「誤解なんだってば。」

テレビ画面を見ながら凛月くんの声を聞く。熱愛報道が流れた直後の話だった。私が驚いてお皿を落としてしまった直後に鳴った電話は凛月くんからで私は静かにその声を聞いている。
因みにお相手はこの間凛月くんと舞台が一緒だった人で私なんかよりもずっとずっと美人で笑顔が素敵な女優さんだった。頭からすうと血の気が引いていくような感覚に私は手を震わせながら電話の受け答えをする。

「名前、聞いてる?」

「…うん、聞いてるよ。」

私がそう答えたすぐ後ろで女の人が笑い声を上げるのが聞こえた。凛月くんの声が遠のいて「静かにしてくれない?」と注意をしている。弁解の電話のはずなのに女の人といるという事がなんだかショックだった。そりゃ、一般人で幼馴染から恋人になった私なんかよりキラキラしてて可愛い女優さんのほうが良いに決まってる。

「凛月くん大丈夫だよ。私、気にしてないから。」

勿論嘘である。
もうずっと内側からチクチクとお腹を刺されてる痛みを感じている。嫉妬だったり悲しみだったり、凛月くんが浮気なんてするわけないって感情だったり色々だと思う。今自分が何考えてるかなんて分からないけどもう気持ちがぐちゃぐちゃなのだ。ふうん、と凛月くんは短く言うと暫く黙り込む。変な間にじっとりと嫌な汗をかくのを感じた。

「朔間くん、まだ〜?」

今度こそはっきりと聞こえた女の人の声に私は携帯を落としそうになった。渦中の女優さんだろうか。もしかしたら違う人?分からないけど凛月くんは今、私じゃない女の人と居る。
凛月くんの周りには凛月くんにお似合いの綺麗な女の人がたくさん居る。つまり彼女は私じゃなくてもいい。ぐるぐると思考が回って気持ちが悪くなってきた。私は泣きだしそうになったのをこらえるとなんでもないように言った。

「早く帰ってきてね、凛月くん。」



電話を切ると私は急いで寝室に駆け込み着替えを数枚バックに詰め込みながら友人に電話をかける。今日だけでいい、寝る場所を確保したかった。つまりは感情のままに家出をする決心をしたのだ。しかし急な話すぎて当たり前だが近くでは見つからない。ホテルも考えたが凛月くんから仕事を辞めるように言われてから仕事をしていない私には贅沢な話だった。もう仕方がない、遠いが実家に帰ろうと実家に連絡もせずにきちんと戸締りをして電車に飛び乗る。
電車に乗った頃にはほんの少しだけ落ち着いていて窓の外を眺めながら凛月くんは窮屈だったのかもしれないと考えた。人生の半分以上の時間を共にしてきた私と一緒に暮らすようにまでなって息苦しく思っていたのかもしれない。再び泣きそうになるのを何とか耐えると心の中で凛月くんにごめんねと謝った。
実家の最寄り駅を降りるととぼとぼと道を辿っていく。家につく頃にはお星様も疎らに輝いている時間になっていた。しかし家に灯りがない。おかしいなと家族に連絡をとると旅行に出てるとのこと。テレビを見た家族に根掘り葉掘り聞かれるのも嫌だったので丁度いいかと鍵を開けた。

「……。」

しん、としている家の中を進んで自分の部屋に閉じこもる。ぶーぶーとスマホの振動音がうるさい。ディスプレイを見ると凛月くんだった。私は電源を落とすと大きく伸びをした。ああ、もうほんと嫌になる。何も食べる気にならないしお風呂に入る気にもならないし…。
私は暫くじっとしながら今後の事を考えた。考えているはずなのに全く先のことが思い浮かばない。それどころかチラチラと凛月くんと噂になった女優さんの顔が浮かんでじくじくと胸が痛んで泣いた。勝ち目がない。いや、浮気って決まったわけじゃないけど火のないところには煙なんてたたないって言うじゃない。次第に悔しくなって我慢出来ずにわんわん泣いたら気持ちがスッキリしてなんだかお腹が減ってしまった。時計を見るともう21時を回ってしまっていてどうしようかと考える。
冷蔵庫を見ると旅行に行くために空にしたのだろう、何もなかった。私はお財布を掴むとコンビニに向かった。夜はまだ肌寒い。もう少し何か着てくればよかったと後悔しながらお弁当を買って軽い足取りで家に帰る。
凛月くんとはもう終わりにしよう。それが、きっと凛月くんの為だ。そう考えると凛月くんから逃げる理由が出来たんだと、ほっとした。今後もきっと面白おかしくそういう報道は流れたりすることだってあるだろう。その度に悔しい気持ちだったり惨めに嫉妬なんてしたくない。

「……名前。」

急な呼びかけに息が止まりそうなぐらい驚いた私はお弁当を落としてしまった。後ろから聞こえたのはたしかに凛月くんの声だった。ゆっくり後ろを振り返れば幽霊みたいな凛月くんが居て幻覚なんじゃないかと目を擦る。

「…どうしたの、凛月くん。」

「どうしたの?それは俺のセリフなんだけど。自分から早く帰ってきてって言ったくせになんで居ないの。」

怒っている。凛月くんの赤い瞳がゆらゆらしているのを見て私は悲しくなった。こんなに綺麗な視線をあの女優さんも向けられたんだろうか。

「なんで勝手に居なくなるのかなあ。」

帰ろうと私の腕を掴む凛月くんの力は信じられないぐらいに強くて思わず悲鳴を上げる。振りほどこうにもギリギリと強くなっていく力に私はとうとう泣きだした。

「もうやだ…!凛月くんの所に帰りたくないの…!」

「………は?」

「なんだか私って嫌な奴だなって今日1日、それを実感してた。こんな気持ち嫌なの。だから凛月くんと別れる。」

震えた声でそう宣言すると少しだけスッとした。きっと私は今世界一不細工な顔をしている。勝ち目のない女の人に嫉妬して喚いている。そんな自分が心底嫌だった。

「…そんなの、俺が許すと思ってる?」

「凛月くんが許すとかじゃないと思う。私の気持ちの問題もあると思うの。」

「……なんで?まさかとは思うけどあのニュース、信じてる?」

私は首を振るとそれらしい理由を述べた。

「………私たち長く居すぎたんだと思う。」

「なにそれ。理由になってないよ。1番最初の話とも噛み合わないし、意味が分からないんだけど。ねえ、もういいから帰ろう。」

もし今、凛月くんについて行ったらきっと丸め込まれるのだろう。凛月くんは頭がいい。それは私なんかよりもずっとだ。私の主張を180度変えることなんて朝飯前なのだ。これは今までの経験からはっきりと断言出来るとこである。

「…正直、何にも無ければ報道が出ることは無いんじゃないかと思ってるしさっきも電話の時近くに女の人がいたの私ちゃんと気がついてた。凛月くんにとって私はもしかしたら馬鹿で都合のいい女なのかもしれないけど私にとって凛月くんは大好きな人で、……だから、つらい。」

「……しょうがないなあ、お馬鹿な名前に1から説明してあげるね。まず電話の時に居たのは俺と噂になった子だけど事務所に説明に来てたから近くにいただけだし、そもそもあの写真は2人きりの時じゃないからね。他にも舞台の時のスタッフとか居たし…。2人で会ったとかは一切ないよ。
それに俺が名前を都合のいい女の子だ、なんて思ってたらこんな所まで迎えに来てない。それぐらいは分かるでしょう?」

夜だから元気なのだろうか。今日の凛月くんはよく喋る。私は涙でぐちゃぐちゃになった顔を下に向けるともういいからと首を振る。駄々をこねる子供みたいだ。

「名前、いい加減にしてね。俺は絶対別れないから。」

「なんで私にそんなに構うの。そんなめんどくさいみたいな顔するなら、1人で帰ればいいじゃん。」

冷たい声に思わず顔を上げれば見たことない顔で私を見下ろしている凛月くんがいた。美人が凄むと怖い。

「何回も言わせないで。絶対に別れないよ。ほら、お弁当拾って今日は遅いから名前のお家に帰ろう。」

「やだってば。」

「わがままだなあ…。」

凛月くんは私の横に落ちているお弁当を拾い上げると私を担ぎ上げた。どこからそんな力が、と一瞬ひるんだがすぐにそれどころではない。暴れてやる。そう意気込んで上体を起こそうとしたが凛月くんの腕が邪魔でそれはできなかった。

「あのねこの際だから言うけどさっき電話した時もう少し取り乱してくれてるかなって思ってた。」

「え?」

「そしたらいつも通りで気にしてないとか言うんだもん。俺だって不安になったんだよ。早く帰ってきてなんて普段言わないくせに急に言うから嫌な予感はしてたんだよね。手続きとか面倒なことさっさと片付けて帰ってみれば案の定電気ついてないし。電話しても出ないし…。俺がどんなに不安になったかなんて分からないでしょう。」

「……うん。私の方が凛月くんのこと好きだって今でも思ってるから。」

ふふ、と凛月くんは笑うとそれはどうかなと言った。

「俺の方が多分名前の事好きだよ。結婚もしてない恋人から職を奪って自宅で軟禁みたいな事してるんだから。」

自覚はあったんだと私はこっそり思った。しかしそれであっさり仕事を辞める私も私だとは思う。

「可愛く泣き喚く名前を見て よかった〜って思った。すごく嫉妬してくれてるじゃん、って安心しちゃったんだよね。」

「……。」

「仲直りして明日には一緒に帰ろう。」

担がれている私は凛月くんの表情は読めないが声が震えてたのは分かった。私はばしっと背中を叩くとしっかりした声で返事をした。

「うん。」

ほ、と凛月くんの体から力が抜ける。私はズルズルと地面に降ろされると手を握られた。うっすらと口元に笑みを浮かべた凛月くんは私の額にキスをする。

「絶対に離さないからね。」

まるで魔法の言葉のようだった。私はまた明日から凛月くんの箱庭で暮らしていく。