果だけを信じるようにしてますよ。」
一緒一緒!と先輩の腕を掴んで揺さぶる。ふわふわとした髪が揺れて耳元の飾りがきらりと光った。ぎゃ〜、ギャップ…!私がしばらく青葉先輩を眺めていると夏目くんが咳払いをした。
「座ってくれル?」
じとりと眺められると私は大人しく座ることにした。なんだよ勝手に占うとか言ったのはそっちじゃん。
「うーん、そうだね。名前ちゃんも渉兄さんに構われるのは満更でも無いんじゃないかナ。このあと2人はいい方向に転がっていク、と出てるけド。」
「えー。絶対ないでしょ。インチキ。」
ぴくり、と顔を引き攣らせると私の頬を引っ張った。
「ボクの占いがインチキだっテ?面白い冗談を言うんだネ。」
「いたいいたいいたい!」
「図書室では静かにしないとダメですよ〜…!」
私たちが騒ぐのを青葉先輩が小さな声で注意した。私は素直に謝ったけど夏目くんは子供なので謝らなかった。
「だいたい私が満更でもないって何。」
「その通りの意味なんだけド。…それに実際、渉兄さんからの接触が無くなったらキミは寂しい思いをすると思うヨ。兄さんを得体の知れない何かだと思ってるなら大間違いで兄さんは案外わかりやすいんダ。」
「わかりやすいって…??」
「そのままの意味。よく兄さんを観察してご覧。」
意味深い笑みを浮かべた夏目くんが人差し指を唇に当てた。秘密のポーズ。なにそれ、そんなポーズしてないで教えてよ。私はいつもいつもあの先輩にイライラさせられたり迷惑かけられたり真意が分からなくてどうしていいかが分からないんだから。
「名前ちゃんがよく考えてキミの分からないことの答えを出すんダ。二人の問題だしボクが答えを教えていいものじゃなイ。」
「……、青葉先輩〜。」
はい?だなんて目を丸くさせて私を見る先輩は不思議そうに首を傾けた。
「夏目くんが意地が悪いので後輩教育お願いします〜!」
「あはは、そんなことしたら夏目くんに殴られちゃいますよ〜。」
目の前の男を信じられない気持ちで見つめた。先輩を…殴る…!そんなことしないですみたいなかわいい顔をして……。
「…とにかク、ボクらは答えを知っていても教えなイ。いいネ、自分で考える事。」
そう言うと先輩の襟口を掴んでどこかへ消えてしまう。完全に理解が出来ないままの私は2人を見送った後で荷物をまとめ直して立ち上がった。とりあえず必死こいて修正した書類を生徒会に提出しなければ。
生徒会室に向かいながら廊下を歩いていると反対側の校舎の方に日々樹先輩を見つけた。私はそっとそれを観察する。1人でいる時は意外と無表情なんだなあ。何にも興味ないです、みたいな目の奥は笑ってないみたいな、なんて言うんだろう。私は先輩の事を掴めなくていつも困っている。観察ってなんだろう、こうやって遠目からじっくり見ることであってる?
ふと先輩が私の方を見た。ばちんと目が合うとさっきの顔が嘘みたいに花咲いた。不覚にもドキリとしてしまう。
「名前さん!!!!!!」
窓が開いていたせいで驚くほど響いた声に慌てて窓の下に隠れる。先輩がこちらに来る前に生徒会室にたどり着かなくては…!腰を屈めてなるべく早く行動をする。夏目くんが!よく観察しろなんて言うからだ…!
慌ただしく生徒会室に入るとまず蓮巳先輩に怒られた。ノックをしろ!とのこと。その通りすぎて返す言葉もございません。私はそう早口に言うと生徒会長に書類を押し付け、また明日来ます、と声をかけ生徒会室を飛び出そうとドアを開けた。そして後悔した。書類提出、明日にすれば良かったや。
「名前さん…!どうして逃げるんですか?まさか私がこの間言った鬼ごっこを実際にやろうと?ああ…!面白い発想です!」
「やあ、渉。今日も綺麗だね。」
生徒会長がそう声をかけると先輩はにこりと笑って軽く手を振る。私はその隙に横をすり抜けた。バタバタと自分の足音を聞きながらどうして先輩が私に構うのかを考える。先程の表情の移り変わりを見る限り嫌われては…、いないだろう。よし、と思い切って後ろを振り返った。
「先輩。」
「はい!」
「先輩は私のこと好きなんですか?」
たどり着いた "嫌いではないなら私の事を可愛がっているのでは?" という答えを先輩にぶつける。先輩は数メートル後ろで立ち止まった。鳩が豆鉄砲をくらったみたいな顔をして固まってしまうのでおや?と見つめる。
「この間からそう伝えていると思うのですが、本当にあなたはこう、悪くいえば頭が悪いというか…。」
「わ、わっかりにくい…!私は本気で嫌がらせかと思ってたんですけど…。」
のろのろと私の方に歩きながら初めて見る混乱してます、みたいな顔に安心する。日々樹先輩もこんな顔をするんだ。意外とちゃんと人間なんだなあと思った。
「ええと、名前さん、」
「先輩の愛情表現って芝居かかってるんですよね。だから本当の事を言ってるのかイマイチ信用してなかったんですよ。なんだもう、今度からはもう少しわかりやすくお願いします。……真白くんにも分かってもらえるといいですね…、応援してます。」
未だに訳が分からないみたいな顔をしてる先輩に親指を立てる。
「あの、友也くんですか?」
「はい真白くんです。いやあ、夏目くんに占ってもらって良かったです。先輩の事をずっと誤解してました。」
微妙な笑顔に私も微妙な気持ちになる。なんだかその顔はつまらないと言われてるようだった。あれ?なんだ意外と先輩の気持ちってわかるじゃん…。
「先輩が後輩思いなのをちゃんと理解してなくて…すみません…?」
「…………、ああ!なるほど!」
途端に元気になった先輩は私の腕を引っ張った。楽しそうに笑いながらぐるぐると回されて目が回ってしまう。
「あっはっは!名前さんはいつも斜め上を行きますね。素晴らしい…!」
「うわわわわ、目が回るのでやめて下さい。」
しばらく私で遊んで満足したのか、ぐんと引き寄せられた。私はもう視界がぐるぐる回ってしまって仕方ないので仕方なく先輩にもたれ掛かる。
「名前さん、残念ながら鬼ごっこはまだ終わっていませんよ。」
え、と回る視界を上に向ければ先輩が私を見下ろしていた。するりと私の頬を撫でた先輩がまたよく分からない笑顔を私に向け、そのまま私の額に手を当てると優しく前髪を上げる。
「え、」
額に柔らかな唇の感触がして私は固まってしまった。え?なんで?
「それでは、名前さん。また。」
そういうとまだ正常な視界が戻っていない私を床に放置してどこかに行ってしまう。混乱したままの頭が悪いのは全部夏目くん、と結論付ける事にした。明日覚えてやがれ…。
…ああ!もう!やっぱり私には日々樹先輩が分からない!!