家に帰ると妹の部屋が賑やかだった。誰か居るのか?と思いながら階段を上がると丁度客人と鉢合わせする。名前さんだった。自然と緊張が走り目が合うと階段を上がる体制のまま体が固まってしまった。

「真緒くん、おかえりなさい。お疲れ様。」

しどろもどろに返事をする俺に少し寂しそうに笑いかけると妹共に通り過ぎる。めちゃくちゃいい匂いがした。どうやらお隣の名前さんが遊びに来ていたようで、( と言っても俺の妹が引っ張りこんだのだろう )妹は名前さんを玄関まで送り届けた後に俺をじろりと睨みつける。

「てゆうか、お兄ちゃん超感じ悪いんですけど。」

「はあ?」

「何さっきの、 お、おう、とか。意味わかんないって言ってんの。だっさ。」

年頃の妹というのはどこの家庭でもこんなふうに口が悪いのだろうか。う、と心臓に刺さる言葉を吐くと自分の部屋に戻っていってしまう。実際、確かにここ数年の名前さんへの俺の態度は褒められたものじゃなかっただろう。いやでもこれは名前さんも悪い!俺だけのせいじゃない、と言い訳をしてみるが解決はしない。
三年前の夏の話だった。突然の夕立にずぶ濡れになった名前さんとたまたま玄関で鉢合わせしたのだ。ワイシャツの下の透けた下着や、崩れたメイク、張り付いた髪の毛が随分、そう、ええと、わかるだろうか、えろい、えろかったのだ。それからと言うものお隣の仲良しの姉のように慕ってた人を女、として見てしまうようになったのだ。一言で言えば気まずい。心の内の話とはいえ目を見て話すのは…ともやもやした気持ちが働く。



次の日俺はあんずと買い出しに出かけていた。メンバーとの荷物持ちじゃんけんに勝った結果だった。隣の背の低い女の子を見ながら歩く。あんずは手元のメモ帳を眺めていた。横顔が少しだけ名前さんに似てる気がする。いかんいかん、こんな時まであの人の事を考えてしまう。そろそろやばい。

「あれ?真緒くん。」

よく知った声に幻聴か?とあんずを見るがあんずは視線を上げただけだった。え、と視線の先を辿るとお洒落をした名前さんが立っていた。名前さんは俺の隣に居るあんずを見つけると あらあらあら、と言いたげな顔をした。恐らくあんずを彼女だと誤解してる。違う、名前さん違うんだ。

「お邪魔しちゃったかな。ふふ、ごめんなさい。それじゃあ、また。」

去っていく後ろ姿を追いかけたかったが行ったところでどうすればいいのかは不明だった。現に名前さんが現れてから一言も返事をすることが出来なかった俺が弁明した所で間違いを確信に変えてしまうだけだ。

「真緒くん、追いかけなくていいの?」

あんずが横でそう言ったのをぼんやり聞いていた。



今日はよく名前さんに会う日だ。玄関でばったりとあってしまったのだ。あの夏を思い出す。反射的に視線を逸らした。

「…真緒くんおかえりなさい。いつもこんなに遅いの?」

「あ、いや、」

時計はもう22時を回っていた。名前さんこそ普段からこんなに遅いのだろうか。ちらりと見ると俺の返事にまた寂しそうな表情を浮かべていた。

「疲れてるのに話しかけちゃってごめんね。おやすみなさい。」

名前を呼ぼうと顔をあげた時にはもう名前さんは部屋に入ってしまった後でがくりと肩を落とす。あんずには普通に出来るんだけどやっぱり名前さん相手だとそうもいかない。意識をしてしまっている分反射的な態度なのだ。
これからどうしていけばいいのかとドアノブに手をかけた時隣の玄関が空いた。

「あ、まだ居た。」

「名前さん、」

名前さんは俺に近寄ってくる。思わず数歩下がった。それに気づいた名前さんは近寄るのをやめた。

「ええと、その、」

弁解をしようと声を上げたのを手で制される。

「真緒くんもお年頃だもんね。いつまでも私にお姉さんみたいな顔をされたくないの分かってたんだけど、長年の習慣が抜けなくて。……ごめんね。もう街で見かけても話しかけないようにする。約束するよ。ただ、これだけ渡したくて。」

最後にするからと言わんばかりの雰囲気に焦りを感じる。何かの袋を俺の家のドアノブにかける。

「これ、さっき買ったの。疲れてる時は甘いもの。チョコ好きの私が厳選したものだからきっと美味しいはず。良かったら食べてね。」

じゃあ、と去っていく背中を今度は追えた。腕を捕らえると無理にこちらを向かせる。短い悲鳴を上げてバランスを崩す名前さんの体を抱きとめた。

「名前さんが悪い…。」

「え?」

「名前さんがどんどん大人になっていくから、……、どうしていいか分かんねえ。」

香水の香りだろうか。人工的な甘い香りに今度はこっちが寂しくなる。

「ま、真緒くん、」

一呼吸置いて名前さんは小さな声でぽつりと漏らした。

「…私も真緒くんがどんどん成長して知らない人みたいになっていくからどうしていいか分からなかったよ。」

体を離すと照れくさそうに口元を緩め髪先を軽く弄りながら眉尻を下げる名前さん。ああ、可愛い人だなと眺めていると " なんだか最近の真緒くんにはドキドキしちゃうなあ" と独り言のように呟いた。その言葉はしっかり俺の耳に届いてしまって戸惑う。

「は、え?」

やってしまった、と口元を抑えると名前さんは耳まで真っ赤に染め、少し潤んだ瞳で俺を見上げる。あ、これは。
ごめんなさい、と名前さんは呟くと慌てて部屋に帰っていってしまう。再び1人にされ呆然とするとじわじわと先程の事が繰り返し胸の中に広がる。これはワンチャンあるんじゃね、とガッツポーズをしたのもつかの間次の日から立場逆転、名前さんに避けられる日々が始まるのであった。