私の父親は有名なプロデューサーで、娘の私よりも自分の担当しているアイドルを可愛がっていたし、もっと言えばアイドルの育成に心血注いでいたので滅多に家に帰ってこないような人である。そんな人だからか遊んでもらった記憶がない。そして元アイドルの母親は私が小学生の頃に知らない男と出ていってしまったので、しばらくの間私は真っ暗な家に1人で生活をしていた時期もあった。そんなよく分からない家庭で育った私は愛情というその一言は理解ができないままで生きている。
そしてそんな私は現在、有名なプロデューサーの娘というただそれだけの理由で夢ノ咲学院に毎日足を運んでいた。父が私をここに放り込む前に言ったのは「愛情をもって育てるんだよ。」だった。それを聞いて頭が真っ白になったのは記憶に新しい。
愛情とは何か、母親にきいてみよう!と思い立ったがそういえば彼女はもう居ないんだった。私が人に興味が持てないというのは自覚はしている。そんな状態で人を育てるだなんて更に難しいことが出来るわけがない。そう父に訴えてみたがキョトンとされたあとに俺の娘だろうと言うのだ。貴方はその娘に愛情を教えたことがあるのか?と問いかけようとしてやめた。無駄なことはしない方がいい。ああもう、そんなことよりも愛情ってなんだ?
愛情、という言葉を私はインターネットで検索をしてみた。エロス、リビドー、ストロゲー、ルーダス、マニア…いろいろあるのね、と私は携帯を眺めること数秒で放り投げた。さっぱりわからん。



「おい、見てた!?」

はっ、とした私は辺りを見渡した。考え事をしながら時間が進んでいく事は多々あるが、どうやらやってしまったらしい。

「……すみません。」

誰だかわからない人の足元を見て返事をした。あ、目を見て話す。最近先生に注意された事だった。人の目を見て話しなさい。そう言われたばかりじゃないか。こちらは自覚は無かったが私は人の目を見て話せないらしい。
恐る恐る視線をあげたが、その前にどんと飛び込んできたオレンジ色の髪に私はたじろいだ。思わず視線を逸らす。しかし私の視線を追うようにしてオレンジ色はまた飛び込んできた。ほんの少しだけ緑色の瞳とあったような気がするが次の時には私はまた視線を逃がしていた。 痺れを切らしたのか目の前の人は ばちん!と私の両頬を挟み、視線を固定する。ああたしかこの人は。

「月永先輩。」

「え?」

先輩は 今!?と言いたげに目をぱちくりさせた。私はしっかり合ってる視線に落ち着かなくて視線だけ逃がそうとしたが固定されてしまっていれば、それには限界があった。

「わはは、どうだ。逃げられないだろう。さすがおれ…!天才だな!人の話は目を見て聞きましょう!」

「………、」

「いいか?もう一度やるから今度はしっかり見ておけよ〜?」

びしっと私に人差し指を向けるとまた戻っていく。私はこういう何かを見て感想を的確に伝えるという作業は苦手だった。コミニュケーションが上手に取れない。困ったなあ。大したこと言えないんだけど。しぶしぶ全体を捉えつつレッスン風景を眺めて居たが次第に違和感を覚える。流れる曲に合わせて踊る5人組はなんだか奇妙に見えた。なんだろう、ちょっと気持ち悪い。あ、わかった。

「フォーメーションがズレてる。」

私は曲の途中ではあったがお父さんに持たされているプロデューサーセットから真っ黒のゴムテープを出した。そして線を確認しながら床に貼っつけていく。バミテをすればわかりやすいんではなかろうか。テープを後ずさりするようにして伸ばしていくと何かにぶつかった。

「ちょっと!あんたなんで曲の途中で入ってくるの!?危ないでしょ!」

がっつりと首根っこを掴まれて驚いて体が跳ねた。あまり大きな声が得意ではない。母がすぐにヒステリーを起こす人だったのでそれを思い出してしまうのだ。母親が私を叱る時は叩かれることがほぼほぼだった。ハンガーやらアイロンやら色々な道具で子供の私は叩かれる。私は反射的に顔を腕で覆った。

「ごめんなさい、許してください。」

しん、とした雰囲気の中、ユニットソングだけが鳴り響く。時間を少し置いたあと ちょっと、と戸惑ったように私を叱りつけた人は呟いた。

「別にそんなに怒ってないし…。」

あんたが危ないことするからびっくりしたんだよ、と説明を受ければ私は顔を庇っていた腕を下ろした。じとりと嫌な汗が制服を体にはり付ける。

「はい、もうしません。すみません、すみません…。」

嫌な空気とはこういうことなのかもしれない。私はいつもこうだった。母親にも言われたが私は悪くない人を悪い人にしてしまう。母の事も父の事もそうだ。私が悪いのに、傷つけてしまう。どうしようとぐるぐると目が回る感覚が私を襲う。

「何をしようとしたんだ?」

「え、」

先程のオレンジが再び飛び込んできた。月永先輩だ。

「あの、…ええと、フォーメーションが崩れてて気持ち悪くて…。テープで線を張ればわかりやすいのかなと思ったんです。」

「…ふぅん。よし、じゃあみんなでやろう。」

先輩は音楽を止めるとそれ頂戴と私に手を伸ばす。戸惑いながらゴムテープを先輩に渡せば私の腕ごと掴んで立ち上がらせる。ぐい、と引っ張られる感覚がほんの少しだけ怖かった。

「じゃあ名前はここに立ってて!中心な!」

「は、はい。」

「ほらスオ〜、おれがこれ持ってるからまっすぐ引っ張れ!多分お前のフォーメーションが崩れてたんだぞ!」

「うう、お姉様!申し訳ございません!私のせいで!」

私を中心にしてどんどんと線が出来ていくのをぼんやり眺める。こんなにぼんやりしてて良いのかな。

「はい、できた!」

5本の均等な線ができた時、私の世界がほんの少しだけキラキラしたような気がした。月永先輩は私をちらりと見ると どうだ?と問いかける。私は頷くと私は先輩によって元の位置に戻された。わいわいとほかの人が談笑しているのが耳の奥で聞こえている。

「……これ、痛いの?」

私の腕から覗く痣を先輩が軽く触った。自分の顔を腕でかばった時、見えてしまっていたのか。微妙な空気の正体に気がつくと私は袖口のボタンを止めた。

「…いえ、これは随分昔の傷なので痛みは無いです。私が悪くて出来たものなので気にしないでください。」

「…おれさ、自分の手にいっぱい痣を作ったことがあるんだよ。一時的なもので、時間はかかったけど痕は消えたんだ。今はちゃんとアイドルやるって決めたし消えてよかったな〜って思ってる。……おまえのも消えるといいな。」

「……どうでしょう。これが消えるとか消えないとか考えたことも無いです。」

それにもう私を叩く人は居ない。この痣が増えることもないので別にこの痣が消えようが消えまいが本当に興味はなかった。なのに、なんで。

「これ、消えるといいなあ。」

なんで先輩は自分が痛いみたいな顔をするのだろうか。先輩はシャツの上からそっと私の腕に触れると見上げるようにしてこちらに向けてた視線を外して立ち上がった。

「名前。」

「はい。」

「ちゃんと見てろよ。」

もう一度先輩はそういうと4人の所に戻っていく。その背中を見てなんだかぽかぽかと心臓が跳ねている。楽しそうな鼓動な気がした。なんだろうと胸に手を当てるが正体は分からない。
そういえば月永先輩はあいしてる、だいすきだと他人に言っているのをよく見る。先輩は愛情がわかる人なのだろうか。



レッスンが終わって私が片付けを始めると瀬名先輩から鍵を渡される。どうやら他のメンバーはもうでないといけないらしく室内には私と月永先輩だけが残された。

「………先輩。」

「ん?」

「聞きたいことがあって…。」

片付けが終わってやる事がなくなった私は作曲をしている先輩の前に座り込む。

「あいしてる、ですとか大好きだとか先輩はよく人に言いますけど、愛情とはどういうものなのでしょうか。私は父に愛情を持ってアイドルを育てるように言われてるんですけど どうにもピンと来なくて分からないんです。」

普段あまり会話というものを得意としていないからかほんの少しだけ緊張をしている…、と思う。脈が早い。

「……ううん、おまえ難しいことを言うなあ。目に見えないものだからそういうものの説明は難しい!あ、でも待って!なんか1曲かけそう!!」

そう叫んだ先輩は楽しそうにまた音を書き込んでいく。

「……、」

「名前が言ってるのはどういう愛情?」

「分からないんです。」

そっかあ〜。先輩の声が響く。

「おれもわかんないけどさ。あ!すき!って思う瞬間が沢山有るんだよ。それをおれは言葉に出してるだけなんだけど…。ぐわ〜っていうキラキラした波が足のつま先から頭の先まで飛び抜ける感覚…。わかる?」

「足のつま先から…頭の先…。」

「うーん!わかった!おまえはまず自分の興味のある事を見つけろ!あ、そうだ。おまえにも作曲を教えてやろう。そうしよう!つまらなそうな顔したお前がどんな曲を書くのかおれが興味ある。そうしろそうしろ、ほらこれセナがくれた紙!」

え。何言ってるんだろう。戸惑いながら紙を受け取ると飛び込んだ真っ白が目に痛かった。ただ、綺麗な色だと思う。

「名前、おまえの世界は狭いだけだよ。妄想をしろ、もっと気持ちをキラキラさせろ、いやでもやっぱりそういうのって抽象的な話なんだよなあ。もっかい聞くけどわかってる?」

正直分からない。私は横にも縦にも首を振れなかった。紙だけを見ている。先輩の書いてる譜面と見比べた。半分真っ黒になっているそれは先輩の見えている世界と言うものなのだろうか。

「……分からないです。でも作曲をしてみて先輩の言ってることが分かるならやってみようと思います。」

「うん。じゃあまずは基本的なことからだな。」

ほら、と薄っぺらな音が鳴る鍵盤のシートを引っ張り出すとコードを教えてくれる。
月永先輩の周りには沢山の星が飛んでいる。ちかちかと瞬いて騒がしい。ああでもなんでだろうか。

「( 安心する。)」

妹が居ると言っていたし私みたいなのにも接する事も慣れているのかもしれない。

「なあ ちゃんと話、聞いてる?」

「はい。」

先輩は疑わしそうに私を見た後またコードを鳴らしていく。まるでそれは子守唄みたいで私はゆっくりと目を伏せた。
ああ、なんだか暖かい。ぽろんぽろんと音が響くのを私はただただひたすらに聴いていた。